館山・幻の「ロケット特攻」基地を行く

戦闘指揮所跡(旧128高地の地下壕)
戦闘指揮所跡(旧128高地の地下壕)


 以前、東京湾防御の歴史という記事を書きましたが、あれは富津(千葉県)〜観音崎(神奈川県)ラインの話。で、地図を見ればわかるんですが、現実に敵の艦隊が東京湾に侵攻してきた場合、最初の迎撃地点は房総半島の先端・館山になるわけですな。
 ということはつまり、館山には要塞がいたるところにあるわけです。しかも、世間的には知られていませんが、実は特攻基地がたくさんあったのです。そんなわけで今回は、館山の戦争遺跡を旅してみた!

館山湾
深い入り江になってる館山湾
(写真下部にも戦跡らしきものがありますが、正体不明です)


 でその前に。
 ちょっと質問なんですが、ジェットエンジンとロケットエンジンの違いって知ってるでしょうか?
 細かい違いはさておくと、ジェットエンジンは外部から取り込んだ空気を燃焼に利用するもの、ロケットエンジンはあらかじめ搭載してある酸化剤を燃焼に利用するもの。ロケットエンジンには空気が必要でないので、真空の宇宙や水中でも稼働するわけです。

 このジェットエンジンもロケットエンジンも、第二次世界大戦末期、同盟国のドイツから技術が入ってきました。
 当然、日本軍は総力をあげて研究するわけですな。
 
 その結果開発された主な飛行機には、以下のようなものがあります。いずれもドイツのメッサーシュミットを参考に(コピー)して開発されています。

メッサーシュミット
これがメッサーシュミット

●ロケットエンジン機「秋水」
 陸軍と海軍の共同開発。陸軍の略称はキ-200、海軍はJ8M。開発は三菱航空機ですが、敗戦時にはまだ試作段階でした。
(この技術が現在の三菱重工のロケット技術にまで発展します)

局地戦戦闘機「秋水」
局地戦戦闘機「秋水」

●陸軍ジェットエンジン機「火龍」(キ-201)
 機体は中島飛行機、エンジンは日立航空機と石川島飛行機製作所ですが、敗戦時、図面が完成した段階でした。
●海軍ジェットエンジン機「橘花」
 機体は中島飛行機、エンジンは石川島重工業。終戦直前に完成したものの、パイロットの訓練段階で敗戦。

 で、石川島重工業(現在のIHI)が開発した日本初のジェットエンジンがこちらの「ネ-20」。

国産初のジェット・エンジン
国産初のジェット・エンジン(2008年、国際航空宇宙展)


 この「ネ-20」が積まれた攻撃機が「橘花」です。

 ほかに、ロケットエンジンによる特攻機「桜花」もありました。「桜花」は母機である「一式陸攻」で運ばれ、空中でロケットエンジンを点火して敵艦隊に突入する仕組みでしたが、後に陸上から発進する形に変えられました。

桜花
「桜花」
 
 機体に800キロの爆弾を取りつけ米軍機につっこむ「人間爆弾」桜花の秘密基地は、比叡山や熱海、そして館山に作られました。

 比叡山のカタパルトの目撃証言が新聞に掲載されていたので一部引用しておきます。

《1945年6月。ケーブル延暦寺駅付近で、カタパルト(発射台)の建設が昼夜を問わず、急ピッチで進められた。100人ほどの下士官兵らが「建設部隊」を構成し、山を登る光景を何度も目撃した。8月8日までにカタパルトが出来上がり、発射実験が行われることになった。100メートル先のがけの上に立つと、全長約60メートルのカタパルトが琵琶湖を眼下に、空中に延びていた。「桜花」は、まだ届いていなかった。材木を井げたに組んで「桜花」に見立て、実験が行われた。「ものすごい音とともに、飛んでいった。煙がもうもうと立ち込め、山全体の樹木が揺れた」。実験は成功した》(京都新聞2005年8月15日)

 発射基地の完成式は、なんと終戦の8月15日だったそうです。太平洋戦争で日本海軍が失った戦艦第1号は「比叡」ですが、なんというかあんまり験(げん)がよくないですな。
 それはまぁともかく、比叡山のカタパルトは戦後米軍に破壊され、今は土中に残骸が埋もれているだけです。

 一方、館山のカタパルトは現在も残骸が残っています。そんなわけで、さっそく館山に向かいました。

館山カタパルト基地
旧三芳村(現・南房総市)の知恩院にはレールの残骸が!

館山カタパルト基地
コンクリ製の滑走路跡

 
 桜花基地の残骸は、山中の畑のなかにありました。本来は4カ所に基地を分散させ、合計で12基のカタパルトを建設する予定でしたが、現存してるのはこれだけみたいです。滑走路の方角はほぼ南に向いており、たしかにロケット発射には向いています。
館山カタパルト基地館山カタパルト基地
(左)基地の全景。中央の小高い山みたいな所に滑走路跡が
(右)山の上からの眺め。県道に沿ってほぼこの方角に発射


 でだ。
 冒頭でも書いたとおり、館山には「桜花」以外にも多くの特攻基地がありました。“人間魚雷”「回天」、特殊潜行艇「海龍」、ミニ潜水艦「蛟竜」、すべて特攻兵器です。
 下の写真はベニヤ板製の小型特攻ボート「震洋」の滑り台跡。満ち潮だったので水鳥がのどかに遊んでますが、潮が引くと無粋なコンクリが現れるようです。

特攻基地(波左間)
漁村に紛れて作られた特攻基地(波左間)

 ところで、館山には当然のことながら司令部もありました。現在、海上自衛隊のヘリコプター基地がある場所は館山海軍航空隊の跡地ですが、これ以外にも……

海自・館山航空基地
海自・館山航空基地


 本土決戦用の秘密基地があったんですよ。冒頭の写真が旧128高地の地下壕にあった「戦闘指揮所」です。その隣には「作戦室」もありました(現在は個人では入れません)。


館山地下壕
地下壕の作戦室

壕から望んだ館山湾
壕から望んだ館山湾


 すげぇな館山。
 米軍はこの要塞町を警戒し、敗戦直後に3500人の兵士を上陸させ、制圧の準備をしていました。そして本土唯一の直接軍政を4日間行ったのでした。
 知られざる特攻の町に、かなり驚いたオレなのです。

制作:2008年10月13日

<おまけ>
 戦後、日本が航空機開発を再開し、1956年に完成した初の実用ジェットエンジンが下の写真のJ3。主開発はIHIで、当然のことながら「ネ-20」の技術が生かされています。IHIは日本のジェットエンジン生産の60〜70%を担っており、防衛省の航空機のほとんどのエンジンを担当しています。
国産ジェットエンジンJ3
戦後初の国産ジェットエンジンJ3(国立科学博物館)
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