文学者が見た敗戦の記録
8月10日
警報でおこされた。
空襲。やがて空襲警報が解除になり、警戒警報も解除。とまた警戒警報が鳴りつづいて空襲警報。文報行き中止。
新聞が来た。「ソ聯、帝国に宣戦」と毎日、読売とも大きく出ている。ただし毎日は、東宮職が設けられ、穂積重遠博士が東宮大夫兼侍従長に任ぜられたという記事の方がトップに出してある。
ソ聯の宣戦は全く寝耳に水だった。情報通は予感していたかもしれないが、私たちは何も知らない。むしろソ聯が仲裁に出てくれることを秘(ひそ)かに心頼みにしていた。誰もそうだった。新聞記事もソ聯に対して阿諛(あゆ)的とも見られる態度だった。そこへいきなりソ聯の宣戦。新聞にもさらに予示的な記事はなかった。
——いや、今日、改めて見たら8日に次のようなチューリッヒ特電の記事が出ていた。しかしこれだけである。これだけでは、ソ聯の宣戦は予感できない。
ソ聯最高会議招集
〔チューリッヒ特電6日発〕
スターリン首相は5日ポツダムよりモスクワに帰着したがAEP(欧洲通信社)モスタワ特電によればスターリン首相は帰還直後臨時にソ聯最高会議を招集、重要問題を審議決定する予定である、右に関しモスクワ外交団筋では最高会議で決定される問題は
サンフランシスコ会議で成立した国際憲章並にポツダム宣言の批准
であると観測してゐる、なほ目下蒙古人民共和国の軍事使節団がモスクワを訪問中といはれる
ソ聯の宣戦は一種の積極的仲裁運動なのであろうか。それとも、原子爆弾の威力に屈服したのだろうか。——ラジオの報道はソ聯問題や対ソ戦況に関することを何も言わない。東宮職のことをしきりにいうだけである。日本の対ソ宣戦布告も発表されない。気味のわるい一日だった。
5時の報道で大本営発表があった。そのなかに対ソ軍の戦況発表があった。比企ヶ谷の小島家へ行った。海桜隊から頼まれていた講演の件を小島さんに話さねばならぬのだが、原子爆弾の出現となって、危険な東京へ出て貰うのがいかにも心苦しい。しかしもう明日に迫ったので、とにかく相談してみようと思って行ったところ、小島さんは床についていた。なに、明日になったらなおるだろうから行きましょうと小島さんはいう。
店へ行くと、久米さんの奥さんと川端さんがいて、
「戦争はもうおしまい——」
という。表を閉じて計算していたところへ、中年の客が入って米て、今日、御前会議があって、休戦の申入れをすることに決定したそうだと、そう言ったというのだ。明日発表があると、ひどく確信的な語調で言ったとか。
あの話し振りでは、まんざらでたらめでもなさそうだと川端さんがいう。
「浴衣掛けでしたけど、何んだか軍人さんのような人でしたよ」
と久米さんの奥さんはいう。
「休戦、ふーん。戦争はおしまいですか」
「おしまいですね」
と川端さんはいう。
あんなに戦争終結を望んでいたのに、いざとなると、なんだかポカンとした気持だった。どんなに嬉しいだろうとかねて思っていたのに、別に湧き立つ感情はなかった。その中年の客の言葉というのを、信用しないからだろうか。——でも、おっつけ、戦争は終結するのだ。惨めな敗戦で終結——というので、心が沈んでいるのだろうか。
とにかく、こういう状態では講演どころではないだろう。中止だ、行くことはないだろう。——小島家へそのことを言いに行った。
「戦争はおしまいだそうです」
「そうかねえ。しかし、たった今、ラジオでは阿南陸軍大臣が徹底的に戦うのだといっていたぜ」
「え?」
7時の報道だ。——とことんまで戦うということも考えられる。そしてそういう場合は、みんな駆り出されて、死ぬのである。国も人民も、滅びるのである。
「広島では知事も大塚総監も、みんな死んだそうだが、畑元帥は山の方にいて助かったそうだよ」
と小島さんは言った。
電車に乗って帰った。車中でも歩廊でも、人々はみな平静である。真に平静なのか。それとも、どうともなれといった自棄なのか。戦争の成行について多少とも絶望的なのは確かだ。ソ聯の宣戦について誰ひとり話をしている者はない。昂奮している者はない。慨嘆している者はない。憤激している者はない。
