「国体」とは何か?

 その昔、森首相が発言して大騒ぎになった「日本は神の国」発言。ついでに「どうやって日本の国体を守ることができるのか」とも発言してました。そこで、「国体」について大研究!

国体とは、こんな感じ?
摂政宮両殿下宮城二重橋御出門之光景
「摂政宮両殿下宮城二重橋御出門之光景」大正13年(1924)5月

 そもそも、僕らは「国体」と言われてもよく分からないわけで。とりあえず「国体」について、わかりやすい(?)文献を発掘したんで公開しときましょう。出典は『軍隊學術』(明治31年<1898>)の「國體」より。

●國體(くにのなりたち)

「國體」と申すのは、國の成立といふことで、取(とり)も直さず、日本の國柄といふことであります。
(中略)

 大日本帝國は「神州」と唱へます。何故、「神州」と申すかと云ふに、我が帝國は神の造り玉ひし國である。神より皇室に授け玉ひし國である。人民は勿體(もったい)なくも神に事(つか)へまつりし忠臣の末裔である。乃(すなわ)ち、皇室に對して、深き縁故のある人民である。

 大日本帝國は、天地開闢の初めより天日嗣(あまつひつぎ)が無窮に傳はりて、一姓綿々(めんめん)大河の清(す)めるが如く、嘗(かつ)て其(その)軌道を変することがなく、庶民が天と仰ぎ頭と尊ぶ所の皇統は毫(ごう)も御變をせ給ふことがないです。

 斯くも美事(みごと)の國柄は、世界万國中、唯た我が帝國ばかりで、他に一つもないです。神の冥助がなくば、かかる美事は得られない。乃(すなわ)ち、天照大神の御神勅の通り、「寶祚(ほうさ)の隆(さかん)なること天壌(てんじょう)と窮(きはま)りなし」とは此處(ここ)を謂(い)ふのである。

 國の體(たい)とは、人の身に五体あるが如きものである。我國の國體を知らざるは、己が身に五體あるを知らぬと同じことである……今、神皇正統記を案するに、左の如く書いてある。

 大日本は神國なり。天祖、初(はじめ)て基(もとい)をひらき、日神(ひのかみ)永く統を傳(つた)へ玉(たま)ふ我が朝(てう)のみ此事あり。異國には、そのたぐひなし。此こへに神國といふ也。

 神代には豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國と云。天地開闢の初めよりこの名あり、又は大八洲(おほやしま)の國といふ。また、耶麻土(やまと)と云ふ、是は大八洲の中つ國の名なり、中洲(なかつしま)たりし上に。

 神武天皇より代々の皇都なり、依て其名を取て餘の七洲をも總(すべ)て耶麻土といふなるべし。漢字渡りて後、字をば大日本と定て、しかも、耶麻土(やまと)と讀(よま)せたるなり。

 大日霊(おほひるめ)の御國なれば、其義(そのぎ)をも取れるか、古より「大日本」とも若(また)は大の字を加へず「日本」とも書けり。又、倭(やまと)といふ事は漢土より名つけたるなり。

(中略)

 天胤(てんいん)万世一系。天照太神の御誓はせ給ひし御時に、毫釐(ごおり)も異なることなき誠に奇瑞天寶(きずいてんほう)の國土なり。地球上、萬國数多しと雖も、かかるめでたきためしは又と得難き國柄ならずや。されば、神州の尊きこと、宇内(うだい)に並びなく、臣民が萬國に誇るも事此にあるなり。

 かかる尊き邦(くに)に生れながら、我國の國體をも知らずして過ぎなんは、鳥獣虫魚にも劣りたるに均(ひと)しかるべし。


 上の文章は非常に難解なんで、参考までに明治33年(1900年)の「新編 修身教典(尋常小学校用)巻四」(普及舎)より、巻頭の<皇室講座>も公開しておきましょう。旧字を新字に直した他はすべて、原文のままです。

第一課 わが皇室

 わが皇室は、万世一系の皇統をうけつぎたまひて、二千五百余年のむかしより、今日に至るまで、常に、仁愛を以て、国たみの上にのぞませたまへり。

 今上天皇陛下は、百二十一代の天皇にましまして、ご即位のはじめより、日夜、国民を安らかに治め給はんとて、大御心をなやましたまふ。わがくにが、今日のごとく、何事も、盛になりて、強き国となれるは、みな、陛下の御めぐみなり。

 又、地震・火事・大水などの如き、わざはひあるときは、いたく、大御心をなやまさせたまひ、陛下をはじめ奉り、皇后陛下 皇太子殿下 皇太子妃殿下よりも、御手元金を下して、窮民をすくはせたまふ。

 かくの如く、人民をいたはりたまふことは、実にありがたきことにあらずや。

 われ等は、かかるめでたき大御代に生れ、かかるありがたき皇室の下にあるをよろこび、よく、臣民のすべきつとめを尽して、海よりも深く、山よりも高き皇恩の万一に、むくい奉らんことを、心がくべきなり。



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