零戦を支えた「栄」エンジン

ゼロ戦を支えた「栄」エンジン
中島飛行機「栄」エンジン


 2012年11月、アメリカの航空博物館POF(プレーンズ・オブ・フェイム)が所蔵する零式艦上戦闘機(ゼロ戦)五二型が所沢の航空発祥記念館に里帰りしました。
 この「61-120」機は、オリジナルの零戦で、世界唯一、飛行が可能な機体です。

ゼロ戦
背後から見たゼロ戦。主翼内は燃料タンク

 
「61-120」は1943年、群馬県の中島飛行機小泉製作所で製造され、第261航空隊へ配属されました。
 硫黄島、サイパン島と移動し、1944年6月、ほぼ無傷のまま米軍に捕獲されました。そして、そのまま米本土へ移送され、さまざまなテストが行われます。米軍は、この機を通じて、「ゼロ・ファイター」と恐れた零戦の秘密を解明していくのです。

ゼロ戦のコックピット
ゼロ戦のコックピット右手にある計器類
右上から時計回りに「電圧速度回転計」「筒温計」「油圧力計・油温計」「吸入圧力計(ブースト計)」「昇降度計」「燃料圧力計」。左が羅針儀、右下の黄色が滑油冷却器調整ハンドル


「61-120」機は1944年11月、スクラップになることが決まりますが、その後、紆余曲折を経て、1957年、POFが同機を入手。徹底的なオーバーホールが施され、再び空を舞うことが可能になったのです。
 日本には1978年と1995年に里帰りし、そのときは実際に飛行しています。
 今回は残念ながら飛行はありませんが、組立工程に参加することができました。

 零戦はエンジン部分、主翼部分、後尾部分の3分割で運搬し、50本以上のボルトで胴体を結合する仕組みです。構造材には軽くて強靭なジュラルミンが使われているため、後部は人の力で持ち上げられるほど軽いのです。

ゼロ戦の尾翼 ゼロ戦の尾翼
水平尾翼の取り付け。胴体とは、はめ込みでつなげ、その後、カバーをボルトで固定

ゼロ戦修復跡 零戦の組み立て
上はゼロ戦が受けた機銃掃射の修復跡。下はシートの設置。ゼロ戦は1人乗りで、キャノピー(風防)をスライドさせて出入り


 実は、この零戦がすごいところは、エンジンが当時の「栄(さかえ)」発動機そのままの点です。

零戦を支えた「栄」エンジン
カウリングと呼ばれるエンジンカバーを付ける前。黄色はオイルタンク。
プロペラはハミルトン式で直径2.9m


 零戦開発時点で、エンジンの候補は3つありました。三菱製「瑞星(ずいせい)」と「金星(きんせい)」、そして中島飛行機製の「栄」です。

 零戦のプロトタイプ「十二試艦上戦闘機」は、もともと三菱の「瑞星」22型(14気筒、780馬力)を採用していました。この「瑞星」は、のちに1000馬力までパワーアップし、偵察機や双発機などに広く使われます。しかし、当時は海軍の要求する性能が出ませんでした。
 また「金星」は重量が大きく、しかも安定性に欠けるため、結果として中島の「栄」が搭載されたのです。

零戦を支えた「栄」エンジン
エンジン部分の「日建1845」という刻印。この番号で機体を特定することが可能

 
 安定性が高く「日本史上最高のエンジン」とも言われる「栄」発動機は、96式艦戦に使われた「寿」(7気筒)を2段重ね14気筒にしたものがベースで、昭和8年から開発がスタートしました。

 一番の特徴が、欧米で作られた同クラスのエンジンと比べ、軽量・コンパクトなことです。たとえばアメリカのF4Fと零戦二一型を比べると、機体重量は1トン近い差がありました。このため、最大速度や機動性能は零戦の方がはるかに勝っていたのです。

零戦を支えた「栄」エンジン
「栄21型空冷複列型14気筒」。総排気量27.9リットル、重量590kg、1130馬力


 機能面で絶賛すべきはキャブレター(空気に燃料を混合する装置)です。
 外国製のキャブレターは、背面飛行などの際、燃料供給ができず、エンストを起こしました。ところが、「栄」には燃料の逆流防止弁、バイパス通路が備えられ、エンストは起こりませんでした。

 また、自動混合気調整装置(AMC)を導入したことで、燃料と空気の混合比が自動で調整できるようになりました。このおかげで、低空から高々度まで、パイロットがエンジンの状態を気にかけることなく飛行に集中できるようになったのです。
 一説には、B29の稼働率は3割や4割と言われますが、零戦は9割だったと言われています。故障の少ない零戦は、「栄」発動機の安定性によるところが大きかったのです。

 さて、2012年11月27日の組み立て当日、予定にはなかったプロペラの試運転が行われました。バラバラと腹に響く轟音とオイルの焼ける匂いのなか、プロペラが回転を始めると、見学者も思わず拍手してしまいました。
 そんなわけで、零戦のエンジン音を公開します。残念ながら、ビデオだと迫力に欠けるんですが、それはまぁしょうがないですな。


オイルの焼けた煙がけっこうすごいです


 なお、「栄」を開発した中島飛行機は、「九七式戦闘機」、一式戦闘機「隼」、四式戦闘機「疾風」などの開発、零戦の3分の2の生産を行いましたが、終戦後、占領軍から解散を命じられ、消滅しました。
 残された技術者の多くは富士重工業 (スバル)などで車の開発に従事し、日本の自動車産業に貢献しました。

ゼロ戦パイロット最後の証言
ゼロ戦設計者が作った「YS11」に乗ってみた
制作:2013年1月20日

<おまけ>
 零戦には30kgないし60kgの爆弾が装備可能でしたが、主な武器は7.7mmと20mm機銃です。
 7.7mmは軽戦闘機向けで、20mmは艦上攻撃機や艦上爆撃機など大型機向け。

零戦コックピット
コックピット上部「二四五」の部分が7.7mm機銃。これは左右にあります。
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