プロパガンダの誕生
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「鬼畜米英」の誕生
アメリカ兵をぶち殺せ!(『主婦の友』昭和19年新年号)
1941年(昭和16年)12月8日、日本が
真珠湾攻撃
をすると、大政翼賛会は即座にこんなスローガンを発表します。
この一戦 何が何でも やりぬくぞ
見たか戦果 知ったか底力
進め一億 火の玉だ
屠(ほふ)れ米英 われらの敵だ
戦ひ抜かう 大東亜戦
この感激を 増産へ
戦局の悪化する1943年には、
突け 米英の心臓を
今に見ろ 敵の本土は焼け野原
撃滅へ 一億怒濤の体当たり
といったさらに勇ましいスローガンになっていきます。
こうしたスローガンの最たるものが、有名な「鬼畜米英」ですね。
「鬼畜米国」を訴える「アサヒグラフ」昭和19年3月1日号
たとえば1942年5月23日付の朝日新聞は、独立を目指すフィリピンに関する記事で「鬼畜米本国によって行われた残虐と圧政の忌わしい桎梏(しっこく)から脱して」などと書いていますが、実は「鬼畜米英」という言葉そのものは、あまり使われることがありません。
かなり古いところでは、雑誌『日の出』(新潮社)1943年3月号が『鬼畜米英の仮面を剥(は)ぐ』という記事を出していますが、印象としては、当時のメディアでは「鬼畜米英」より「米鬼」の方が多い感じです。
これはなぜかというと、香港・シンガポール攻略、マレー沖海戦などで日本はイギリスと戦いましたが、すでにこの時期はアメリカとの戦いがメインになっているからだと思います。どうしても、目の前の敵であるアメリカの方が印象悪くなるんでしょう。
「鬼畜米英の仮面を剥(は)ぐ」
そんなわけで、現段階で「鬼畜米英」の初出は確認できませんが、こうしたプロパガンダはどうやって誕生したのか、歴史をまとめます。
彼らは「日本人を殺せ」と叫ぶ!「アサヒグラフ」昭和19年3月1日号
さて、冒頭で、真珠湾攻撃が起きるとすぐに大政翼賛会がスローガンを発表したと書きましたが、どうしてそんなに準備万端だったのか?
実は、日本政府はアメリカへの宣戦布告を見越して、その直前から「こういう宣伝工作をしろ」という方針をまとめていたのです。それが、
・「現下ノ対米外交ニ対スル輿論指導方針」(1941年10月3日、企画院情報局)
・「対米英問題ニ関スル輿論指導方針」(1941年10月4日、企画院情報局)
です。『輿論と世論』という本によれば、「輿論(よろん)は公的意見」「世論(せろん)は世間の空気」と、かつては厳密に使い分けられていました。つまり、政府は、メディアにこういう論調で記事を作れと、ルールを示していたわけです。
そして、真珠湾攻撃当日に、
・「日英米戦争ニ対スル情報宣伝方策大綱」(1941年12月8日、企画院情報局)
を提示しています。内容は、簡単に言うと「日本の強さと優位を長期的に報じろ」「日本の損害を過大視するな」というものです。いわば、これが「鬼畜米英」の源流ですが、まだ具体性には乏しいものでした。
病院船を砲爆撃し、寺院・教会を襲い、住民街を無差別爆撃するアメリカの非道暴挙
言うまでもありませんが、日本は、アメリカと開戦する以前から中国と戦争しています。当然、日中戦争に際しても、
・「北支事変に関する宣伝実施要領」(1937年7月22日、情報委員会)
・「支那事変に対する宣伝方策大綱」(1938年1月17日、内閣情報部)
などの宣撫マニュアルを出しています。こちらは日本の正当性や中国人の劣等さを特にアメリカに向けて広報せよという、非常に具体的な内容です。でも、アメリカと戦争が始まると、今度は誰に向けて広報していいのか、ちょっとわからなくなってくるんですね。
戦局が悪化してきた1943年6月28日、政府は「大東亜戦争ノ現段階ニ即応スル輿論指導方針(案)」を閣議了解します。この段階では「大義を明らかに」「楽観気分を払拭」といった内容で、敵へのネガティブ・キャンペーンは、
《敵ノ内ニ秘メラレタル深刻ナル苦悩、弱点等ヲ適宜暴露シテ、我士気ノ昂揚ニ努ム。
但、国民ニ達シ、徒(いたず)ラニ安心感ヲ与ヘ、油断セシメサル様、留意スルヲ要ス》
くらい。それが、いよいよ戦局が悪化した1944年(昭和19年)には、どんどん敵へのあからさまな悪口になっていくのです。
具体的に見てみましょう。
捕虜虐待を捏造しつつ、抑留同胞にはこの迫害! 撃ちてし止まむ!
