匂いの文化史
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香料の歴史
貴族が使った香り袋(香嚢)
アラビアン・ナイトの最も有名な物語「アリ・ババと40人の盗賊」では、「開けゴマ」と叫ぶと、盗賊の隠れ家に入れます。
宝物庫には大量の金銀、絢爛な衣装、膨大な宝石が隠されていましたが、最後の部屋には香料や芳香剤が置かれていました。
《丁香(ちょうこう)や麝香(じゃこう)がふくいくとかおり、龍涎香(りゅうぜんこう)や麝猫香(シヴェット)の心をときめかすえならぬ香りがただよい、薔薇水(しょうびすい)とナッド(煉香)の魅惑的な香りはあたりに立ちこめ、乳香とサフランとは高貴な芳香を立ちのぼらせ、白檀(びゃくだん)はあたかも、焚火の薪のように投げ出されており、そうして伽羅(きゃら)の木はまるで用のない雑木のように放り出されたままでありました》(『アラビアン・ナイト』別巻、東洋文庫)
ここには世界中の香料が列記されてるんですが、丁香(チョウジの花のつぼみ、クローブ)や乳香(ボスウェリア属の木の樹液)、サフラン、白檀、伽羅(沈香)は植物系です。
丁字(クローブ)の採取
龍涎香や麝猫香は動物系の香料で、ナッドは香料を混ぜて作ったお香のことです。
植物系の香料は、一説に1500種類あるといわれますが、動物性の香料は、なんと4種類しかありません。
ジャコウジカ(麝香鹿)
一番有名なのが麝香(じゃこう)で、これは麝香鹿(ジャコウジカ)のメスの香嚢です。香嚢とは、フェロモン分泌液を貯めておく臓器のこと。以下、動物性の4種類の香料をまとめておくと、
・麝香(じゃこう) =ムスク =麝香鹿のメスの香嚢
・霊猫香(れいびょうこう)=シベット =麝香猫の香嚢
・海狸香(かいりこう) =カストリウム =ビーバーの香嚢
・龍涎香(りゅうぜんこう)=アンバーグリス =抹香鯨(マッコウクジラ)の腸内物質
こうした天然香料は価格が高いため、19世紀後半に有機化学が進歩するとともに、工場で同じ香りが作れないか、研究が始まります。
具体的には、天然物と同じ成分を別の物質から抽出するか、代用品を開発するかです。
麝香猫
1868年には、人工染料の研究者だったイギリスのパーキンが、コールタールから芳香成分「クマリン」の合成に成功します。クマリンはサクラの葉やモモの花に存在する甘い香りで、せっけんやシャンプーに使われます。
また、1874年には、ドイツのハールマンとティーマンが「バニリン(ワニリン)」の合成に成功。これがバニラの香りの主成分で、アイスなどの香料に多用されています。
バニリンの値段は、技術開発により、一気に価格が下がりました(『最新科学図鑑12製造工業の世界』による)。
1888年 バニラ豆から製造 1600円(1ポンドあたり、以下同)
1898年 丁字油から製造 26円
1906年 丁字油から製造 9円
1930年 丁字油から製造 8円
1930年 丁字油以外から製造 6円
丁字(クローブ)の乾燥
香料業界の大恩人ともいうべき人物がドイツのワラッハで、テルペンの研究から、精油に含まれる芳香成分の化学構造を解明。これで、ローズ油、ラベンダー油、びゃくだん油、はっか油などが次々に製造できるようになりました。
天然ローズ油は大量のバラを蒸留して作られますが、合成により価格が100分の1に下がったといわれています。まさに近代的な香水の誕生です。
なお、ワラッハは1910年にノーベル化学賞を受章しています。
ローズオイル製造のためのバラの蒸留(ブルガリア)
古代の植物蒸留
もう1人、香料の研究で忘れてはならないのがクロアチアのルジチカで、麝香に含まれる「ムスコン」、霊猫香に含まれる「シベトン」と呼ばれるケトン化合物の合成に成功、これで、アランビアン・ナイトを彩る香料はほぼすべて製造できるようになりました。
ルジチカもまた、1939年にノーベル化学賞を受賞しています。
このほかの人工香料をあげると、シナモン(桂皮)の香りは「シンナムアルデヒド」、コーヒーの香りは「コーヒー酸」、スミレの香りは「イオノーン」、薄荷(ハッカ)の香りは「メントール」、レモンの香りは「シトラール」、オレンジの香りは「リモネン」などです。
シナモンの樹皮の切除
では、日本における香料の歴史はどのように始まったのか。
最古の記録は『日本書紀』で、
《推古天皇3年(595年)、沈水(香木)が淡路島に漂着した。島民はこれを知らなかったため、薪にして竈(かまど)にくべたところ、煙が遠くまでいい香りを放って、驚いたので、献上した》
