寺子屋の教育について
廃止寸前の寺子屋(下岡蓮杖撮影)
江戸時代の庶民教育を支えていた寺子屋は、天保期(1830〜)になると爆発的に増加し、最盛期には1万5000以上も存在したといいます。先生は坊さんや武士、神官などが多く、地元の子供達を小規模に集めて教えました。生徒は6〜7歳から12〜13歳の男女で、「寺子」「筆子(ふでこ)」などと呼ばれていました。
諸外国に引けを取らない民度の高さを維持してくれた寺子屋では、いったいどんな教育をしていたんでしょうか? 明治42年(1909)に発行された「近世世相史」を現代語訳しておいたので、読んでみてね。
寺子屋では習字が最も重要な科目だが、単に字形を教えるのではなくて、手本の音読から単語の意味の理解、文意の咀嚼までを視野に入れていたので、当時の手習いは、今でいえば習字と読書とさらに地理や作文までを含むものだった。
書道の流儀は師匠によって異なるのは当然だが、当時は「御家流(おいえりゅう)」以外は相手にされなかったので、唐様を学ぶ武家の篤志家を除けば、普通は和様の御家流を学んだ。
入学した生徒は、男女を問わず最初は「いろは」ではなく数字を習う。
男子は続いて「名頭(ながしら、名字を列記したもの)」「名字尽くし」「江戸方角(周囲の地名を書いたもの)」「請取文」「送り文」「手紙の文」「商売往来(商売の教科書)」「消息往来(手紙の教科書)」「証文」「店請状」「庭訓往来(ていきんおうらい、家庭の教え)」「千字文(せんじもん、4字×250句の詩)」などを教わった。
女子は「口上文」「文の書き様」「仮名交じり」「名頭」「国尽くし(日本の66国を列記した地理の教科書)」「女江戸方角」「女消息往来」「女商売往来」など、いずれも平仮名まじりの教科書を使ったのである。
手本は師匠が自分で手書きして生徒に与えたから、職工の家の子供には「商売往来」ではなく「番匠往来」、百姓の子供には「百姓往来」を与えるのが普通で、まさに個人教育だったといえる。
いわゆる山の手の武家が多い地域では、士風養成のため「千字文」「唐詩」を課すことが多く、日本橋や京橋といった下町では商家相手だから「八算(はっさん、2〜9の割り算)」「見一(けんいち、割り算の概算)」「相場割」など牙籌(がちゅう、象牙のそろばん)のことを併せて教えた。
これ以外には、男の希望者に「実語教(じつごきょう、道徳の教科書)」「童子教(どうじきょう、道徳の教科書)」「古状揃」「三字経」「四書五経」、ひいては「文選(もんぜん)」なども教えたが、後藤点・道春点(いずれも漢文の読解法)などに従ってただ素読するだけで、読解はいっさいしなかった。女子も同様で、「百人一首」「女今川(教訓書)」「女大学」「女庭訓往来」などを課したが、やはり素読のみであった。
結局のところ、寺子屋は実用本位の科目を優先的に教えるところなのであった。
教育って、本来、生きるのに必要不可欠なことを教えるところから始まったわけで、だからこそ、当時の親たちも義務じゃないのに自発的に子供たちを寺子屋に入れたわけですね。
なお、東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献した岡倉天心は、『日本の覚醒』のなかで、寺子屋の役割を次のように語っています。
《家康の創始した制度では、国のあらゆる児童は地方の僧侶の教えの下で読み書きを習うことを義務づけられ、こうして、もっとも貧しい百姓にさえ一定の教育が与えられ、国土の辺境辺陬(へんすう)にまで無数の寺子屋が設けられた。こうした手段の成果が、王政復古を受けいれる民族精神を準備したことは疑いをいれない》
前述の通り、寺子屋への入学は義務ではなく、入学率は高いところでも50%くらいでした。とはいえ、結果として全国で同じような教育が行われ、「日本人の民族性」を育てたのは確かでしょうね。
ちなみに、小説『当世書生気質』を書いた坪内逍遥は、11歳の頃、寺子屋に通い始めました。それまでは、すべて兄姉から教わっていたと述懐しています。
《11歳の年に名古屋へ移住したまでは、殆ど何等の規則立つた教育といふものは受けたことが無かつた。寺子屋へ通つたのさへも、名古屋へ移つてからのことである。習字や素読さへも、最初は兄に、後には姉婿に教はつたのみであるから、教へるはうも不規則、習ふはうは尚ほの事、互ひに気儘(きまま)や我儘(わがまま)が勝つので、厳しく叱られて泣面(なきつら)になつたことの多い割合には、習ふことが身に沁みず、只ぶらぶらと月日を過し、閑(ひま)さへあればたわいもない、くだらん本ばかり読み耽つてゐたものである》(『十歳以前に読んだ本』)
そして、この乱読こそ、自分の仕事に影響を与えたとしています。こう考えると、日本社会における個性の育成って難しいことがわかりますね。
更新:2012年7月13日
【参考リンク】小学校の成立について・教育勅語について・教育基本法について
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