だが、人に聞かれる心配のない家のなかでは、大いに話し合っているのだろう。私たちが第一そうだ。外では話をしない。下手なことをうっかり喋って検挙されたりしたら大変だ。その顧慮から黙っている。全く恐怖政治だ。
黙っている人々は無関心からもあるだろうが、外ではうっかりしたことを言えないというので黙っているのもあるわけだ。そして、みんな黙っているところからすると、誰でもひとたび口を開けば、つまり検挙される恐れのあることを喋るということになる。そういう沈黙だとすると、これでは戦いには勝てない。こういう状態に人々を追いやったのは誰か。
蓑口幸子さん来る。平野徹君来る。新田君帰る。
「——こんなことになろうとは思わなかった」
これがみんなの気持だった。
9時の報道を聞く。阿南陸相の全軍への布告。下村情報局総裁の布告を聞く。
日本は、そして私たちは、結局、どん底へと落ちて行くのだろうか。
書斎の前の藤棚につるをのばして行ったかぼちゃが、眼の前に実を垂らした。みるみる大きくなって行く。昼間、空襲の際、写生をした。空襲にまだ慣れなかった今年のはじめ頃、空襲というと書斎でラファエルなどの素描の模写をしたことを思い出した。
8月11日
起きると新聞を見た。毎日、読売両紙とも、トップには皇太子殿下の写真を掲げ
「皇太子さま御成人・畏し厳格の御日常」(毎日)
「畏し皇太子殿下の御日常・撃剣益々御上達・輝く天稟の御麗質拝す」(読売)
と見出しを掲ぐ。次に情報局総裁の談話。
(毎日新聞)
国体を護持、民族の名誉保持へ
最後の一線守る為
政府最善の努力
国民も困難を克服せよ
情報局総裁談
敵の本土上陸作戦に対しわが方は軍官民挙げてこれが準備に邁進驕敵を撃砕すべく決意してゐるが敵の空襲状況は最近急激に暴虐化し殊に広島地区に対し新型爆弾を使用し残虐目をおほはしめる行為を敢てし、ここに一般無事の老幼婦女子を殺害するに至つた、加へて中立関係にあったソ聯の参戦がありわが国として今や真に重大な段階にたち至つた、政府としては国体を護持し民族の名誉保持のため最善の努力を尽してゐるが、10日午後4時半下村情報局総裁は総裁談を発表、政府の決意を披瀝すると共に国民が国体護持のためあらゆる困難を克服すべきことを要望した
情報局総裁談(10日午後4時半)
敵米英は最近頓(とみ)に空襲を激化し一方本土上陸の作戦準備を進めつつあり、是に対し我陸海空の精鋭は之が邀撃の戦勢を整へ、今や全軍特攻の旺盛なる闘志を以て一挙順敵を撃砕すべく満を持しつつある、この間に在つて国民挙げてよく暴虐な敵の爆撃に堪へつつ義勇公に奉ずる精神を以て邁進しつつあることは誠に感激に堪へざるところであるが、敵米英は最近新たに発明せる新型爆弾を使用して人類歴史上嘗(かつ)て見ざる残虐無道なる惨害を一般無辜の老幼婦女子に与へるに至つた、昨9日には中立関係にありしソ聯が敵側の戦列に加はり一方的な宣言の後我に攻撃を加ふるに至つたのである、我が軍固(もと)より直ちにこれを邀(むか)へて容易に敵の進攻を許さざるも今や真に最悪の状態に立ち至つたことを認めざるを得ない、正しく国体を護持し民族の名誉を保持せんとする最後の一線を守るため政府は固より最善の努力を為しつつあるが、一億国民に在りても国体の護持の為には凡ゆる困難を克服して行くことを期待する
読売の見出しは
今や真に最悪の事態到る
情報局総裁談・国民の覚悟と忍苦要望
最後の一線・国体護持
最善の努力を傾注
空前の殺戮新型爆弾
見出しはともに同じである。情報局総裁談話中から抜いたものとはいえ——。ここに何か含みがある如く感じられる。「国体護持」この「最後の一線」を唯一の条件として、やはり休戦を申し込んだのではないか。それにしては、陸相の布告は何事か。
全軍将兵に告ぐ
ソ聯遂に鋒を執って皇国に寇す
名分如何に粉飾すと雖(いえど)も大東亜を侵略制覇せんとする野望歴然たり
