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敗けたらどうなる? 敗戦国の惨状を見よ
太平洋戦争の戦局の悪化に悩む日本政府は、1944年10月6日、「決戦輿論指導方策要綱」を策定し、「敵愾心の激成」や「敵の苦境の暴露」を積極的に広報していく方針を決めます。この方針を具現化するため、大政翼賛会の調査部は総力をあげてアメリカ社会の退廃ぶりや非人間性を調べました。そして、それをまとめた秘密文書「一億憤激米英撃摧(げきさい)運動資料」をマスコミに配布するのです。
このアンチョコをもらったマスコミは、「鬼畜米英」などの言葉で怒濤のようにアメリカ批判を始めます。もっとも過激だったのが『主婦之友』でした。なかでも、昭和20年の新年号に掲載された「毒獣アメリカ女」と「敗けたらどうなる」の2本は特筆すべき内容でした。そこで、ともに全文を公開しておきます。
敗けたらどうなる? 敗戦国の惨状を見よ
飢えたる母子(おやこ)
"真っ青な朝には、イタリア人自慢の『私の太陽』(オー・ソレ・ミオ)が輝いていた。地中海の暖気を含んだ微風(そよかぜ)も吹いていた。だが、その太陽の光を浴びているのはもはやローマネスク建築の大伽藍でもなければ、南伊娘の健康な赤い頬でもなかった。見渡す限り、崩れ落ちた家の石壁と、焼け爛(ただ)れた裸の街路樹の荒野——微風も今はオリーヴの香(かぐわ)しい匂いを運んでは来ない。ものの饐(す)え腐ったような臭いがどことなく漂っているのみだ。
裏町の廃墟の中を歩いていた私は、ふと足を停めた。或(あ)る半壊の家に女がいるのを発見したからだ。硝子(ガラス)のない窓からバサバサの褐色の髪が覗いている。異様な興味を覚えた私は暫(しばら)く注視していた。が、それは少しも動かない。
私は壁の破れ目から中へ入ってみた。と——やっぱりその女は死んでいたのだ。骸骨のように痩せさらばえた身体にボロボロの衣服を纏(まと)い、台所の料理台に倚(よ)りかかったまま——おお、その足許には子供の死体が横たわっているではないか。
年のころ5〜6歳であろう。可愛いらしさのどこかに残るその頬はゲッソリとこけ、眼窩は抉(えぐ)りとったように落ち込んでいる。ズボンは穿(は)かず、シャツも殆(ほとん)ど形を止(とど)めていない。黄色く萎(しな)びた肉体の大部分が露わなのだ。
肋骨の1本1本が恐ろしく浮き出し、腹部は谷のように窪んで腹の皮膚は殆ど背にくっつきそうになっているのだ。まさしく餓死したものに違いない。惨(いたま)しい思いでその死骸を凝視(みつ)めていると——何ということだ、その乾(ひ)からびた腹部が、一瞬ふぅっと半ば膨んだではないか。そしてまたすぐ萎んでしまったのだ。
私は総身の毛が逆立つのを覚えて、思わず1〜2歩後退(あとずさ)りした。子供はまだ生きていたのだ。あれが末期の一呼吸だったのであろうか。
やや落着きを取戻した私は、あたりの様子を調べてみた。室(へや)の向うの隅に粗末な藁布団(わらぶとん)が床の上にじかにおいてある。母親の死体の手許にある鍋の底には、コチコチに乾(ひ)からびた饂飩(スパゲッティ)が3〜4本こびりついている。これですべてが読めた。体力の弱い子供の方が後まで生きていたところをみると、母親はずっと前から食事を摂らず、子供にだけ与えていたのだ。
そして、尽きようとする最後の力をふり絞って、子供のために最期の食事を作ってやろうとしながら、遂に斃(たお)れてしまったのだ。子供もベッドから這い出してお母さんの足許までは辿(たど)りついたものの、そこでとうとう動けなくなってしまったのである。
——何たる悲劇であろう。ダンテの『地獄』は、いまや南イタリアの白日下に現実の相(すがた)となって横(よこた)わっているのだ。"