(左ページには
「弾丸切手」
の広告。「アサヒグラフ」昭和19年3月1日号)
1944年5月4日、東京の日比谷公会堂で「国民総蹶起(けっき)運動」の中央総会が開かれました。集まったのは、官民代表の3500人。議長による宣誓文は、こんな感じ。
「宣誓。今や必勝の道は、前線に対応する国民総蹶起あるのみ。ここに我らは米英を撃退して、勝って誓願に答えまつらん」
次いで東條英機首相が、
「この蹶起運動の要諦は、我が国民は生まれながらにして持つところの忠誠心を盛り上がらせ、これを常に推進することであります。官民ともに1本のタバコも分け合う温かき戦友愛を持って、お互いが裸になり、また許し合い、また信じ合い、また助け合うことが肝心であります。戦いに勝つということは、戦場にのみあるのではないのであります。国民諸君の足下にも、日常生活の上に、身近く存することを忘れてはならんのであります」
と演説しました。
極秘文書「国民総蹶起運動指導要綱」
本サイトが入手した極秘文書「国民総蹶起運動指導要綱」には、戦意昂揚の一環として、
《いわゆる米英流の生活のしみを洗い去り、皇国本来の国家観に立脚した生活の真義を打ち樹てねばならぬ。
金儲けのための生活、立身出世のための生活、他人の困苦を顧みず己だけ快楽を得さえすればよいという独楽独善の生活、精神を忘れ物に捉われた生活、これらは何れも生活の真義を遠く離れたものである》
と書かれているくらい。当然ですよね、開戦前はちゃんと交流もあり、イギリスに至っては同盟まで組んでいたんだから、本当は鬼畜だと思ってるはずないんです。
厳重な管理がされた「国民総決起運動」の指導要綱
ところが、こうした冷静さを一気に吹き飛ばす出来事が起きました。
アメリカの写真誌『LIFE』(1944年5月22日号)が、日本人の頭蓋骨を眺めている少女の写真を載せたのです。写真の説明にはこう書かれていました。
日本人の頭蓋骨を贈ってくれた海軍のボーイフレンドに礼状を書くナタリー
《アリゾナ州フェニックスで勤労動員として働くナタリー・ニッカーソン(20)は、2年前、体の大きい素敵な海軍大尉と離ればなれになったとき、「ジャップ」を約束されました。先週、ナタリーは、大尉と13人の友人が寄せ書きした人間の頭骸骨を受け取りました。 「これは状態のいい『ジャップ』です。ニューギニアの海で死んだのを切り取ってきました」。ナタリーは贈り物に驚き、人骨に「東條」と名付けたのです。軍隊はこうした行為について、強く戒めています》
日本の世論は、これで激昂しました。
政府は、1944年10月6日、「決戦輿論指導方策要綱」を策定します。ここには「敵愾心の激成」「敵の苦境暴露」を目指すことが明確に書かれました。
《・敵ニ対スル敵愾心ノ激成
米英指導者ノ野望ガ今次戦争ヲ誘発シタル事実を解明シ且米英人ノ残忍性ヲ実例ヲ挙ゲテ示シ殊ニ今次戦争ニ於ケル彼等ノ暴虐ナル行為ヲ暴露ス
・敵国内情ノ苦境ノ暴露
敵国ノ政治情勢及思想ノ悪化、国民生活ノ低下、経済ノ逼迫、道義ノ退廃等ヲ暴露報道ス》
この方針を具体化するため、大政翼賛会の調査部は総力を挙げてアメリカ社会の退廃ぶりや非人間性を調べます。そして、それをまとめた秘密文書「一億憤激米英撃摧(げきさい)運動資料」が、マスコミに配布されるのです。
