旧東京眺望ツアー
愛宕山
愛宕山・男坂(明治29年)
「鉄道唱歌」に《愛宕の山に入り残る月を旅路の友として》と歌われた芝の愛宕山。高さは26mで、江戸時代には、東京湾から房総の山々までが一望できたため、行楽地として栄えました。
ちなみに「江戸名所花暦」によれば、
《この山上より雪中に見おろせば、格藩につもれるゆき、綿をもつて家居をつくれるに似たり》
と雪の名所とされています。
愛宕神社の公式サイトによれば、この場所から勝海舟と西郷隆盛が江戸を眺め、「江戸の町を戦火で焼失させるわけにはいかない」と江戸城の無血開城に踏み切ったそうです。
明治22年(1889)、愛宕山に旅館&西洋料理の愛宕館が完成します。隣には5階建ての愛宕搭が建てられました。この塔には望遠鏡があり、かなりの眺めが楽しめました(入場料は大人4銭、子供2銭)。
しかし、浅草の凌雲閣の評判にはかなわず、実際にはそれほど流行らなかったようです。
愛宕館と愛宕塔
頂上からの眺望
頂上の愛宕神社に向かう急階段は男坂と呼ばれていて、別名「出世の石段」。これは講談「寛永三馬術」に出てくる話なんですが、将軍家光のために曲垣平九郎(まがきへいくろう)が馬で階段を上り、梅一枝を取ってきたことで名をあげたことから来ています。
これが男坂の急階段(出世の石段として有名)
さて、上の写真の左手にある鉄塔は何か?
実は大正14年(1925)年に作られた、
日本初のラジオ放送局です。現在はNHK放送博物館。下の写真には現在も残っている愛宕トンネルも見えます。
東京放送局
なお毎年6月24日は「千日詣」といって、この日に参拝すれば、その功徳は4万6000日分に相当すると言われています。
更新:2006年10月10日
<おまけ>
現在の様子も公開しときます。
男坂と女坂
広告