柳田国男『遠野物語』より「座敷童子と家の盛衰」全文
●第17段(遠野物語)
旧家にはザシキワラシといふ神の住みたまふ家少なからず。この神は多くは12〜13ばかりの童児なり。をりをり人に姿を見することあり。土淵村大字飯豊(いひで)の今淵勘十郎といふ人の家にては、近き頃高等女学校にゐる娘の休暇にて帰りてありしが、ある日廊下にてはたとザシキワラシに行き逢ひ大いに驚きしことあり。これはまさしく男の児なりき。
同じ村山口なる佐々木氏にては、母人ひとり縫物をしてをりしに、次の間にて紙のがさがさといふ音あり。この室は家の主人の部屋にて、その時は東京に行き不在の折なれば、怪しと思ひて板戸を開き見るに何の影もなし。暫時(しばらく)の間 坐(すわ)りてをればやがてまたしきりに鼻を鳴らす音あり。
さては座敷ワラシなりけりと思へり。この家にも座敷ワラシ住めりといふこと、久しき以前よりの沙汰なりき。この神の宿りたまふ家は富貴自在なりといふことなり。
●第18段(遠野物語)
ザシキワラシまた女の児なることあり。同じ山口なる旧家にて山口孫左衛門といふ家には、童女の神2人いませりといふことを久しく言い伝へたりしが、ある年同じ村の何某といふ男、町より帰るとて留場(とめば)の橋のほとりにて見馴(みな)れざる2人のよき娘に逢へり。
物思はしき様子にて此方へ来る。お前たちはどこから来たと問へば、おら山口の孫左衛門が処(ところ)からきたと答ふ。これからどこへ行くのかと聞けば、それの村の何某が家にと答ふ。その何某はやや離れたる村にて、今も立派に暮らせる豪農なり。
さては孫左衛門が世も末だなと思ひしが、それより久しからずして、この家の主従20幾人、茸(きのこ)の毒にあたりて1日のうちに死に絶え、7歳の女の子1人を残せしが、その女もまた年老いて子なく、近き頃病みて失せたり。
●第19段(遠野物語)
孫左衛門が家にては、ある日梨の木のめぐりに見馴れぬ茸のあまた生えたるを、食はんか食ふまじきかと男共の評議してあるを聞きて、最後の代の孫左衛門、食はぬがよしと制したれども、下男の1人がいふには、いかなる茸にても水桶の中に入れて苧殻(をがら)をもちてよくかき廻して後 食へばけつしてあたることなしとて、一同この言に従ひ家内ことごとくこれを食ひたり。
7歳の女の児はその日外に出でて遊びに気を取られ、昼飯を食ひに帰ることを忘れしために助かりたり。不意の主人の死去にて人々の動転してある間に、遠き近き親類の人々、あるひは生前に貸しありといひ、あるひは約束ありと称して、家の貨財は味噌(みそ)の類までも取り去りしかば、この村草分(くさわけ)の長者なりしかども、一朝にして跡方もなくなりたり。
●第20段(遠野物語)
この兇変の前にはいろいろの前兆ありき。男ども苅り置きたる秣(まぐさ)を出すとて三ツ歯の鍬(くは)にて掻きまわせしに、大なる蛇を見出したり。
これも殺すなと主人が制せしをも聴かずして打ち殺したりしに、その跡より秣の下にいくらともなき蛇ありて、うごめきいでたるを、男ども面白半分にことごとくこれを殺したり。さて取り捨つべき所もなければ、屋敷の外に穴を掘りてこれを埋め、蛇塚を作る。その蛇は簣(あじか)に何荷(なんが)ともなくありたりといへり。
●第21段(遠野物語)
右の孫左衛門は村には珍しき学者にて、常に京都より和漢の書を取り寄せて読み耽(ふけ)りたり。少し変人といふ方なりき。狐と親しくなりて家を富ます術を得んと思ひ立ち、まづ庭の中に稲荷の祠(ほこら)を建て、自身京に上りて正一位の神階を請(う)けて帰り、それよりは日々1枚の油揚を欠かすことなく、手づから社頭に供へて拝をなせしに、後には狐馴(な)れて近づけども逃げず。
手を延ばしてその首を抑へなどしたりといふ。村にありし薬師の堂守(どうもり)は、わが仏様は何物をも供へざれども、孫左衛門の神様よりは御利益ありと、たびたび笑いごとにしたりとなり。
●第87段(遠野物語拾遺)
綾織村砂子沢(いさござわ)の多左衛門どんの家には、元御姫様の座敷ワラシがいた。それがいなくなったら家が貧乏になった。
●第88段(遠野物語拾遺)
遠野の町の村兵(むらひょう)という家には御蔵(おくら)ボッコがいた。籾殻などを散らしておくと、小さな児の足跡がそちこちに残されてあった。後にそのものがいなくなってから、家運は少しずつ傾くようであったという。
●第89段(遠野物語拾遺)
前にいう砂子沢でも沢田という家に、御蔵ボッコがいるという話があった。それが赤塗りの手桶などをさげて、人の目にも見えるようになったら、カマドが左前になったという話である。
●第90段(遠野物語拾遺)
同じ綾織村の字大久保、沢某という家にも蔵ボッコがいて、時々糸車をまわす音などがしたという。
●第91段(遠野物語拾遺)
附馬牛村のある部落の某という家では、先代に1人の六部(巡礼僧)が来て泊って、そのまま出て行く姿を見た者がなかったなどという話がある。近頃になってからこの家に10になるかならぬくらいの女の児が、紅(あか)い振袖を着て紅い扇子(せんす)を持って現われ、踊りを踊りながら出て行って、下窪という家にはいったという噂がたち、それからこの両家がケエッチヤ(裏と表)になったといっている。その下窪の家では、近所の娘などが用があって不意に行くと、神棚の下に座敷ワラシがうずくまっていて、びっくりして戻って来たという話がある。
●第92段(遠野物語拾遺)