これは、イタリアの米英占領地区から帰国した一中立国人の見聞談の一節である。羊の仮面を被った狼ルーズベルト、チャーチルの、『聯合国の目的はイタリアを再び国民の国家に立ち還らせ、和気藹々(あいあい)たる欧州の尊敬すべき一員とすることである。』とか、『イタリアは再びイタリアに帰属すべきもので、イタリア国民がドイツを自国から放逐し、ファシスト政権を打倒するならば、その欲する形態の政府を組織する自由を容認する』などという甘い言葉にひっかかり、戦い半ばにして武器を投げ棄てたイタリアが、、かの狼共から与えられたご褒美の正体がこれだったのである。
米英軍がこうしたのだ
ドイツ軍がローマの戦線を固めていた頃は、血の出るような軍の兵站(へいたん)補給用のトラックを割いて夜な夜なローマ市民のために、1日あたり800噸(トン)もの食糧を運んでやったものだ。ところが、米英軍がここを占領してから、この自称『人類解放の騎士たち』は果して何をしたか。
彼らは第1に40億リラに上る軍票を印刷してそれで重要物資を買い占めた。しかも戦前1ドル約20リラに相当していたのを、1ドル100リラの率で流通させたのである。物価は忽(たちま)ち暴騰し、食糧を初めとする諸物資が欠乏のどん底に陥ってしまった。
小麦生産額の3分の1は米英軍に奪われるので、パンの配給は1日わずか75グラム(20匁)に過ぎなくなった。ほんの一片(ひときれ)なのだ。
恐ろしい飢餓の嵐が襲って来た。まづ赤(ん)坊が木片(きぎれ)のように痩せこけて斃れ始めた。次に幼児達が饑(ひも)じい饑じいと泣き叫びながら蜉蝣(かげろう)のように死んでいった。アメリカの針工組合副組合長ルイジ・オルランディニは、米英占領下のイタリアを視察しして帰国し、次のような講演をしている。
"反枢軸軍占領下のイタリアは、大量失業、飢饉、淫売、犯罪の4つで代表されると言ってよい。赤坊の実に95パーセントまでが栄養不足で死んでいる。婦人達は続々売笑婦になっている。男子の殆ど全部は失業者で、漸く仕事を見つけた場合でも、1日働いて得る金は僅(わず)かに30リラに過ぎず、紙巻煙草1本も買えない。
1食の値段は350リラから500リラもするのだ。遺憾ながらイタリアの状態はドイツ軍が占領していた時代の方が遙かによかったと認めなければならぬ"と。
ローマ市内には俄(にわ)か乞食が氾濫している。相当な服装(みなり)をした紳士までが物乞いをして歩いているのだ。主婦達がパン屋を襲撃して略奪をやり、血の雨を降らすのは毎日のことである。ファシストの虐殺はローマ市内でも白昼公然と行われ、全くの無政府状態を呈しているのだ。
警備治安の任に当るべき米英兵は一体何をやっているのか。素質の極度に悪い彼らは酒を食(くら)って街をノシ歩き、哀れな民衆を『この宿無し奴等(めら)』と小突き回し、足蹴にかけ、面白がって半殺しにする。婦女子に対する暴行は彼らのお家芸だ。
さらぬだに、食に飢えた婦人達は続々と夜の女になり下(さが)り、昨日の敵に身を売っているのだ。
米英軍が入り込んでから、忌わしい花柳病は以前の7.6倍という激増ぶりを示した。フィレンツェ市では性病蔓延のため米第88、91師団の兵士共は市から隔離されているというが、この一事でも、彼らの乱脈ぶりが想像できるではないか。
死にまさる苦痛に閉ざれて
ニューヨーク発行の『アメリカン・トラヴラ』紙はこんな記事を掲げている。
"反枢軸軍がシチリアを占領してから8ヶ月後にわれわれはパレルモに上陸した。波止場で第1に遭ったのは、叫喚の声を挙げながらわれわれに向って殺到して来る子供達であった。『食べるものをおくれ』『何でもいいからおくれよ』と彼らは口々に叫ぶのだった。
自動車がホテルの前に停るや否や、別の子供の群(むれ)が襲いかかって来た。こうした出来事はわれわれが訪れたあらゆる土地で繰返された。到(いた)るところ、空腹を抱え、襤褸(ぼろ)を下げた子供の群のさまようのを見受けぬことはない。
彼らは夜は廃墟に潜り込み、或(あるい)は露天で眠っている。シチリアの子供は全部乞食か泥坊になってしまっている。既に多くの殺人事件があったが、真犯人はつかまらない。が、その犯人がこのような寄辺(よるべ)ない子供の群にいると推定するのは、決して理由のないことではない。"
