東條英機ほかA級戦犯が眠る
伊豆・興亜観音の例祭

興亜観音 興亜観音
興亜観音

 本サイトが発掘した五・一五事件の新資料「(海軍側)弁論要旨 」を書いた林逸郎弁護士は、GHQからA級戦犯7人(広田弘毅、松井石根、東條英機、板垣征四郎、土肥原賢二、木村兵太郎、武藤章)の遺骨を盗み出すという、とんでもない武勇伝の持ち主です。

 その遺骨は、現在、熱海・伊豆山の興亜観音に眠っているんですが、昭和15年(1940)からここの堂守りをしていた伊丹忍礼氏によれば、

《東京裁判の弁護人であった三文字正平氏、同じく林逸郎氏は……七士の遺骨が、飛行機で空中などにばらまかれたりしてはたまらない、叮重(ていちょう)に埋葬すべきであると考え、遺骨の盗み出しを計画しました。東京裁判の弁護人という立場から、事前に七士の火葬が久保山火葬場で行われることに察知して、三文字氏は飛田火葬場長、ならびに火葬場のすぐ隣の禅宗の、興禅寺住職市川伊雄師と、遺骨の搬出について事前の打合せをおこなっていました》(興亜観音の会報より)

 実際に葬場の共同骨捨て場から遺骨を盗んだのは三文字弁護士で、このときの様子は、『天皇と東条英機の苦悩』(塩田道夫・三笠書房)に詳細に描かれています。

《盗み出すのは十二月二十五日の夜と決めた。米軍の監視がクリスマスで気がゆるんでいる隙に実行しようというのである。暗くなり、頃合いを見計らって、三文字弁護士と市川住職は勝手知ったる飛田火葬場長の案内で火葬場の骨捨て場に忍び込んだ。
 三人は米軍の監視に見つからぬように、闇夜の中で外套を頭からかぶり、身をかがめながら作業を始めた。三人は暗がりの中で音を立てないように、根気よく手探りで遺骨を探し集めた。七人の遺骨は全体の一部でありながら、大きな骨壷に一杯分を集めることができた》

 というわけで、2003年5月18日、興亜観音の例祭に行って、7人の墓をチェックしてきたよ!

興亜観音 興亜観音
(左)これが殉国七士の碑。文字は吉田茂。昭和46年(1971)、過激派によって爆破された。
(右)碑の裏側には7人の最期の署名が残っている。

興亜観音 興亜観音
(左)例祭の様子。参加者は100人弱。
(右)奉納された武道。写真は真剣による試し切りの瞬間

 それにしてもこの興亜観音、けっこうな山ん中で、ちょっとしたハイキング気分を味わえるナイススポットなのでした。


制作:2003年5月26日

広告
© 探検コム メール