遠野の新町の大久田某という家の、2階の床の間の前で、夜になると女が髪を梳いているという評判が立った。両川某という者がそんなことがあるものかと言って、ある夜そこへ行ってみると、はたして噂の通り見知らぬ女が髪を梳いていて、じろりとこちらを見た顔が、なんとも言えず物凄かったという。明治になってからの話である。
●第93段(遠野物語拾遺)
遠野一日市(ひといち)の作平という家が栄え出した頃、急に土蔵の中で大釜が鳴り出し、それがだんだん強くなって小一時間も鳴っていた。家の者はもとより、近所の人たちも皆驚いて見に行った。それで山名という画工を頼んで、釜の鳴っている所を絵に描いてもらって、これを釜嶋神といって祭ることにした。今から20年余り前のことである。
●第94段(遠野物語拾遺)
土淵村山口の内川口某という家は、今から10年ほど前に瓦解(がかい)したが、一時この家が空家になっていた頃、夜中になると奥座敷の方に幽(かす)かに火がともり、誰とも知らず低い声で経を読む声がした。往来のすぐ近くの家だから、若い者などがまたかと言って立ち寄ってみると、御経の声も燈火ももう消えている。これと同様のことは栃内の和野の、菊池某氏が瓦解した際にもあったことだという。
(底本:角川ソフィア文庫)
柳田國男『遠野物語』より
「河童」全文
「神隠し」全文
「天狗」全文
制作:2013年1月4日
<おまけ>
ザシキワラシは勝手に住みついてその家に幸福をもたらしますが、遠野には、それとは別に「金持ちになれる家」というのがあります。その家は「マヨイガ」といって、その家に迷い込んでなにか器をもらってくると、金持ちになれるのです。
●第63段(遠野物語)
小国(をぐに)の三浦某といふは村一の金持なり。今より2〜3代前の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍(ろどん)なりき。この妻ある日 門の前を流るる小さき川に沿ひて蕗(ふき)を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。
さてふと見れば立派なる黒き門の家あり。いぶかしけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鶏多く遊べり。その庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多くをり、馬舎ありて馬多くをれども、一向に人はをらず。
つひに玄関より上りたるに、その次の間には朱と黒との膳椀(ぜんわん)をあまた取り出したり。奥の座敷には火鉢ありて鉄瓶(てつびん)の湯のたぎれるを見たり。されどもつひに人影はなければ、もしや山男の家ではないかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。
この事を人に語れども実(まこと)と思ふ者もなかりしが、またある日わが家のカド*に出でて物を洗ひてありしに、川上より赤き椀1つ流れて来たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、これを食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツの中に置きてケセネ*を量る器となしたり。
しかるにこの器にて量り始めてより、いつまで経ちてもケセネ尽きず。家の者もこれを怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。この家はこれより幸運に向かひ、つひに今の三浦家となれり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガという。マヨヒガに行き当たりたる者は、必ずその家の内の什器(じゅうき)家畜何にてもあれ持ち出でて来べきものなり。
その人に授けんがためにかかる家をば見するなり。女が無慾にて何ものをも盗み来ざりしがゆゑに、この椀みづから流れて来たりしなるべしといへり。
*このカドは門にはあらず。川戸にて門前を流るる川の岸に水を汲み物を洗ふため家ごとに設けたる所なり。
*ケセネは米稗(ひえ)その他の穀物(こくもつ)をいふ。
●第64段(遠野物語)
金沢村は白望(しろみ)の麓(ふもと)、上閉伊郡の内にてもことに山奥にて、人の往来する者少なし。6〜7年前この村より栃内村の山崎なる某かかが家に娘の婿を取りたり。この婿実家に行かんとして山路に迷ひ、またこのマヨイガに行き当たりぬ。
家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取り出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとするところのやうに見え、どこか便所などのあたりに人が立ちてあるやうにも思はれたり。
茫然として後にはだんだん恐ろしくなり、引き返してつひに小国(をぐに)の村里に出でたり。小国にてはこの話を聞きて実(まこと)とする者もなかりしが、山崎の方にてはそはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来たり長者にならんとて、婿殿を先に立てて人あまたこれを求めに山の奥に入り、ここに門ありきといふ処に来たれども、眼にかかるものもなくむなしく帰り来たりぬ。その婿もつひに金持になりたりといふことを聞かず。