大正天皇の生涯
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「大正」の成立
大正天皇の玉座
《朕(ちん)菲徳(ひとく)を以て大統を承(う)け、祖宗の霊に詰(つ)げて万機の政(まつりごと)を行ふ。茲(ここ)に先帝の定制に遵(したが)ひ、
明治四十五年七月三十日以後を改めて大正元年となす
、主者(しゅしゃ)施行せよ》(改元の詔書)
1912年7月30日に明治天皇が崩御したことで、「登極令」に従い皇太子が践祚(せんそ)、大正天皇となりました。
大正天皇(左は幼少の頃)
参考までに、この日の儀式は以下の通り。
・午前一時より賢所の儀(天皇の代理人が神饌を供し祝詞、御告文奏上)
※賢所(かしこどころ)は三種の神器の一つ神鏡を奉安する場所
・天皇の代理人が皇霊殿と神殿に奉告の儀
・剣璽渡御の儀(ここで初めて天皇が登場し、宝剣などを奏上される)
・改元の詔書発布
こうして年号「大正」が決定されたのでした。
2002年3月に公開された『大正天皇実録』によれば、「大正」のほかに「天興」「興化」の候補があり、枢密顧問が審議した結果、「大正」が選ばれたそうです。ちなみに「大正」の出典は五経の一つ『易経』にある「大亨以正天之道也」に由来します。
明治天皇
の「大喪の儀」は大正元年9月13日に行われましたが、この日、
乃木希典大将
が殉死しました。大正天皇は「懐乃木希典」と題された漢詩
平生忠勇養精神
旅順攻城不惜身
颯爽英姿全晩節
淋漓遺墨々痕新
を詠み、乃木大将を追悼したと『大正天皇実録』に記されています。
大正4年(1915)11月、大正天皇は紫宸殿で即位式をあげます。
即位式
大正天皇は即位式の翌年頃から健康に恵まれず、1921年には皇太子裕仁親王 (昭和天皇)を摂政に立てることになり、その5年後の大正15年(1926)に崩御するのでした。
大正天皇の大葬(昭和2年2月7日)。写真は虎ノ門付近通過中の御轜車(じしゃ)。
参考までに、このとき作られた奉悼歌を書いておきましょう。
地にひれふしてあめつちに
祈りし誠いれられず
日出ずる国の国民は
あやめもわかぬ暗路行く
大葬の今日の日に
流るる涙果てもなし
如月の空春あさみ
春風いとど身にはしむ
制作:2002年4月1日
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