文学者が見た敗戦の記録



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『戦時女性』一ノ木長顕氏来訪、『征旗』婦人記者来訪、いずれも小説原稿の督促。
 店へ。当番なり。夜、原稿書こうと恩ったら空襲警報で駄目。いよいよ大船鎌倉を襲われるかと思ったら、鶴見川崎へ行った。

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 海桜隊関東支部長来訪。来週土曜日に久米、小島両氏に海軍監督官室で講演をして貰いたいという。
 午後、仕事にかかる。
 ヒロポンをのんで徹夜。

 1日の大本営発表が新聞に載っているが、発表の最初に「戦備は着々強化せられあり」とある。それについて毎日が「軍に毅然・大方針あり」と提灯記事を書いている。昨日は読売が同種の記事を掲げていたが。——ところが、毎日は提灯記事の隣りに社説を掲げている。「民意を伸張せしめよ」「知る者は騒がぬ」ひかえ目ながらここで注文を出している。国民はもはや、提灯記事、気休め記事は読まぬのである。

 (毎日新聞)
  軍に毅然・大方針あり
  大本営発表の第1項において帝国陸海軍の決戦態勢の強化がかかげられたのは従来に見ざるところであり、その意味するところ深長であるとともに陸海軍の断乎たる決意がその行間に窺はれるのである、由来勝利の原則は真の決戦場に決戦兵力を剰(あま)すところなく投入することである、われの根本方針は総てこの原則に基づきこれが一切の作戦を貫いてゐるのである

  先般鈴木首相が記者団との会見において、敵艦上機、艦砲の跳梁に対し首相が参謀総長、軍令部総長に尋ねたところ両総長は、軍としては期するところあつて、それに基づいて作戦してゐるとの言明があつたが、その言裡には軍に毅然たる大方針のあることを示してゐる、従来太平洋諸島の戦においては求めんとして求め得ざりし決戦の機会をいよいよ本土において邀(むか)へんとし今やわが戦備は着々進みつつある、特に敵の航空攻撃により僅少の損害に留つてゐるわが航空生産力は依然逞(たくま)しい生産線を描いてゐるのである、敵はわが航空力の健在を恐れてこの撃滅のためB29、艦上機、中小型機を総動員して必死の努力を傾けてゐるのも宜(むべ)なる哉(かな)であるが、敵の徒(いたず)らなる消耗を他所(よそ)にわが決戦戦力は日一日と蓄積されつつある

  心、物量に勝てり 敵は狙ふ我精神
  大出血に畏怖、謀略に躍起
   崩すな国内団結力(読売新聞81日、記事の見出し)


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 文報へ行く。
 帰りに新橋で定期券を買った。前から買おう買おうと思いながら、配給の通帳をいつも忘れて買えなかった。通勤証明書のほかに、住所を証明する通帳を見せねばならぬのだ。地下鉄口の方で買おうとすると、定期券を売る窓がない。さては正面口だけでしか売らぬのかと、そっちに廻ると、そこにも見当らぬ。聞いてみると、定期券売場は烏森口だという。ぐるりと廻って、そっちに行った。3カ月61円。——果して3カ月使えるだろうか? いやあと3カ月ぐらいは電車も通っているだろう。改札口は閉鎖。電車に乗るためには再び正面まで廻らなくてはならなかった。あらゆる方面で、人に不便をかけることへの顧慮というようなものは全くないのである。むしろいわば、なんとかして人に不便をかけ、人を苦しめようとしているかのようだ。

 逗子の今君、藤沢の山沢君と一緒に電車に乗った。
 今君の話では、里村欣三が死んで細君が故郷へひきあげることになり、荷物を駅へ出して、身体だけ先きに広島(?)へ行った。ところがその荷物がのこらず、渋谷駅で焼けてしまった。家財道具一切焼失した。細君は重ねがさねの不幸に茫然自失——という話。これからこういう不幸な人々が続出するのであろう。

 戸川貞雄とこの間の情報局の会で会ったが、家を焼かれて庭の鳩小屋にいるとのことだった。鳩小屋にいて、豆を食っていたら、まるで鳩だ——と笑ってすませないのである。

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 読売、毎日両紙とも、爆撃予告の敵のビラに驚くなという記事を出している。当局からの指示によるのであろう。
 夕方店へ。久米、川端両氏に会う。久米さんは運輸省依頼の巡回講演から前日帰ったところ。

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 かねての約束で今君と情報局へ行き、文芸課長に会った。今君の実践部長、自分の調査部長就任についての挨拶。情報局は内務省5階にある。いつまでこの建物がもつだろう。ガタガタの電車で東町へ。私は中学生の頃、この小さな電車でその時分日比谷にあった府立一中に毎日通っていたものだ。三ノ橋から乗って桜田門下車。桜田門どまりだった。