事ここに至る又何をか言はん、断乎神洲護持の聖戦を戦ひ抜かんのみ
仮令(たとえ)草を喰み土を噛り野に伏するとも断じて戦ふところ死中自ら活あるを信ず
是即ち七生報国、「我れ一人生きてありせば」てふ楠公救国の精神なると共に時宗の「莫煩悩」「驀直進前」以て醜敵を撃滅せる闘魂なり
全軍将兵宜しく一人も余さず楠公精神を具現すべし、而して又時宗の闘魂を再現して驕敵撃滅に驀直進前すべし
昭和20年8月10日 陸 軍 大 臣
「——何をか言はん」とは、全く何をか言わんやだ。国民の方で指導側に言いたい言葉であって、指導側でいうべき言葉ではないだろう。かかる状態に至ったのは、何も敵のせいのみではない。指導側の無策無能からもきているのだ。しかるにその自らの無策無能を棚に挙げて「何をか言はん」とは。嗚呼かかる軍部が国をこの破滅に陥れたのである。
新聞記事だけでは、動きはさっぱりわからない。取引所の立会停止が小さく出ている。長崎の新爆弾が発表になったが、簡単な扱いだ。
某君(註=義兄)来たり、情報を持ってきてくれた。昨日の動きだ。降伏申入れはやはり事実のようだ。店へ寄った。街の様子は、前日と同じく実に平静なものだった。無関心の平静——というべきか。
対ソ戦に関する会話、原子爆弾に関する会話を、外では遂にひとつも聞かなかった。日本はどうなるのか——そういった会話は、憲兵等の耳を恐れて、外ではしないのが普通かもしれないが、外でしたってかまわないはずの対ソ戦や新爆弾の話も遂にひとことも聞かなかった。民衆は、黙して語らない。
大変な訓練のされ方、そういうことがしみじみと感じられる。同時に、民衆の表情にはどうなろうとかまわない、どうなろうとしようがないといったあきらめの色が濃い。絶望の暗さもないのだ。無表情だ。どうにかなるだろうといった、いわば無色無味無臭の表情だ。
これではもうおしまいだ。その感が深い。とにかくもう疲れ切っている。肉体的にも精神的にも、もう参っている。肉体だけでなく精神もまたその日暮しになっている。
夜、——空襲警報。「どういうんだ。こんなはずはない」と私は妻に言った。
街では、13日に原子爆弾が東京を襲うという噂が立っていた。
交渉決裂の場合はかかることも考えられるわけである。
新田が郵便貯金の印を焼いたので改印届を出しに行った。ついでに貯金をおろした。
「ところがおろすのは俺1人で、あとは皆んな預けているんだ」と新田は言った。
支那あたりだったら、今頃は我も我もと預金をおろす人で大変だろう。日本人は敗戦の経験がないのだから、思えば幸福な国民である。まるで、箱入娘だ。従順で、そして無智。親のいうことは素直に聞くが、親のあやまちを知ることも出来ない。親が死んだら、どうなるか。
8月12日
新聞が来ない。
きゃたつを担いで、かぼちゃの交配をして廻った。
快晴つづき。おかげで米の凶作からのがれられるらしい。
日が傾いてからなすにこやしをやった。こやしの桶のつるがこわれて、足にこやしを浴びた。
今日もラジオは何も告げない。9時のニュースの時など、それっとラジオの前に行ったが、(音が低くて側へ行かぬと聞えぬのだ)簡単な対ソ戦の戦況と米作に関するもの、タイに於ける邦人企業整備のこと、この3つでアッサリ終り。
新田が今日から隣組の大野さんの一室を借りることになった。そして食事は私のところへ摂りにくるのである。
「○○(註=東条)というのは、考えてみると、実に怪しがらん奴だ」
どこでもそんな話になる。私もそうしたことをいう。しかし、日本を今日の状態に至らしめた罪は私たちにもあるのだということを反省せねばならぬ。
「文化界から一人でも佐倉宗五郎が出たか」
と過日栗原少将は言った。ムッとしたが、なるほど言論の自由のために死んだ文化人は一人もないことを恥じねばならぬ。
「執筆禁止」におびやかされながらしかし私は執筆を禁止されなかった。妥協的なものを書いてべんべんとして今日に至ったのである。恥じねばならぬ。他を咎める資格はないのであった。しかし……。