秘密文書「一億憤激米英撃摧運動資料」
「一億憤激米英撃摧運動資料」の冒頭には、
1 詔書に昭示し給へる大東亜戦争目的に帰一せしむること
2 国民に希望を持たしめ明朗闊達なる気風を作興すること
3 戦局の実相、国内の実情等を率直に知らしむること
4 日本文化の優越性を自覚せしむること
5 米英人の本質に根ざす野獣性を剔抉(てっけつ=えぐり出す)すること
6 米英人の人種的差別観を剔抉すること
7 敵愾心を撃成せしめ一段と闘魂を振起せしむること
8 敵愾心昂揚を阻む一切の隘路を打破すること
9 指導者層一般の反省を促すこと
という9つの目標が掲げられ、それぞれ詳細な事例が書かれました。
たとえば、「米英暴言集」はこんな内容です。
●全駐日大使グレー
「日本を、精神的にも肉体的にも経済的にも徹底してやっつけ、その処理はドイツよりもはるかに峻厳過酷でなければならぬ。日本本土上陸の暁には、日本の軍備を完全に撤廃し、少なくとも25年間、日本を軍事占領下に置き、日本人を米国流に再教育する。幼稚園から大学に至るまでの日本教育制度を、根本から改変する必要がある」
●作家パール・バック
「戦後、日本国民の教育は重慶(蒋介石の中国国民党)に、ドイツ国民の教育はスウェーデンに委任するのが適当である」
●太平洋第3艦隊司令長官ウィリアム・ハルゼー
「日本人などという人種は、赤子のうちに死んでしまった方がいい。彼らは、超人的存在でもなんでもなく、低級な猿に匹敵する動物に過ぎぬ。あえて猿というのは、日本兵がちょうど猿のような本能しか持ち合わせていないからだ」
「よし、日本語というものを地獄でなければ通用しないものにしてやろう」
「この戦争に勝つにはジャップを殺せ、もっともっとジャップを殺せ」
続いて、「敵米英の野獣性」「戦闘に現はれたる敵の鬼畜行為」には、
●海兵隊の兵士募集広告が「シーズン来る!日本人狩り鑑札」となっていた。日本人を獣類視する考え方は、アメリカ人の日常生活すべてを貫いている。この広告の行間にあふれる敵の獣性本能を見極め、われわれはあくまで米鬼打倒の決意を固めるべきだ
●「日本人を殺せ、日本人を抹殺せよ」。これは敵の日常挨拶語となっている。雑誌の各ページに「キル・ア・ジャップ」の文字を印刷して日本人に対する憎悪と敵意を煽っている
●ある日本兵は重傷のため、敵に捕まってしまった。すると全裸のまま鉄条網で簀巻きにされ、波打ち際に頭から杭のように埋められてしまった
などと書かれています。
このアンチョコをもらったマスコミは、怒濤のようにアメリカ批判を始めます。もっとも過激だったのが、『主婦之友』でした。
→
1930年頃、「主婦之友」を持つ主婦(夏川静江)→1945年の主婦
アメリカの雑誌が「キル・ジャップ」と書くならこっちでもやってやる、とばかり、『主婦之友』昭和19年12月号の表紙には、「アメリカ人をぶち殺せ!」と印刷されました。
そして、各ページの肩の部分に「アメリカ兵を生かしておくな!」などのスローガンが繰り返し書かれたのです。
「これが敵だ!野狂民族アメリカ」という記事には、
《「キル・ジャップ!、キル・ジャップ!」。しかと見よ。前線のアメリカ兵や国内の男どもは言うまでもなく、女子供の果(て)にいたるまで狂気の如きその日本人抹殺熱を!