 警視庁は帝国劇場の隣りの濠端にあってまだこの桜田門にはなかった。内務省、文部省の庁舎もなかった。海軍省、司法省の赤煉瓦の建物はあったが、それらは今焼け落ちてしまった。——小型電車はその頃のと同じだったが、車の破損のひどさ、車内の乗客の、半分はまるで乞食のような風態のひどさ、車外の焼跡のひどさ、——感慨無量というような生易しいものではない。これらのひどさは、もっともっと増すのであろう。昇るのはむずかしいが、落ちるのは早い。これは日本の文化についてもいえるだろう。一度落ちたら、その向上はなかなか困難だ。しかも戦いに負けたら……。胸に来るのは、いつものことながら、暗い想いだ。私ひとりは、精神的に大変元気だが、ひとりの力など空しいものである。

 西村孝次君と電車が一緒だった。一緒に文報へ行く。故郷から帰った鯨岡君に会う。『征旗』婦人記者が小説原稿を取りに来た。急いで清書にかかったが、下書が1枚抜けている。思い出して書くのも面倒なので、そこを抜かして清書した。いやな気持だった。29枚。『陰膳』という題。『日々の緑』につづけて『日々の……』という題にしたかったが、適当な言葉が見つからぬので、不満足ながら『陰膳』とした。

 空腹で帰って飯を食うと、疲れが出て、チェーホフを読みかけたが、読み通せなかった。電車は片道2時間かかる。往復4時間立ち通しの電車だけで、すっかり疲れる。

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 文報行。途中、新橋駅と田村町の間の関薬局という薬屋で「ビタカルゼ」というビタミン剤を買った。新橋から行って右側は焼け、左側はすこし残っているのだが、その通りでものを売っているのは、左側のその店だけだった。この店も内部は焼けたのだが、鉄筋コンクリートの壁が残ったので、急ごしらえで店を開いた。店を開いたについて主人が口上を書いた貼紙を出している。

 とにかくものを売っているのは珍しいので客がいっぱいつめかけている。なんだかインチキらしい薬ばかりなので、私は今まで入ったことがなかったが、今君がここのメンソレータム代用品が、インチキ薬らしいのに案外蚊にさされた跡などにはかゆみ止めになるといっていた。さらに、鯨岡君が昨日「ビタカルゼ」をここで買って来たのを見て、つい誘われて買ったのである。飛ぶように売れている。粉末1000瓦(グラム)の箱ひとつ20円。

 文報からの帰りはいつも今君と一緒だったが、今日はひとりで早目に事務所を出た。行きに読みかけたジャン・シュランベルジェの『或る男の幸福』(原題『或る幸福な男』井野康彦訳)を車中一人で読もうと考えたのであるが、新橋駅で義兄に「やあ、高見さん」と声をかけられた。

「大変な話——聞いた?」
 と義兄はいう。
「大変な話?」
 あたりの人をはばかって、義兄は歩廊に出るまで、黙っていた。人のいないとこへと彼は私を引っぱって行って、
「原子爆弾の話——
……!」
「広島は原子爆弾でやられて大変らしい。畑俊六も死ぬし……
「畑閣下——支那にいた……
「ふっ飛んじまったらしい」
 大塚総監も知事も——広島の全人口の3分の1がやられたという。
「もう戦争はおしまいだ」

 原子爆弾をいち早く発明した国が勝利を占める、原子爆弾には絶対に抵抗できないからだ、そういう話はかねて聞いていた。その原子爆弾が遂に出現したというのだ。——衝撃は強烈だった。私はふーんと言ったきり、口がきけなかった。対日共同宣言に日本が「黙殺」という態度に出たので、それに対する応答だと敵の放送は言っているという。
「黙殺というのは全く手のない話で、黙殺するくらいなら、一国の首相ともあろうものが何も黙殺というようなことをわざわざいう必要はない。それこそほんとうに黙っていればいいのだ。まるで子供が政治をしているみたいだ。——実際、子供の喧嘩だな」
 と私は言った。

 一緒に家へ帰って食事をともにした。「ビタカルゼ」の箱を開いてみたら、吸湿性の粉末だから開函したらすぐ他の瓶に入れかえてくれという注意書があって、ただ紙で粉末が包んであるのだ。その粉末を口に入れると、糠の臭いがした。——糠を20円で買って来たのである。