8月13日
早朝から艦載機の空襲。
待ちに待った新聞が来た。ただし12日のだ。毎日はトップに、二重橋前で最敬礼している家族の写真を掲げ「悠久の大義に生きん」という見出し。隣りに「全満国境に戦火拡大、ソ軍雄基(北鮮)にも進出」という見出しの戦況記事。なお見出しを拾うと
「18勇士に感状、果敢・比島の挺身奇襲戦」
「近距離内で確保・生産者価格を大幅に引上ぐ、蔬菜の供給改善対策」
「発明者を処刑せよ、英紙に憤怒の投書」(チューリッヒ特電9日発、「原子爆弾」という小見出しあり)
裏面は
「難局を背負ふ老首相、一念・奉公の誠、注射も断りぶつ通しの活躍」
「世界を破滅に導く、非人道の原子爆弾」
「小型機襲撃から貨車・駅舎を護る、戦闘隊員初の大臣表彰」
「平凡な農村日記に、『明日の誓ひ』働く一家の底力」(千葉の農家の話)
「焼ビルに薫る旋律、友の情けのヴァイオリンに更生した街の音楽家」(時本信造という音楽好きの印刷工がセロとヴァイオリンを戦災で失ったが、工場の主任からやっとヴァイオリンを貰い、十字屋へお百度を踏んで足りない絃を入手し、そのヴァイオリンを毎朝焼ビルで弾いているという挿話、妻子を疎開させて独身寮にいるので皆の迷感になってはとわざわざ焼けたビルまで行ってヴァイオリンの練習をしているのだ)
社説は「東官職の新設」。広告中に「都合に依り8月13日日比谷公会堂に於ける演説会中止、国粋同盟本部」というのがある。
読売は、毎日のと違う題目としては「米不足補ふ秋作、関東各県の対策を見る」「白下着で火傷防止、鉄筋建築に待避、新型爆弾の防禦策追加、横穴壕も有効」「人道の敵、米の新型爆弾、非戦闘員殺戮を目標、毒ガス以上の残虐、明かに国際法違反だ」(東京商科大学教授大平善梧氏の談話)「焦土に見る全日本人の悲憤、(広島にて)落ついた市民の姿、強度の曳光に路上の人は殆んど火傷」、社説は「不滅の信念と不滅の努力」
知りたいとおもうことは何も出てない。
今朝もかぼちゃの交配。朝食のおしたしに雄花を摘んだ。
脱皮前の蝉が地面に転がっている。蟻がついている。かわいそうなので拾って、家のなかに持って来た。かつて見たことのない蝉の脱皮を見ようというわけである。
水道が昨日1日とまっていて、今朝もまだ断水だ。中村さんの井戸水を貰いに行った。
蝉の殼の背中が破れて、半透明の頭部と腹部が現われている。
「ホラ、いよいよ脱皮だ」
私は小躍りした。この喜び、楽しさを独占するのはもったいないような気がして母に見せに行った。間をおいては、ちょうど力んでいるかのような恰好で、頭部を上にあげる。陣痛が想像された。
「ひとりで、まあ、えらいもんだね」
と母は言った。子を生むときの苦痛を母は思っているのであろう。
固唾(かたず)をのんで、——そんな顔で母と私はじっとみつめていた。随分長い間みつめていた。しかし蝉は容易に殼から出ないのだった。
「おかしい……」
はかない感じの水色の頭部は、いくらかもう変色しかけている。褐色を帯びて来た。しかし殼から現われた部分はまるでふえていないのだ。たしかに変だった。もっと気持よくするすると殼から出るものなのではないか。第一、脱皮はまだ陽の弱い朝のうちにするものなのではないか。
今はもう陽がカンカン照っている。地面にさかさに転がっていたというのが、考えてみればおかしい。
母は辛抱し切れなくなって、用に立った。
私は台所の妻を呼んだ。
「どうも変なのだ」
と私は眉を寄せた。例の力みの間が、気のせいか、長くなっている。陣痛の苦しみに気が遠くなって、このまま死んでしまうのではないか。人工誕生の必要があるのではないか。
「おい、そっと出してやろう」
たまりかねて妻にいった。殼に爪を立てて、静かに開いてやった。すると、豆の芽のようないたいたしい羽が現われた。
「いけない。やっぱりよそう」
しばらく見ていて、私はその場を去った。見ていられないのだ。
——新田が弁当を取りに来た。海軍省で報道班員の会があるのだ。空襲警報下だったが、新田は駅へ行った。
