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 航空事業に熱心だった朝日新聞は、1923年(大正12年)、東京と大阪を結ぶ航空組織「東西定期航空会」を設立し、週1便の郵便飛行を開始、旅客と貨物の輸送事業を開始します。これはのちに週3回に増便されました。
 1925年には、日本初の訪欧飛行に成功、1926年には朝日新聞航空部が誕生します。

 東西定期航空会が誕生した1923年は、関東大震災が起こった年です。当然ですが、朝日新聞は震災の被害状況を空から撮影し、大々的に伝えました。とはいえ、空撮があたりまえになるのは、もう少しあとのことで、1920年代の終わり頃です。
 ちょうどその頃、帝都は震災から復興した姿を見せており、その様子は空撮として格好の被写体となりました。

 朝日新聞は、1929年から1930年にかけて、いくつかの空撮写真集を出版しています。本サイトでは、アサヒグラフ臨時増刊『東日本航空号』(1929年8月)、『空から見た西日本』(大阪朝日新聞1930年3月5日付録)、『帝都復興記念写真帖』(東京朝日新聞1930年3月24日付録)より、貴重な空撮写真を一挙にまとめておきます。

 なお、「北海道・東北」「関東」と、「中部・関西」の長野、静岡が『東日本航空号』掲載の写真で、それ以外は『空から見た西日本』掲載写真となります。また、岐阜県や長崎県などは、残念ながら、もともと掲載されていませんでした。

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