FAXの歴史
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FAXの誕生
「電送写真」を視察する小泉又次郎逓信大臣
(小泉純一郎元首相の祖父)
ファクシミリ(ファクス)が発明されたのは意外に早く、日本で言えば天保14年(1843年)のことでした。発明したのはイギリスのアレクサンダー・ベイン。モースの
電信機
発明の5年後で、ベルの電話機発明より33年も前のことでした。
ファクシミリの語源はラテン語のfac simileで、英語のmake similar、つまり「同じものを作る」という意味なんだとか。
日露戦争の日本海海戦で、連合艦隊が
国産の無線技術
で大活躍した翌年の1906年、ドイツではミュンヘン大学のコルン教授が写真の電送に成功しています。ほぼ同時にフランスの発明家ベランも成功、この2つが最初期の写真伝送実験です。
写真電送はその後、1922年頃に実用化しますが、日本に入ってきたのはいったいいつなのか?
答えは大正13年(1924)6月のことでした。
大阪毎日新聞と東京日日新聞が日本で初めてコルン式の電送写真機を3台購入。東京で実験を繰り返しますが、機械が複雑すぎて、なかなか安定した成果は得られませんでした。
次いで、昭和3年(1928)6月、今度は構造が単純で扱いやすいベラン式の電送機を3台購入したところ、実験はとてもうまくいきました。勢いに乗って東京〜大阪間の実験も成功、日本初の写真電送による報道が行われたのです。
一方、速報競争で負けられない朝日新聞社はコルン式の電送写真機を導入していましたが、こちらはやはりなかなかうまくいきませんでした。
実は、両新聞社が相次いで電送機を導入したのは理由があります。昭和3年11月10日、昭和天皇の即位式という大イベントが京都で行われることが決まっていたからです。当時の速報は飛行機によるフィルムの空輸以外になく、電送写真の成否には社運がかかっていたのです。
昭和3年11月6日、皇居を出発する昭和天皇
ちょうどそのころ、日本電気(NEC)の丹羽保次郎と小林正次によって、国産初のNE式写真電送機が完成します(昭和3年8月10日、東京〜大阪間の電送実験に成功)。
この国産機は非常に性能が高く、大阪毎日新聞と東京日日新聞は輸入したばかりのベラン式を廃棄、NE式の導入を即断し、京都と東京と大阪に設置しました。
NE式を開発した丹羽博士
さて、速報合戦は11月6日、昭和天皇が京都に向かって皇居を出発するときから始まりました。大毎と東日は、朝7時10分に二重橋前で撮影した写真を、8時には大阪に電送することに成功、圧倒的な早さの号外を出しました。
NE式の性能に驚いた朝日と同盟通信は、即座にNE式の導入を決めたのでした。
昭和5年、逓信省はこの写真電送技術を一般向けに公開、「写真電報」という名称でサービスを開始します。ちなみに料金は大8円、中5円、小3円というとても高価なものでした。
ここで一応簡単に、写真電送の仕組みを解説しておきましょう。NE式の開発者、丹羽保次郎が自ら次のように説明しています。
《(上の)図のような絵を東京から大阪へ送るという場合、まず絵を多くのコマに分け、コマ全部に123……と番号をつけておく。同時に大阪では白紙に同様にコマを作り、各コマに同じく番号を付しておく。そして、東京の人が電話か電信で「1は白、2は白……5は黒……50は白……」というように各コマの白黒を知らせてやる。
写真電送の原理はこの操作を自動的に行わせるものと思えばよい》(『最新新語新知識』1932年)
日本〜ドイツ間の第1回電送実験で送られた写真
写真電送は有線から無線に進化しますが、続いて海外との伝送に応用されていきます。そのきっかけが昭和11年(1936)のベルリン・オリンピックでした。開催直前、
ベルリン中央電信局ーナウエン送信所ー埼玉県小室受信所ー東京中央電信局
の無線通信回線が開き、見事にオリンピックが国際中継されたのでした。
中央電信局と、小室からの有線電送を受け取る局員
逓信省と、逓信省工務課の受信試験
当時の中央電信局の回線と、回線を結ぶ職員たち
(当時すでにグアム・ミッドウェー経由で、米本土までの
海底ケーブル
が設置済)
その後、両国は正式に電送業務を開始、このときNE式も実験され、大成功を収めました。NE式の第1回実験(日本時間8月26日)では、ヒトラー総統が日本の技術力を祝福したファクスを送ってきています。
両国の関係はこうして深まり、11月、ついに日独防共協定が締結されたのでした。
NE式の初回実験で送られたヒトラーの祝電
(1936年8月24日付。実験はドイツ時間25日なので、前日にメッセージを書いたことになります)
さて、昭和12年になると、NE式は携帯端末となってどこへでも持ち運びが可能となり、日中戦争の報道に非常に大きな役割を演じます。
また、NECの無線技術は高く評価され、後に日本陸軍の無線・通信設備を完全に独占することになるのでした(海軍は日本無線)。
戦場で活躍する東京日日新聞の無電技師
ちなみに、NE式を開発した丹羽保次郎は、戦時中、電波探知機などの研究をしますが、戦後は東京電機大学の初代学長になっています。丹羽は「経済関係を度外視すれば、日本人の発明能力は決して外国人に劣らない」という信念を持っていたそうです。
制作:2008年3月2日
<おまけ1>
現在、ファックスには4グループの国際基準があります。
・G1 電話回線を使い、データ圧縮しない。A4を6分で電送
・G2 電話回線を使い、データ圧縮する。A4を3分で電送
・G3 電話回線を使い、高度にデータ圧縮。A4を1分で電送
・G4 デジタルによるエラーのない通信。A4を3秒で電送
<おまけ2>
日本SFの始祖の1人とされる海野十三は、『宇宙女囚第一号』という科学小説で、次のように書いています。
《「……テレビジョンとか電送写真とかは、いまもいったとおり平面である写真を遠方に送るのであるが、わしの発明した電子機では、立体を送ったりまた受けたりするのさ」
「立体を送ったり受けたりといいますとーー」
僕にはなんのことだか分らないので、問いかえした。
「つまり物体をだね、たとえばここに鉄の灰皿がある。これを電気的方法によって遠方へおくったり、また遠方にあるアルミニュームの金だらいを電気的方法によってここへ持ってきたりするのさ。あっはっはっ、いっこう解せぬという顔つきだね。考えだけならなんでもないではないか。平面がテレビジョンや電送写真として送れるものなら、立体もまた送ったり受けたりできるわけではないか」》
将来、「立体電送」ができれば最高ですね!