太平洋戦争への道
宣戦の大詔


国立公文書館


 日本が泥沼の戦争に巻き込まれたのは、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃が発端です。それに先だって(実際は後になったけど)「宣戦の大詔」が発せられました。イギリスとアメリカへの宣戦布告です。以後、日本軍は敗戦への道を突っ走ることになるのです。
 日本にとって12月8日とは何だったのかを再検証するために、まずは「宣戦の大詔」を読んでみましょう。



米英両国ニ対スル宣戦ノ大詔


 天佑ヲ保有シ万世一系ノ皇祚ヲ践(ふ)メル大日本帝国天皇ハ昭(あきらか)ニ忠誠勇武ナル汝(なんじ)有衆(ゆうしゅう)ニ示ス

 朕(ちん)茲(ここ)ニ米国及英国ニ対シテ戦ヲ宣ス朕カ陸海将兵ハ全力ヲ奮テ交戦ニ従事シ朕カ百僚有司ハ励精職務ヲ奉行シ朕カ衆庶ハ各々其ノ本分ヲ盡(つく)シ億兆一心国家ノ總力ヲ挙ケテ征戦ノ目的ヲ達成スルニ遺算ナカラムコトヲ期セヨ

 抑々(そもそも)東亜ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄与スルハ丕顕(ひけん)ナル皇祖考丕承(ひしょう)ナル皇考ノ作述セル遠猷(えんゆう)ニシテ朕カ拳々措(お)カサル所而シテ列国トノ交誼ヲ篤クシ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ之亦帝国カ常ニ国交ノ要義ト為ス所ナリ今ヤ不幸ニシテ米英両国ト釁端(きんたん)ヲ開クニ至ル洵(まこと)ニ已ムヲ得サルモノアリ豈(あに)朕カ志ナラムヤ中華民国政府曩(さき)ニ帝国ノ真意ヲ解セス濫(みだり)ニ事ヲ構ヘテ東亜ノ平和ヲ攪乱(かくらん)シ遂ニ帝国ヲシテ干戈(かんか)ヲ執ルニ至ラシメ茲ニ四年有余ヲ経タリ幸ニ国民政府更新スルアリ帝国ハ之ト善隣ノ誼(よしみ)ヲ結ヒ相提攜(ていけい)スルニ至レルモ重慶ニ残存スル政権ハ米英ノ庇蔭(ひいん)ヲ恃(たの)ミテ兄弟尚未タ牆(かき)ニ相鬩(せめ)クヲ悛(あらた)メス米英両国ハ残存政権ヲ支援シテ東亜ノ禍乱(からん)ヲ助長シ平和ノ美名ニ匿(かく)レテ東洋制覇ノ非望ヲ逞(たくまし)ウセムトス剰(あまつさ)ヘ与国ヲ誘(いざな)ヒ帝国ノ周辺ニ於テ武備ヲ増強シテ我ニ挑戦シ更ニ帝国ノ平和的通商ニ有ラユル妨害ヲ与ヘ遂ニ経済断交ヲ敢テシ帝国ノ生存ニ重大ナル脅威ヲ加フ朕ハ政府ヲシテ事態ヲ平和ノ裡(うち)ニ回復セシメムトシ隠忍(いんにん)久シキニ弥(わた)リタルモ彼ハ毫(ごう)モ交譲(こうじょう)ノ精神ナク徒(いたずら)ニ時局ノ解決ヲ遷延セシメテ此ノ間却ツテ益々経済上軍事上ノ脅威ヲ増大シ以テ我ヲ屈従セシメムトス斯(かく)ノ如クニシテ推移セムカ東亜安定ニ関スル帝国積年ノ努力ハ悉(ことごと)ク水泡ニ帰シ帝国ノ存立亦正ニ危殆(きたい)ニ瀕セリ事既ニ此ニ至ル帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為蹶然(けつぜん)起(た)ツテ一切ノ障礙(しょうがい)ヲ破砕スルノ外ナキナリ

 皇祖皇宗ノ神霊上ニ在リ朕ハ汝有衆ノ忠誠勇武ニ信倚(しんい)シ祖宗ノ遺業ヲ恢弘(かいこう)シ速ニ禍根ヲ芟除(さんじょ)シテ東亜永遠ノ平和ヲ確立シ以テ帝国ノ光栄ヲ保全セムコトヲ期ス


 昭和十六年十二月八日



 いやー難解ですねー。まぁ、今の時代、全文理解できる人のほうが珍しいと思います。
 つづいて、この大詔を受けて、当時の東條英機首相が国民に語りかけた演説。こちらはラジオで流されたものなので、非常にわかりやすい文章です。