というものです。『扶桑略記』によれば、この香木は両手をひろげて抱えられるくらい(1.5m)の大きさで、長さは2.5mほど。聖徳太子は「これは栴檀(せんだん)で、南天竺の南海岸に生えるものだ」と言い、百済の仏師が観音菩薩に作り上げ、吉野の比蘇寺に安置したところ、ときどき光を放ったと記録されています。
平安時代も香木は好まれ、たとえば『栄花物語』には、
《銀・黄金の香炉に、様々の香を焚きたれば、院内栴檀・沈水の香満ち薫り、色々の花空より四方に飛び紛(まが)ふ》
などと書かれています。
平安時代の調度品
左:香嚢、左下から右下へ順に造紙筥、薬筥、香壺筥(こうごばこ)
正倉院の御物に、黄熟香(おうじゅくこう)という天下の銘木があります。これは「東大寺」の文字を入れ込んで「蘭奢待(らんじゃたい)」と呼ばれています。鎌倉時代以降の武家社会では「香道」が盛んだったこともあり、足利義満、足利義政、織田信長、明治天皇らが切り取っています。
余談ですが、香道では、香りは「かぐ」ものではなく、「聞く」ものです。
1824年から翌年にかけて、滝沢馬琴や谷文晁、山崎美成らが集まって、珍しい書画や器などを見せ合っては論評し合う「耽奇会」が開かれました。その記録が『耽奇漫録(たんきまんろく)』という本に残されているんですが、ここには朝廷から江戸の大奥に送られたという「御薫物」の絵が描かれています。いくつもの香木などを糖蜜でウサギのフンのように丸く固め、茶席などで焚きました。これを「練り香」といいます。
御薫物と兎糞(『耽奇漫録』)
そして、1920年(大正9年)、甲斐荘楠香(かいのしょうただか)によって、日本初の合成香料メーカー「高砂香料工業」が東京に設立されました。甲斐荘は、香水の町として有名なフランスのグラースで勉強を重ね、香水の国産化を目指したのです。
高砂香料の広告
1928年の雑誌広告を見ると、高砂香料は以下の8つの商品を主力品として販売していたことがわかります。
・シトロネロール:バラ
・ゼラニオール(ゲラニオール):バラ
・イオノーン:スミレ
・リナロール:スズラン、ラベンダー、ベルガモット
・リナリルアセテート(酢酸リナリル):ラベンダー、ベルガモット
・ラウリナール(ヒドロキシシトロネラール):スズラン、アプリコット、もも
・ワニリン:バニラ
・ヘリオトロピン:バニラ
香料は、食品に香りをつける「フレーバー」と、食品以外のものに香りをつける「フレグランス」に大別されますが、当初はフレグランスが主力だったことがわかります。
スミレの香りイオノーンの製造装置(高砂香料)
国内1位の高砂香料、2位の長谷川香料など、ほとんどの香料メーカーは合成香料や線香製造からスタートしていますが、例外的なのが日本香料薬品です。この会社は日本一の大商社だった鈴木商店の「樟脳(しょうのう)」事業から始まりました。
樟脳はクスノキの精油の主成分で、香料としてはもちろん、かゆみどめ、湿布薬、強心剤、防虫剤、セルロイドの製造などに使われます。「カンフル剤」というのは、樟脳のことです。
日本では、1962年まで専売公社によって専売されていた重要な国家管理商品なんですね。
樟脳の結晶櫓
明治時代になって、日本はすぐに神戸港から樟脳の輸出を始めます。アメリカは、長らく樟脳の輸出データを知りたがっていましたが、なかなか手に入れられません。
そこで、1886年(明治19年)、ジョセフ・ヒコ(アメリカ彦蔵)に頼んでようやくデータの入手に成功します。これが、日本最初期の産業スパイと言っていいかもしれません。
なお、日本はその後、領有した台湾で大規模プランテーションを始め、戦前は世界最大の樟脳生産国となりました。
同じように、北海道北見のハッカも世界一の生産量を誇っていました。
日本の経済の一角は、ある時期、確実に「香料」が支えていたのです。しかし、樟脳も薄荷も、その後の化学合成の進化で、産業ごと壊滅していくのです。
合成ハッカにより、
日本の薄荷産業
は壊滅へ(北見ハッカ記念館)
制作:2014年6月30日
<おまけ>
『新約聖書』によれば、イエスが誕生すると、東方から3人の賢人がお祝いにやってきたとあります。この「東方の三博士」が持ってきた贈り物が、黄金と乳香と没薬。3つのうち2つが香料だったわけです。
乳香の語源は「ミルク」で、本サイトの管理人は、かつて
イエメン
に乳香を探しに行ったことがあります。たしかにミルクのような甘い匂いだったことを覚えています。
また、没薬(ミルラ)は殺菌剤、鎮静薬などに使われる樹脂で、ちょっと苦い香りがします。遺体の防腐剤として使われたことから、「ミイラ」という言葉が生まれました。没薬の故郷はオマーンで、シンドバッドは没薬や乳香を世界に運んだとされています。