柳田国男『遠野物語』より「神隠し」全文


 かつて農村で、子供が突然行方不明になることを「神隠し」といいました。一般に天狗にさらわれたなどといって、村中総出で鉦(かね)や太鼓、枡(ます)の底をたたいて探し回ります。しかし、普通は見つからず、数年経ってひょっこり帰ってきたりするのです。
 東北地方では大人の女が急に姿を消すことが多く、それはたいてい山男に連れ去られ、女房になったとされています。
 大人の場合は一度は村に帰ってきますが、その後、行方は杳として知れないことが多いのです。

 そんなわけで、柳田国男の『遠野物語』から「神隠し」関連の文章を全文公開しておきます。



●第7段(遠野物語)
 上郷村の民家の娘、栗を拾ひに山に入りたるまま帰り来たらず。家の者は死したるならんと思ひ、女のしたる枕を形代(かたしろ)として葬式を執り行なひ、さて2〜3年を過ぎたり。

 しかるにその村の者猟をして五葉山(ごえふざん)の腰のあたりに入りしに、大なる岩の蔽(おお)ひかかりて岩窟のようになれるところにて、はからずこの女に逢ひたり。互いに打ち驚き、いかにしてかかる山にはゐるかと問へば、女の曰(いは)く、山に入りて恐ろしき人にさらはれ、こんな所に来たるなり。逃げて帰らんと思へど、いささかの隙もなしとのことなり。
 
 その人はいかなる人かと問ふに、自分には並の人間と見ゆれど、ただ丈(たけ)きはめて高く眼の色少し凄しと思はる。子供も幾人か生みたれど、われに似ざれば我子にはあらずといひて食ふにや殺すにや、みないづれへか持ち去りてしまふなりといふ。

 まことにわれわれと同じ人間かと押し返して問へば、衣類なども世の常なれど、ただ眼の色少しちがへり。一市間(ひといちあひ)に1度か2度、同じやうなる人4〜5人集まりきて、何事か話をなし、やがて何方(いづかた)へか出て行くなり。食物など外より持ち来たるを見れば町へも出ることならん。

 かく言ふうちにも今にそこへ帰つて来るかも知れずといふゆゑ、猟師も怖ろしくなりて帰りたりといへり。20年ばかりも以前のことかと思はる。
 
 ※一市間は遠野の町の市の日と次の市の日の間なり。月6度の市なれば一市間はすなはち5日のことなり。

●第109段(遠野物語拾遺)
 遠野町の某という若い女が、夫と夫婦喧嘩をして、夕方門辺に出てあちこちを眺めていたが、そのままいなくなった。神隠しに遭ったのだといわれていたが、その後ある男が千磐(せんばん)が岳へ草刈りに行くと、大岩の間からぼろぼろになった著物(着物)に木の葉を綴り合わせたものを著た、山姥のような婆様が出て来たのに行き逢った。

 お前はどこの者だというので、町の者だと答えると、それでほ何町の某はまだ達者でいるか、俺はその女房であった
が、山男にさらわれて来てここにこうして棲んでいる。お前が家に帰ったら、これこれの処にこんな婆様がいたっけということを言伝(ことづて)してけろ。俺も遠目からでもよいから、夫や子供に一度逢って死にたいと言ったそうである。

 この話を聞いて、その息子に当たる人が多勢の人たちを頼んで千磐が岳に山母を尋ねて行ったが、どういうものかいっこう姿を見せなかったということである。

●第110段(遠野物語拾遺)
 前に言った遠野の村兵という家では、胡瓜(きゅうり)を作らぬ。そのわけは、昔この家の厩別(まやべつ)家に美しい女房がいたが、ある日裏の畠へ胡瓜を取りに行ったまま行方不明になった。そうしてその後に上郷(かみごう)村の旗屋の縫が六角牛山に狩りに行き、ある沢辺に下りたところが、その流れに1人の女が洗濯をしていた。

 よく見るとそれは先年いなくなった厩別家の女房だったので、立ち寄って言葉を掛け、話をした。その話に、あの時自分は山男に攫(さら)われて来てここに棲んでいる。夫はいたって気の優しい親切な男だが、きわめて嫉妬深いので、
そればかりが苦の種である。

 今は気仙沼の浜に魚を買いに行って留守だが、あそこまではいつも半刻ほどの道のりであるから、今にも帰って来よう。けっしてよい事はないから、どうぞ早くここを立ち去ってくだされ。そうして家に帰ったら、私はこんな山の中に無事にいるからと両親に伝えてくれと頼んだという。それからこの家では胡瓜を植えぬのだそうである。

●第139段(遠野物語拾遺)

 青笹村大字中沢の新蔵という家の先祖に、美しい1人の娘があった。ふと神隠しにあって3年ばかり行方が知れなかった。家出の日を命日にして仏供養(ほとけくよう)などを営んでいると、ある日ひょっくりと家に帰って来た。

 人々寄り集まって今までどこにいたかと聞くと、私は六角牛山の主(ぬし)のところに嫁に行っていた。あまり家が恋しいので、夫にそう言って帰って来たが、またやがて戻って行かねばならぬ。私は夫から何事でも思うままになる宝物をもらっているから、今にこの家を富貴にしてやろうと言った。

 そうしてその家はそれから非常に裕福になったという。その女がどういうふうにして再び山に帰って往ったかは、こ
の話をした人もよくは聴いていなかったようである。

●第140段(遠野物語拾遺)
 遠野の裏町に、こうあん様という医者があって、美しい1人の娘を持っていた。その娘はある日の夕方、家の軒に出て表通りを眺めていたが、そのまま神隠しになってついに行方が知れなかった。

 それから数年の後のことである。この家の勝手の流し前から、一尾の鮭が跳ね込んだことがあった。家ではこの魚を神隠しの娘の化身であろうといって、それ以来いっさい鮭は食わぬことにしている。今から70年ばかり前の出来事であった。
(底本:角川ソフィア文庫)


柳田國男『遠野物語』より
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制作:2013年1月4日
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