衛生展覧会へ行こう!
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江戸川乱歩の『悪魔の紋章』に、こんな場面があります。
《場内(衛生展覧会)の一半には医療器械、一半には奇怪な解剖模型や、義手義足や、疾病模型の蝋人形などが陳列してある。3人はそれらの陳列棚の間を、ぐるぐると忙しく歩き回った。
毒々しい赤と青で塗られた、4斗樽ほどもある心臓模型、太い血管で血走ったフットボールほどの眼球模型、無数の蚤(のみ)がはいまわっているような脳髄模型、等身大の蝋人形をから竹割りにした内臓模型、長く見つめていると吐きけを催すような、それらのまがまがしい蝋(ろう)細工の間を、3人はわき目もふらず歩いていく》
衛生展覧会とは、1887年(明治20年)の「衛生参考品展覧会」(東京・築地)を皮切りに、昭和40年頃まで、日本各地で開催された「衛生思想啓発」のための展覧会のことで、衛生博覧会ともいいました。
伝染病や性病などの危険から体を守り、予防知識を普及させる——という立派な目的があったんですが、そこはそれ、イベントなんで、展示内容がどんどんえげつなくなっていきます。
たとえば、「梅毒になった女性器」「強姦殺人の現場再現」みたいな感じで、公然と性器やら裸体が展示されていて、当たり前のことながら大人気となったわけです。
面白いのは、こうした展覧会が学術目的・治安維持といった大義があるため、実は警察主催も多かったんですね〜。やっぱり性に関しては、どこか「抜け道」がないとマズイのかもしれません。
というわけで、いざ、衛生展覧会へ! と言いたいのだけど、正直いって資料があんまり見つかりません。やっぱりえげつなさすぎて、誰もちゃんと記録しようなんて思わなかったんでしょうか??
とりあえず手元の資料から、「戦捷記念全国衛生博覧会」(大正8年、京都岡崎公園)の写真を公開しときますが、残念ながら中身はまとも。
そして、これがまったく内容不明の「泉殿」。中央は多分、蝋人形ですが……。
泉殿
『〈清潔〉の近代』という本に、この展覧会の主な展示物が書いてあるんで引用しておくと、ビール過飲心臓、子宮炸裂、コレラ小腸、天然痘皮膚、トラホーム模型、花柳病模型、淋病男局部のウミ……やっぱりけっこうえげつない(笑)。
さてさて、展示された人形や模型は、多くが蝋でできていました。蝋人形を展示するということは、当然、作る業者もいるわけで、有名だったのが京都の島津源蔵という人物。
彼は1891年(明治24年)に動植物の標本教材を作り始め、1909年(明治42年)、蝋による人体解剖模型の制作に成功したといいます。この会社が島津製作所、先日、社員がノーベル賞を受賞した会社ですね。
人に歴史あり、そして企業にも歴史あり、なのでした。
制作:2002年11月24日
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