国体の始まり
〜神武天皇即位〜


神武天皇
これが素顔の神武天皇

 天下を平定した神武天皇は、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日、これが建国記念日の起源)に、大和橿原の宮で即位します。これがまさに天皇制の始まり。

 資料によって内容がけっこう違うんですが、とりあえず、即位式の様子を書いておきましょう。

 天富命(あめのとみのみこと)が、清められた斧と鋤で木々を集め、正殿を造りました。
 道臣命(みちおみのみこと=大伴氏の先祖)は来目部(くめべ。久米とも書く)を率いて宮門の護衛に当たり、饒速日命(にぎはやひのみこと=物部氏の先祖)は物部を率いて矛・盾をつくったので、警備は万全です。
 その後、天富命が斎部(いむべ)を率いて三種の神器を奉納、天種子命(あめのたねこのみこと)が寿詞(よごと)を奏上しました。
 すべての儀式が済むと、物部は矛と盾を立て、来目は仗を立てて、門を開き、参内させたすべての国の使者に尊き天皇の姿をお見せになったのでした。

神武天皇
これが即位式
(白い服が神武天皇、そばに座るのが天富命。中央緑色の天種子命が寿詞を奏上中)



 即位して4年、神武天皇は靈畤(まつりのには=斎場)を鳥見山(現在の奈良県桜井市東部?)に造営し、皇祖である高皇産霊神(たかみむすびのかみ=国の平定を開始した)を祀りました。
 正面の榊には鏡がかけられ、その下の枝には青帛と白帛が打ち掛けられています。壇上には魚や鳥が供えられていて、道筋には荒筵が敷かれているのでした……。

神武天皇
鳥見山の斎場



 この斎場が、皇大神宮つまり伊勢神宮の起源なのですねぇ。

 なお、神武天皇は在位76年、127歳(古事記では137歳)で没し、畝傍山東北陵に葬られることになります。

神武天皇
畝傍御陵


 余談ですが、神武天皇が日本を平定する過程で歌われた“出陣・戦勝の歌”が、現在も宮廷芸能として生き残っています。前述の来目部(久米部)が歌ったので、久米歌といわれています。一例を挙げておきましょう。

カムカゼ(神風)ノ、イセノウミ(伊勢海)ノ、オホイシ(大石)ニヤ、イハヒ(延)モトヘル(廻)、シタダミ(細螺)ノ、シタダミノ、アゴ(吾子)ヨ、アゴヨ、シタダミノ、イハヒモトヘリ、ウチテ(撃)シヤマム(止)、ウチテシヤマム


「日本書紀上巻」(講談社学術文庫)の訳をあげておくと、「伊勢の海の大石に這いまわる細螺(キシャゴ)のように、わが軍勢よ、わが軍勢よ。細螺のように這いまわって、必ず敵を討ち負かしてしまおう」となります。
 お気づきだと思いますが、戦時中の標語「神風」「撃ちてし止まむ」は、これが出典だったんですね。
 ※イラストは「高等小學國史繪圖上巻」1941、写真は「歴代皇陵参拝誌」1927より転載しました。

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