間もなく、電車が横浜までしか行かないと言って、戻って来た。私も今日は早く文報へ行くはずだった。今君と約束した。そして、文報から浅草へ廻るつもりだった。2時半から猫八の歓送会が浅草区役所であるのだ。猫八から14日入隊というハガキが来ていた。
蝉の様子を母の部屋へ見に行った。羽が、急にのびている。しかしやはり若芽のような、触ればばすぐ破れそうな感じであった。そうして、身体は依然としてちっとも殼から出ていない。前と同じだ。
「こいつはいかん」
「こっちの羽のつけ根をかわいそうに傷している」
と母は言った。片方のつけ根のところに、白い汁の玉が光っていた。
新田はまた出掛けて行った。
新聞が来た。今日のだ。両紙ともに特別記事を掲げている。
外相奏上というのが小さく出ている。気になる記事はこれしか示されていない。
(毎日新聞8月13日)
最悪事態真に認識
大御心に帰一し奉れ
私心去り国体護持へ
敵米の新型爆弾の使用、ソ聯の一方的対日宣戦布告によつて戦局は真に危急、いまや最悪の事態に至り日本の直面する現段階は正に有史3000年来未曾有の国難に逢着したものといはねばならぬ、政府では先に情報局総裁談の型式をもつて現下の危急に対処し真に一億一丸となつて国体を護持し民族の名誉を保持せんとする最後の一線を守るため一億国民があらゆる困難を克服すべきことを要望した
固(もと)より敵米の新型爆弾の使用は毒ガスにも勝る非人道的なもので到底これを容赦すべきものでなく、既に各国よりこれに対する非難の声が上つてをり、またソ聯は去る4月、彼より日ソ中立条約の不延長を申し入れて来たものの未だ同条約は失効に至らざるに隣邦の友誼をも顧みず突如宣戦布告の挙に出で来たつたのである
かくの如く日々に憂慮される今日の事態は正に最悪の事態といふべきである、われくはこの際一体となり真に大御心を奉戴し皇国護持の精神に徹すべきであらう、既に開戦以来幾多将兵を大東亜の各地域に送り、緒戦ハワイにおける特攻隊をはじめわが特攻隊また各地にその精華を発揮して尽るところがない、しかも一方銃後においても軍需生産における各職域において国民は真に挺身し、食糧増産においては農民の国の食糧生産に総力をあげて戦つてゐる、即ち前線において銃後において一億国民は特攻の精神を精神として戦ひ来たつたのであり、畢竟(ひっきょう)われわれ臣民として最後は上御一人(かみごいちにん)に帰一すべきことを身を以て実践したものといふべく今こそ最悪の事態に処しても上御一人に帰一し国体護持の精神は最も如実に発揮されねばならぬ
政府は今や一億真に国体護持の精神に徹すべきを要請してゐる、国民またこの最悪の事態を率直に認識、一途大御心に帰一し奉り一切の私心を去ってこの難局に処すべきである
遅れる主食配給
◇ 本欄の『頑張りたいが……』を見て、同じ状態のために苦しんでゐる人が多いことを感じたので、私も一つの実例を提示することにした。
◇ 私の地区は都下日野町の郊外、といっても1里ばかり離れた田舎であるが、今日で主食配給日が過ぎてから1週間にもなる。しかも、まだいつ配給されるかはつきりしないのである。これでは、どんなにやりくりしても、非農家は困ってしまふ。
◇ この暑い盛りの一里の道を毎日のやうに配給所へ『偵察』に通ひ、空しく帰宅する主婦の身にもなつてみよ。(同情者)
唐もろこしに水をやった。現金な次第だ。
蝉はやはり死んだ。
この日記、80頁の大型ノートに書いているのだが、これで7冊目。13日のつづきを7冊目の第1頁に書いている。原稿紙にしたら何枚くらいになるだろう。珍しくマメに書き通した。この日記も、焼けないで助かるのだろうか。助かるとなると、なんだか遂に拍子抜けの感あり。まだしかしわからぬぞ。
8月14日
警戒警報。1機の警戒警報は原子爆弾出現前は問題にしてなかったものだが、——ちょうど警戒警報にまだ慣れなかった頃と同じように、真剣に警戒するようになった。