東條英機首相「大詔を拝し奉りて」
1941年12月8日放送 

 只今宣戦の 御詔勅が渙発せられました。
 精鋭なる帝国陸海軍は今や決死の戦を行ひつつあります。
 東亜全局の平和は、これを熱願する帝国の凡(あら)ゆる努力にも拘らず、遂に決裂の已むなきに至つたのであります。

 過般来、政府は、あらゆる手段を尽し対米国交調整の成立に努力して参りましたが、彼は従来の主張を一歩も譲らざるのみならず、却(かえっ)て英、蘭、支と聯合して支那より我が陸海軍の無条件全面撤兵、南京政府の否認、日独伊三国条約の破棄を要求し、帝国の一方的譲歩を強要して参りました。これに対し帝国は飽く迄平和的妥結の努力を続けましたが、米国は何等(なんら)反省の色を示さず今日に至りました。若(も)し帝国にして彼等の強要に屈従せんか、帝国の権威を失墜し支那事変の完遂を期し得ざるのみならず、遂には帝国の存立をも危殆に陥らしむる結果となるのであります。

 事茲(ことここ)に至りましては、帝国は現下の危機を打開し、自存自衛を全うする為め断乎として起ち上るの已むなきに至つたのであります。
 今宣戦の 大詔を拝しまして恐懼感激に堪へず、私不肖なりと雖(いえど)も一身を捧げて決死報国、唯々 宸襟を安んじ奉らんと念願のみであります。国民諸君も亦(また)、己が身を顧みず、醜(しこ)の御楯(みたて)たるの光栄を同じくせらるるものと信ずるものであります。

 凡(およ)そ勝利の要訣は、「必勝の信念」を堅持することであります。建国二千六百年、我等は、未だ嘗つて戦ひに敗れたるを知りません。この史績の回顧こそ、如何なる強敵をも破砕するの確信を生ずるものであります。我等は光輝ある祖国の歴史を、断じて、汚さざると共に、更に栄ある帝国の明日を建設せむことを固く誓ふものであります。顧みれば、我等は今日まで隠忍と自重との最大限を重ねたのでありますが、断じて安きを求めたものでなく、又敵の強大を惧(おそ)れたものでもありません。只管(ひたすら)、世界平和の維持と、人類の惨禍の防止とを顧念したるに外(ほか)なりません。而(しか)も、敵の挑戦を受け祖国の生存と権威とが危きに及びましては、蹶然(けつぜん)起たざるを得ないのであります。

 当面の敵は物資の豊富を誇り、これに依つて世界の制覇を目指して居るのであります。この敵を粉砕し、東亜不動の新秩序を建設せむが為には、当然長期戦たることを予想せねばなりませぬ。これと同時に、絶大の建設的努力を要すること言を要しませぬ。斯(か)くて、我等は飽く迄、最後の勝利が祖国日本にあることを確信し、如何なる困難も障碍も克服して進まなければなりません。是(これ)こそ、昭和の臣民(みたみ)我等に課せられたる天与の試煉であり、この試煉を突破して後にこそ、大東亜建設者としての栄誉を後世に担ふことが出来るものであります。

 この秋に当り満洲国及び中華民国との一徳一心の関係愈々(いよいよ)敦(あつ)く、独伊両国との盟約益々堅きを加へつつあるを、欣快とするものであります。帝国の隆替、東亜の興廃、正に此の一戦に在り、一億国民が一切を挙げて、国に報ひ国に殉ずるの時は今であります。八紘を宇と為す 皇謨(こうぼ)の下に、此の尽忠報国の大精神ある限り、英米と雖も何等惧(おそ)るるに足らないのであります。勝利は常に 御稜威(みいつ)の下にありと確信致すものであります。

 私は茲(ここ)に、謹んで微衷を披瀝し、国民と共に、大業翼賛の丹心を誓ふ次第であります。



 最後に、この日の朝日新聞の社説を一部引用しておきます。

《いま宣戦の大詔を拝し、恐懼(きょうく)感激に耐へざるとともに、粛然として満身の血のふるへるを禁じ得ないのである。一億同胞、戦線に立つものも、銃後を守るものも、一身一命を捧げて決死報国の大義に殉じ、もつて宸襟(しんきん=天子の御心)を安んじ奉るとともに、光輝ある歴史の前に恥ぢることなきを期せねばならないのである》



 なんとも悲壮な決意が感じられますね。


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