TPP最終講義(2)
「自由貿易」論と「保護貿易」論の誕生


 福沢諭吉というと「文明開化」の象徴のようで、なんでもかんでも「西洋は素晴らしい」と言っていたような印象がありますね。しかし、福沢諭吉の根本思想は「愛国心」にありました。
 福沢自身はそれを「報国心」として、次のように語っています。

《自国の権義を伸ばし、自国の民を富まし、自国の智徳を脩(おさ)め、自国の名誉を燿(かがや)かさんとして勉強する者を、報国の民と称し、其(その)心を名(なづ)けて報国心と云ふ》(1875年=明治9年刊行の『文明論之概略』より)

 報国心の眼目は、自国と他国との差を作って、自国は自国で独立するという考えでした。

『文明論之概略』には、

 ・日本が大八車しかないのに、西洋は蒸気機関車を持っている
 ・日本が日本刀を自慢している間に、西洋では銃を発明している
 ・日本が「陰陽五行の説」を唱えている間に、西洋では60もの元素を発明している……


 だから西洋にはケンカしても勝てない、とあります。
 そして、何一つ西洋に勝てない日本が「報国心」を持つために、福沢諭吉は「保護貿易による商工立国」を目指すべきだと主張しました。

 意外にも、福沢諭吉は保護貿易主義者だったのです。


 後に総理大臣になる犬養毅(慶応大学卒業)もまた、1880年(明治13年)に経済雑誌『東海経済新報』を創刊して、保護貿易を訴えます。
 逆に、自由貿易を強硬に主張したのは田口卯吉らで、こちらは1879年創刊の『東京経済雑誌』を舞台にしていました。
 この2つを代表に、明治10年代は、保護貿易か自由貿易かで、激しい議論が繰り広げられたのです。

 参考までに、田口卯吉は「保護税は一国の利益を増やさない」という論拠を以下のように説明しています。

《日本では羅紗(ラシャ=毛織物)1巻を10円で販売できるが、ヨーロッパ製のものは1巻7円で輸入できる。そこで、国内業者を守るため、1巻あたり5円の保護税をかけるとする。すると、外国製のラシャは12円で売ることになるが、国産品は11円でも販売できる。
 つまり、国産業者は1巻売るたび1円の利益を取れるが、買う側にしてみれば、7円で買えるものを11円で買うのだから、4円も損をする。これを国全体で見ると、差し引き3円も損することになるのだ。

 あるいは別の例をあげてみる。

 職人10人の工場が、1反100円の絹を毎月100反作っていると収入は毎月10000円。それを、1反80円のラシャ製造が保護されているからと、5人を絹に、5人をラシャ製造に振り分けたとする。ラシャ担当となった職人は技術がないから、月に50反しか作れない。つまり、ラシャの収入は4000円だ。絹製造の5000円と合わせて合計9000円。外国の安いラシャを輸入せず、わざわざ国産化したばかりに、毎月1000円も損をすることになる》(1878年刊行『日本経済論:自由交易』を意訳)



 保護貿易と自由貿易のどちらがいいかという議論は、日露戦争期にも大きなテーマとなっています。たとえば「農本主義」の代表である河上肇は、農業を重視するため保護貿易を主張しました。

《いわゆる自由貿易は農業に大打撃を与える。イギリスでは1846年に穀物条例を廃止したのがいい例である。「工場労働者の賃金は食料価格で左右されるから、食料価格は安ければ安いほどいい。だから、保護税を廃止して、安い穀物を自由に輸入せよ」とは、当時の商工偏重主義者の言葉である。
 その意見を取り入れ、アメリカやインドから無関税で大量に食糧を輸入した結果、イギリス国内の穀物価格は大きく下落したが、同時に農業は衰退した》 (1905年刊行の『日本尊農論』を意訳)


 工業より農業を守れという議論って、なんだか今のTPP論争と似ています。TPPって、新しい政治テーマみたいですが、実は日本では昔から同じ議論を繰り返してきたわけですな。


制作:2012年12月17日


<おまけ>
 福沢諭吉はけっこうな貿易嫌いだったようです。1875年(明治8年)に刊行された『明六雑誌』ではこんなことを書いています。

《外国と貿易商売を為すに、彼我(ひが)人民の智力平均せざれば、我は損にして彼は得なり。
 されば、今、我国の貿易商売は我を損するの媒にして、我国民の智力爰(ここ)に止まれば、我国を滅すの大害と云はざるを得ず》(『明六雑誌』第26号「内地旅行西先生の説を駁す」)

 これって、日本人はバカだから貿易で滅びるということですから(笑)。まぁ、いまのTPP論議にも完全に当てはまる話でしょうねぇ。

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