「——1機があぶない」
みんなこう言い出した。1機だから大丈夫、こう言っていたのだが。
新田が耳にして来た「巷の情報」ではアメリカは日本の申入れに対して(国体護持を条件としての降伏申入れ)——気持はわかる、しかしお前さんは敗戦国じゃないか、無条件降伏というのが当然だ、しかも国体護持というが、○○(註=天皇)は事実戦争の最高指揮者ではないか、だのにそれに手を触れては困るというのはあつかましい、そういった返答だったという。そしてニミッツは原子爆弾による攻撃命令をさらに出したという。一方日本の陸軍は徹底抗戦をまだ主張しているらしいとのことだ。
原子爆弾といえば、新爆弾とのみ曖昧に書いていた新聞がいつの間にか原子爆弾と書き出した。新聞はもう、前のような当局から指示されたことだけをオウムのようにいうという箝口的統制から解かれたという噂もある。なんでも書いていいというわけだ。だが昨日の新聞などはまだ旧態依然。(今日の新聞は、例によってまだ来ない。)
思えば、敗戦に対しては新聞にだって責任がある。箝口的統制をのみとがめることはできない。言論人、文化人にも責任がある。敗戦は原子爆弾の出現のみによっておこされたことではない。ずっと前から敗けていたのだ。原子爆弾でただとどめをさされたのである。
ここまで書いてきたら、新田が窓から、
「おい、行かないか」
2時半だ。東京ヘビールを飲みに行こうと約束したのである。
「よーし、行こう」
台所へ行って母に、
「馬鈴薯できましたか。3時の電車で東京へ行くんですが」
「皮がはじけたから、もううだったようだがね」
妻は店へ会員名簿をとどけに行って、そのまま手伝っている。昼食用に馬鈴薯をうでてくれと母に頼んだのだ。
庭にできたトマトを自分で台所で輪切りにして馬鈴薯に添えた。熱い馬鈴薯の皮をむいて塩をつけて食う。
「アメリカ軍が入って来たら、——西洋人というのはジャガイモが好きだから、もうこうして食えなくなるんじゃないか」
米の代用の馬鈴薯だが、その馬鈴薯が取り上げられたら、何を一体食うことになるのだろう。
——新田は白のズボンに白のシャツ、白いスポーツ帽と白ずくめ。万一原子爆弾に襲われたらと、その要心の白ずくめである。
通称「角エビ」、銀座のエビスビアホール。労報か何かの日だ。労報所属のどこかの職場に配ったビール券を持ってないと飲めないのだ。だが新田はここの「顔」だった。
久しぶりのビール。うまいと思った。客はそう来ていない。1杯飲むとコップを出口において、また新来の客のような顔をして入口に廻ってビールを取る。3杯飲んだ。文藝春秋社の沢村君が現われた。彼も「顔」なのか。さらに2杯。酩酊した。——客はようやくふえた。酩酊したのもいる。声高にみな喋っている。けれど、日本の運命について語っているものはない。さような言葉は聞かれなかった。そういう私たちも、たとえ酔ってもそういう言葉を慎んでいる。
まことに徹底した恐怖政治だ。警察政治、憲兵政治が実によく徹底している。——東条首相時代の憲兵政治からこうなったのだ。
同盟ビル1階の西日本新聞社へ行く。1階に移ったのだ。外はまだ明るかった。高鳥君(註=高鳥正)がいたら情報を聞こうというつもり、幸い高鳥君はいた。が、漏洩が厳重に取締られている。新聞社でも少数の幹部を除いて、情報が全くわからないらしい。
駅へ向う途中、高鳥君の友人らしいのが、
「11時発表だ」
と言った。四国共同宣言の承諾の発表! 戦争終結の発表!
「ふーん」
みな、ふーんというだけであった。溜息をつくだけであった。
——戦争が終ったら、万歳! 万歳! と言って銀座通りを駆け廻りたい、そう言った人があったものだが。私もまた銀座へ出て、知らない人でもなんでも手を握り合い、抱き合いたい。そう言ったものだが。
「僕は汁粉を思いきり食うんだ……」
『新女苑』の清水君の言葉が思い出される。間もなく彼は兵隊に取られた。いまどこにいるか。銀座は真暗だった。廃墟だった。
汁粉など食わせるところは、どこもない。