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 大詔奉戴日なので文報では10時から式をやって、その後11時から常会をやるから、是非10時までに来てくれと庶務の酒井君が言った。私も、10時までに行くつもりだったが、新聞が見たかった。原子爆弾の記事を見たかったので、新聞の来るのを今やおそしと待っていたが、——来ない。しびれを切らして、遂に10時に家を出た。式には出られないわけである。

 電車が来たので乗ろうとすると、向うの窓から今君が呼ぶ。その車に乗った。今君は、私たちが大学にいた時分、美学の講師をしていた團氏(琢磨男令息)と話をしていた。團氏は東京の家を焼かれたのである。「博文館の帝国文庫は助かった」と團氏が言っている。県子爆弾の話はしていない。車中、どこも誰も、そんな話はしていない。みんな、のんびりした、——いや、虚脱したような顔をしている。そして常と同じく、満員である。

 今君と2人きりになったとき、
「新聞読んだ?」
 と、聞いてみたら、読んだというので、広島の爆弾のことが出ていたかと聞くと、
「出ていた——
「変な爆弾だったらしいが」
「うん、新型爆弾だと書いてある」
「原子爆弾らしいのだが、そんなこと書いてなかった?」
「ない。——ごくアッサリした記事だった」
「そうかね。原子爆弾らしいんだがね。——で、もしほんとに原子爆弾だったとしたら、もう戦争は終結だがね」
 田村町へ歩きながらの会話だ。あたりに人はいないが、私は声を低くしていた。

 ——関薬局は相変らず押すな押すなの盛況だ。街の様子、人の様子は、いつもと少しも変ってない。恐ろしい原子爆弾が東京の私たちの頭上にもいつ炸裂するかわからないというのに、——それは杞憂というようなものではなく、現実に日本の土地で示されたことなのだが、人々は、のんびりした、ぼんやりした顔をしている。これはどういうことか。

 文報へ行くと、調査部の部屋でまだ常会が行われていた。防空壕のことが議題になっている。
 防空壕がないのだ! これから、それを掘ろうというわけである。今君が原子爆弾のことを座に披露した。誰も知らない。知らないのは当り前であった。新聞でもラジオでも、単に新型爆弾という言葉で、あっさり片付けているからだ。国民に恐怖心をおこさせまいとする政府の隠蔽政策は、——万事につけてこの政策だが、——隠せば隠すだけ、むしろ誇大に伝わるだろう。その害の方が警戒すべきなのではないか。万事につけて、今までいつもそうだったが——

 今日は常務理事会だが、会長の高島米峰氏ひとりしかやってこない。
 帰り際になって警報が鳴った。すわ、原子爆弾?——だが案外慌てなかった。落ちついている。
 否、諦めているのだ。どうとも勝手にしろ、そうした糞落ちつきだ。

 爆弾の炸裂音。普通の爆弾らしい音だった。新橋で東京新聞を買った。「新兵器に防策なき例なし」こういう見出しだ。ひどく苦しい表現だ。

  大本営発表(昭和20871530分)

  一、昨86日広島市は敵B29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり
  二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり

  昨7日の大本営発表にみられる通り、敵は6日午前8時すぎB29の少数機を広島市に侵入せしめ、少数の新型爆弾を投下、少数機、少数の爆弾をもつて一瞬にして無辜(むこ)の民多数に残虐なる殺傷を加へたるのほか、相当数の家屋を倒壊、市内各所に火災を生ぜしめるの天人共に許さざる暴挙を敢へてなしたのである、新型爆弾の威力、被害等については未だ詳細判明せざるも、共に軽視すべからざるものがあり、つねに人道をロにし、表面正義をよそほふ敵米ながら、既にこと、この暴挙に至っては最早や世界の何人も許さざる鬼畜の手段たるにたがはず、吾等は日本民族抹殺目指す暴虐なる敵新企図の一切に対しては敢然今ぞ反撥するところがなければならぬ

  されば未来永劫敵米はこのそしりをまぬかれ得ず、今後も引続きこの種鬼畜爆弾を使用するであらうし、同時に6日爆弾投下と同時に撒布した誇大なる謀略伝単に対し、これら悪魔の如き破壊殺傷力と無形の圧力をもってわれに挑み来るのであらう、然しこの新型爆弾に対しては目下早急なる対策を練りつつあり当局の指示あるまで従来通りの防空対策を一層促進、少敵機の来襲といへども決しておそれずあなどらざる態度を先づ自らのうちに固めなければならぬ

  由来新兵器には対策なきのためしがないのであり、徒らなる焦燥感にかられることなく、文句なし全力をあげて戦争一本に突進すべきの臍(ほぞ)の緒をしむべきである、さらにこの種謀略宣伝に対しては巷間デマの一切に耳をかさざることが何より肝要である、もし少しでもこの種デマに迷はされるならばデマはデマを生み、空しく己れをさへ破滅し終るべきを知るべきである、これは誇大宣伝開始に備ふる吾等の覚悟でなければならぬ