今や敵アメリカはルーズベルトを先頭に、全国民あげて獣化せる一大団結もて、わが一億同胞の血潮を喰ひ尽さんと襲ひ来る。
奴ら自身のあくなき贅沢と、酒池肉林の混乱とのために、神国日本の一切をあげてその犠牲たらしめんと襲ひ来る。
奴らを殺すか
奴らに殺されるか
われらの前には、ただこの二つの途があるのみ》
と書かれていました。えっとー、繰り返しますが、これは『主婦之友』ですからね。
『主婦之友』の煽り文句の数々
翌、昭和20年の新年号では、表紙に「アメリカ人をぶち殺せ!」は入りませんでしたが、「勝利の体当り生活」と打たれました。そして、本文の肩にあるキャッチはよりいっそう過激になりました。
新年号の巻頭記事は「万朶特別攻撃隊」という決死隊の記事ですが、目玉は
「毒獣アメリカ女」
と
「敗けたらどうなる」
の2本です。「毒獣アメリカ女」には、
《淫乱とも退廃とも実に言葉がない。もうそれは牡と牝との動物が、性欲をむき出しにして喜び騒ぐ狂乱である》
などと書かれていて、あまりに面白いので、両方とも全文を公開しておきます。
結局、『主婦之友』の激烈な編集は5月号まで続きました。6月号の巻頭は「野戦病院軍医の手記」「夜間空襲と隣組訓練」ですが、過激さは消え、そのまま敗戦を迎えます。
まるで熱に浮かされたような『主婦之友』の異様ぶりは、もはや理屈では説明できません。時代の空気、としかいいようがないのかもしれません。
ちなみに、前出『輿論と世論』では、「輿論(公的意見)が世論(世間の空気)になるとファシズムに繋がる」と指摘しています。偉そうな意見は、いつしか庶民の感情論に変化し、誰も止められなくなる……これが、敗戦直前の日本で起きていたことなのです。
もちろん、それは今も起きているのかも、ね?
「必勝の戦場生活」と「一億特攻の生活」
制作:2012年12月3日
<おまけ>
実は、アメリカ側の反日世論を作ったのも『LIFE』でした。厭戦気分が漂っていた1943年、LIFEはニューギニアのブーナ海岸で撮影された3人の米兵の死体写真を初めて掲載します。これで、米国の怒りは沸騰し、戦時国債は瞬く間に売り切れ、「日本を潰せ」という世論ができあがりました。
プロパガンダが、まだ雑誌で可能だった時代の話です。
『LIFE』1943年9月20日号より
<おまけ2>
昭和19年10月6日に閣議決定された「決戦輿論指導方策要綱」を全文公開しておきます。注目すべきは「大和魂で必ず勝つ」と「国民の感情に即せ」と、もはや公文書が精神論と感情論の世界に突入している点ですね。
これじゃ、戦争には勝てないよ。
決戦輿論指導方策要綱(昭和19年10月6日、閣議決定)
一、方針
輿論指導ハ国体護持ノ精神ヲ徹底セシメ敵愾心ヲ激成シ以テ闘魂ヲ振起スルコトヲ目的トシ国民ヲシテ知ラシムベシ倚ラシムベシノ方針ニ則リ特ニ輿論生起ノ根源ヲ衝キテ之ガ適正ヲ期ス
二、要領
(一)輿論指導ノ内容ニ付テハ左ノ各項ヲ重視スルニ其ノ対象ニ応ジ適宜取捨按配スルモノトス
(1)国体ニ対スル信仰ノ喚起昂揚