だが、乞食をしようと、泥坊をしようと、食糧の絶対量が殖えぬ限り、遂には、『飢餓』に喉首(のどくび)をつかまえられるより仕方はない。米国側の報道によっても、占領下のイタリアの子供の45パーセントが餓死し、昨年の6月の餓死者2500余名、7月もほぼ同数というから、これを1月平均の餓死者数と推定してもいいであろう。
『ガゼット・ローザンヌ』紙は、"ナポリ付近に於てさえ、一昨年9月以来栄養不足により11万人が死んだ。"と報じている。チフス、コレラなどの伝染病は恐ろしい勢(いきおい)で蔓延し、既に十数万人の民衆がろくろく薬も飲まず、看護(みとり)も受けずに死んでいるし、結核患者の数は1938年の6万から今日では20万に上っているのだ。
死んでゆく者はむしろ幸福かも知れない。空しく生き永らえて奴隷の境遇に落ち、来る日も来る日も過酷な労働と情(なさけ)容赦もないアングロサクソン共の笞(しもと)の下に暮そうよりは——米英軍がイタリア艦隊を接収した時のことであった。彼らは接収艦隊を空艦(からぶね)で回航するのは勿体(もったい)ないというので、どうするつもりか15〜16歳のイタリア少年を多数拉致して行ったのだ。
どこへ連れて行かれるのか、何をされるのか、恐らくこれが生別(いきわか)れであろう——少年達の母親は波止場に向かう行列の周囲で泣き叫びながら従(つ)いて行った。いよいよ乗船という時が来た。母親達はもう半狂乱となってわが子をしっかと抱きしめ、身も世もあらず泣き崩れるのだった。それを見るや、米英の水兵達はやにわに銃を振り上げた。
『喧(やかま)しいッ。離れろッ』——彼らは銃の台尻で母親を力任せに殴り飛ばして回ったのだ。
気を失って地べたに俯伏(うつぶ)したままの母親、泣き喚(わめ)きながらボートに乗せられてゆく子——ああ、これが20世紀の文明国に於て見ることのできる光景であろうか。まさしく海賊の末裔共は、いまその本性を露骨に発揮し始めたのである。
敗戦国の運命に例外なし
このような惨劇はひとりイタリアのみに現出しているのではない。或は敵の武力に屈服し、或は恫喝に怯(おび)え、或は巧みな口車に乗って、神聖な同盟を裏切り、戦列から脱落していった国々がいづれも同様な運命を辿っているのだ。
フランスでは、ドイツ占領時代にドイツに協力していた人民の大量銃殺が行われている。ドイツ贔屓だった女の髪を切って丸坊主にしたり、額へハーケンクロイツ(卐)の烙印を捺したりする残忍行為が頻発している。
フィンランドにも、ベルギーにも暗澹たる飢えと寒気がひしひしと迫っている。
ルーマニアでも、バルト3国でも、逮捕、拉致、銃殺、虐殺が相次ぎ、リトアニアでは特にチェッコ人の残虐行為が頻発しているという。6月12日にはパラナヴァスの住民全部が虐殺され、ビルシェでも同様の惨劇が行われ、8月6日には某市で630人の住民がこれまた哀れな最期を遂げたと『毎日』のベルリン特派員は報道している。
ああ、戦争には絶対に敗けてはならない。敗けた者は、どんな仕打ちを受けようとなす術はないのだ。しかも、アングロサクソン共の口に唱えることと実際とが如何(いか)に相違するかは、以上に述べた現在の占領地域に於ける惨状がまざまざと証拠立てている。
だが、万一、——それは想像だもできないことだが——日本が彼らの前に兜を脱いだと仮定したとき、彼らのやり方がこの程度のものだと考えたら実に実に大きな間違いである。なぜならば、以上の諸国の民族は、みな白人種であり、日本人は有色人種であるからだ。彼らは、彼らが吐いている『日本人抹殺』を懸値(かけね)なしに実行しようと考えているに違いないのだ。
それだけにわれわれの楽しみもまた大きい。石に囓(かじ)りついてでも勝とう。そして最後の勝利を得たその日には、彼らの傲慢なる額の上に『敗戦者』の烙印をいやというほど押し当ててやろうではないか。その日を思えば、日々の勤労も、生活も、また愉しいものではないか。
(『主婦之友』昭和20年新年号)
制作:2012年12月3日
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