  いまこの謀略伝単を説明し得るべき自由を持たないが、これとて従来屡々(るる)敵が用ひた謀略以外の何物でもなく、この種爆弾の使用、はては謀略宣伝を遮二無二でつちあげてまでもわが堅陣本土攻略難しと見ての敵作戦焦躁のいつはらざる真姿をわれらはいまぞ知得出来るのである、あせりつつ苦しみつつ困惑の果てに放たれた悪鬼爆弾に一歩も譲り得ず、断じて破れてはならぬ理由またここにある、そしてわれただ報復あるのみである

  報復一途……われら一丸、こつて体当りするところこれの成らざるはないのであり、今回の暴挙への日本民族の解答はこれ以外にない、この解答を示す秋(とき)こそ、既に正義に於て勝てるわれらがまた武力に於ても勝てるの輝かしい秋を迎へるであらうこと神人共に疑はざるところである(東京新聞)

 今君は、これを読んで、
「こりゃ、君、相当なものだね」
 と言った。私も記事の背後に、爆弾の恐ろしさを読んだ。どうして真相を発表しないのか。どうしていたずらに疑心暗鬼を生ぜしめるのか。

 歩廊で北条秀司君に会った。原巌、鈴木英輔等の死を聞く。
 車中、『或る男の幸福』を読む。次の言葉が心を捉えた。
 ——彼女は花、入陽(いりひ)、美しい風景を讃美したが故に自然を愛したと信じてゐた。しかし彼女は、あるがままのものを前にして我々の心を動かすやうな求知心は持たなかった。写実主義(レアリズム)の中には彼女よりも更に高邁な精神を持った婦人たちですら達し得ぬ崇高性がある。現実は決して彼女たちを堕(おと)しはせぬ。彼女たちは現実を恐れてゐるか、さもなければ軽蔑してゐるのだ。

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 前日と今日の新聞が一緒に来た。前日の新聞をまず見た。「新型爆弾」については、一面のトップに記事が掲げてあるが、なるほど簡単である。

  88日(毎日新聞)
  軽視許されぬ其威力
    速かに対策を樹立

  86日午前8時すぎB29少数機は広島市に侵入、少数の新型爆弾を投下した、そのため同市の相当数の家屋が倒壊、各所に火災が発生した、敵の投下した新型爆弾は落下傘をつけ空中で破裂したものの如くであり、その詳細については目下調査中であるが、その威力は軽視を許さぬ
  敵は引続きこの新型爆弾を使用するものと予想されるが、これに関する対策については早急に当局より指示されるが、現在の待避設備は更に徹底的に強化する必要がある、今後は少数機といへども軽視することなく慎重な待避が望まれる。

 これでは、みんな、のんびりしているのは当り前だ。
 毎日に、アメリカの戦時情報局の組織が出ている。長官をはじめ、海外部長、政策部長はいずれも文芸家だ。文化人を戦争から締め出している日本とは、まるで違う。すべて、まるで違うの感が深い。
 今日の新聞には、毎日、読売ともに新爆弾対策が出ている。毎日には赤塚参謀の談話が出ている。やや具体的である。

  特徴は垂直爆風圧
   上方の遮蔽が大切
    赤塚参謀視察談 正体は研究済み

  〔大阪発〕6日広島市に投下した敵のいはゆる新型爆弾につき6日広島の現場に急行詳細な調査を遂げ8日帰阪した中部軍管区参謀赤塚一雄中佐はつぶさにその視察結果を公表した

  民防空在米の指導第1課は敵機来襲に際して必ず壕に待避すること——敵機への突撃態勢である、この際待避を徹底することが今回広島市に投下したいはゆる敵の新型爆弾に対処する唯一の勝利の道である、被害が比較的大きかったのは時あたかも空襲警報解除ののちであり一般市民もほつとしてゐたいはば気分にゆるみがあったときである、ここへ突如従来とは全く性能を異にした爆弾を投下されたので普通なら何でもなかったのにこの予想外の被害を生んだのである、敵は高性能の爆弾を投下したと発表したが、その特徴をあげると

  まづ第1に熱線による焼夷的な威力が大きかったこと、第2爆風圧が従来のものより強烈であったこと

  この2つに尽きるがこの種爆弾は日本でも研究されこの実体もわかってゐた程度のものである、従来の爆弾は横に及ぼす爆風の威力によって人、物を殺傷し破壊したが今回の敵のいふ新型爆弾は上空から地面に及ぼす垂直爆風圧の威力が大きかつたのが新しいところである。