(イ)先祖ヨリ継受セル国体ヘノ信仰ヲ喚起昂揚シ君民一体ノ精華ヲ発揚ス
(ロ)皇土防衛ノ国体護持上絶対緊切ナル所以ヲ強調ス
(2)宣戦ノ大詔ノ御趣旨ノ徹底
戦争目的ヲ宣揚シ戦争完遂ガ皇国ノ自存自衛ノ為絶対ニ必要ナルコトヲ徹底ス
(3)決戦的戦局認識ノ徹底
戦局危急皇国ノ興廃ヲ岐ツベキ一大決戦ニ直面セルコトヲ一層強ク知ラシメ之ニ対処シテ国民総戦闘ノ決意ヲ固メシメ活発ニ実践セシム
(4)究極ニ於ケル必勝確信ノ具体的基礎ノ明示
(イ)必勝ノ確信並ニ之ガ方途ニ関シ具体的事実ヲ教フ
(ロ)最後迄国民各自職分ヲ忠実ニ奉行シ粘リ強ク戦ヒ続ケタル国ガ紙一重ノ差ニテ勝ツ所以ヲ解明ス
(ハ)我ニ天佑神助アリ我ニ備ト地ノ利アルヲ以テ総テノ人的物的国力ヲ戦力化シテ一億協力大和魂ヲ以テ戦フ時ハ必ズ敵ヲ破リ得ル所以ヲ解明ス
(ニ)外寇ニ対シ挙国総蹶起シテ戦ヘル結果ハ仮令一時危局ニ直面スルモ必ズ之ヲ突破セル歴史的事実ヲ示シ国民的確信ヲ強化ス
(5)敵ニ対スル敵愾心ノ激成
米英指導者ノ野望ガ今次戦争ヲ誘発シタル事実を解明シ且米英人ノ残忍性ヲ実例ヲ挙ゲテ示シ殊ニ今次戦争ニ於ケル彼等ノ暴虐ナル行為ヲ暴露ス
(6)敵国内情ノ苦境ヲ暴露
敵国ノ政治情勢及思想ノ変化、国民生活ノ低下、経済ノ逼迫、道義ノ退廃等ヲ暴露報道ス
(7)決戦的戦時生活下ニ於ケル気分ノ明朗化
国民生活ノ低下ニ伴ヒ之ニ堪フルノ心構ヲ強カラシムルト共ニ此ノ間ニ処シ猶明朗ナル気分ヲ保持セシムル如ク国民相互ニ信頼ト友愛トヲ以テ協力シ道義昂揚ノ雰囲気ヲ醸成ス
(二)輿論指導ノ方法ニ付テハ対象ヲ適確ニ把握シ特ニ指導者層ニ重点ヲ指向シ徹底ヲ期スルモノトシ左ノ諸項ニ留意ス
(1)報道宣伝ハ国民ノ忠誠心ヲ信頼シ事実ヲ率直ニ知ラシム殊ニ戦況(空襲ヲ含ム)ノ発表ハ率直且迅速ニ之ヲ為ス
(2)報道宣伝行事等ニ付テハ機宜ヲ捉フルコト及国民ノ感情ニ即セシムルコトニ特段ノ工夫ヲ凝ラス
(3)民間ヨリ自発的ニ起ル戦争完遂上有益ト認メラルル国民運動的行事ハ之ヲ活発ニ行ハシム
(4)大政翼賛会其ノ他ノ外郭団体ノ相互調整及活用ヲ図ルト共ニ宗教団体ヲ一層活用ス
(5)必要ニ応ジ政府ノ発言者モ国民ニ呼掛ク
(6)国民ノ声ヲ活発ニ上通セシムル為ノ措置ヲ講ズ
(三)輿論指導ヲ活発ナラシムル為防諜及言論集会ノ取締方針等ニ付必要ナル再検討ヲ加へ之ヲ刷新ス
(四)輿論指導ヲ効果アラシム為特ニ左ノ諸点ニ留意ス
(1)誤レル平等観ヲ国民ニ植付クルコトニ因リ共産主義思想ノ温床ヲ作ルガ如クスルコトナカラシムルト共ニ特定ノ職域ニ従事スルモノノ歓心ヲ買フガ如キコトハ之ヲ避ク
(2)国民生活ヲ不必要ニ圧迫セザル如クシ指導ヲ要セザルモノハ之ヲ其ノ発意ニ任ズ
(3)社会各界ノ指導者層ハ自ラ深ク反省シ大衆ヲシテ必勝ノ信念ニ疑惑ヲ生ゼシムルガ如キコトハ日常ノ言動ニ於テモ深ク戒心スルト共ニ軍官民一致団結ヲ阻害スルガ如キ諸事象ハ急速ニ之ヲ排除ス
備考
戦争遂行上抑制スベキ言論特ニ国体ニ対スル信仰ヲ動揺セシメ、軍事外交上ノ機密保持ニ支障ヲ生ジ、若ハ国内分裂ヲ招来スルガ如キモノ又ハ厭戦和平的ナルモノ等ニ対シテハ厳重ナル取締ヲ為スモノトス