  ところで第1の熱線の焼夷的効力についてまづ上空に向って遮蔽をすることが最も効果的である、この意味から地下壕は絶対的である、五体の露出部分は完全な防空服装によつて包むこと、半袖、半パンツ、上半身裸体の者にのみ意想外の重傷があったのはこのことを雄弁に物語るものである、露出部面は完全な腐爛状態にあり、薄いシャツもこの熱線の滲透のため火傷水泡が生じてゐる、2枚以上の服装をまとつたものは安全であつた、この熱線はガラスなどの透明物をも完全に透してゐる、池でも表面近くの魚が火傷をして浮いてゐるのを見た、熱線に対しては遮蔽する、これは絶対に例外がないのである、防空頭巾、手甲、脚絆、しかも顔面を包むことも考慮すべきである、かうした防空服装を整へて壕に入つてをれば絶対安全である

  第2の爆風圧即ち爆風に対しても上空に向つての遮蔽が有効であることはいふまでもない、その一例は在来の日本家屋は倒壊してゐたが、不思議に電車が潰されてゐなかつた、電車の鉄筋が日本家屋の柱より強かつたからである

  熱線を防ぐため壕も入口より奥にまた咄嗟の場合は高位より伏せの姿勢が有効であるは論をまたない、この敵の新型爆弾に対処する途は今こそ一億総穴居、完全な防空生活に徹することの以外にはない、新型爆弾恐れるに足らず、要は不用意な安心感をもつて壕への待避と完全な防空服装を怠ることによつて不慮の災禍を蒙る、現に広島市の場合中国軍管区防空情報は

   空襲警報は解除されましたが、まだ1機広島市に侵入します

  と市民に注意を促してゐたのである、ラジオ情報への判断を忘れないことも防空生活への大切な1項目である

 朝、久米家へ行った。文庫の支払金計算。川端さん、中山夫妻も来る。不還本がひどく多い。
 原子爆弾の話が出た。仁丹みたいな粒で東京がすっ飛ぶという話から、新爆弾をいつか「仁丹」と呼び出した。
「そのうち、横須賀にも仁丹が来ますな」
2里四方駄目だというが、鎌倉は、するとまあ助かりますかな」
 昼食後、今日は私の当番なので、妻と店へ行く。いつもながらの繁昌である。「仁丹」が現われても、街に動揺はない。続々と会員申し込みがある。会員は3カ月間の読書料前払、118日までというわけだが、118日まで一体この店が存在しているだろうか。

 4時過ぎ頃、林房雄が自転車に乗って来て、
「えらいことになった。戦争はもうおしまいだな」
 という。新爆弾のことかと思ったら、
「まだ知らんのか。ソ聯が宣戦布告だ」
 3時のラジオで報道されたという。
「警察から電話がかかって来て、——警察の奴はハッハッハと笑っていた」

 店にはいつも誰かいるのだが、今日は川端さん、中山夫妻は久米さんのところでひきつづき計算、——誰もいない。では久米さんのところへ行ってみようと林は自転車で去った。そのあとへ、放送局の人が来た。名刺を見ると、福村久とある。『日本文学者』の同人だ。北条誠君も一緒だった。川端さんに会って来た帰りだという。

「えらいことになったですな」
 と私は言った。
「爆弾ですか」
 2人は、つい先刻の私と同じく、ソ聯の宣戦をまだ知らないのだった。福村君は『戦列日記』という放送原稿を註文に来たのだが、
「こいつは、えらい時に来てしまった。——でも、ひとつ、頼みます。それから前々からお頼みしてある物語も是非……
 急いで帰って行った。

 永井君が来た。東京からの帰りに寄ったのである。緊張した表情である。長崎がまた原子爆弾に襲われ広島より惨害がひどいらしいという。2人の者が、同盟と朝日と両方から聞いて来て、そう言ったというから、うそではないらしい。

 店は何の変りもない繁昌である。知らないせいか、知っていても平然としているのか。山村、小泉両君に、ソ聯宣戦のことを、そっと紙に書いてしらせた。人がいっぱいいる店で、何か声を出していうのがはばかられた。
 夜、久米家へ。計算を夜になってもやってしまおうという約束で行ったのだが、すでに終っていて、酒を出された。酒をのみたいと思っていたところなのでありがたかった。うまかった。

 避難の話になった。もうこうなったら避難すべき時だということはわかっているのだが、誰もしかし逃げる気がしない。億劫でありまた破れかぶれだ。
「仕方がない。死ぬんだな」