「三井本館」が語る三井財閥の底力!

三井本館
この壮麗さを見よ!


 NHKスペシャル『JAPANデビュー』第3回は「通商国家の挫折」というタイトルで、三井物産を取り上げていました。

 明治政府が貿易立国の担い手として作った世界初の商社が三井物産で、社長は徳川幕府の騎兵隊長だった益田孝。当時28才という若さでしたが、海外経験があるため、英語ができたことが決定打となりました。
 明治9年7月1日、旧三井物産が誕生したとき、職員はたった16名、貿易はリスクが高いということで誰も出資せず、資本金はゼロからのスタートでした。

 設立書には「広く皇国物産の有余を海外へ輸出し内地需要の物貨を輸入普く宇内万邦と交通せん事を欲し」とあり、まずは米取引から開始。
 物産が拡大したのは日清・日露戦争と軌を一にしており、特に重要だったのが、当時世界一だったイギリス綿製品、第2位だったアメリカ綿製品とどう戦うか、でした。

 世界恐慌後の昭和8年(1933)、日本の綿製品は世界一を達成しますが、その後、世界は保護貿易が進み、石油をめぐり英米の国際資本と対立した結果、日本は戦争に追い込まれていく……という話でした。

 でだ。今回は、三井物産がテーマではなく、三井物産の本社に注目してみたいと思います。

 三井物産の本社は、現在、皇居端の大手町1丁目にありますが、かつては三井本館にありました。下はかつての三井本館。

三井本館
1902年に竣工した旧三井本館


 三井本館は関東大震災で焼失し、1929年に建て替えられました。現在の建物は地上7階地下2階建ての鉄筋コンクリート造で、1998年に国の重要文化財に指定されています。住所では日本橋室町で、一言で言えば日本銀行&三越の隣です。

三井本館
三井本館
震災の教訓を受け、非常に堅牢に作られた三井本館。建設時のコンセプトは「壮麗」「品位」「簡素」


 三井本館はその名の通り三井財閥の本拠地で、かつては三井合名会社本社、三井銀行本店、三井物産本社、三井鉱山本店などが入居していました。三井不動産ももともとは三井本館の不動産課からスタートしています。銀行、商社、炭坑……この3大企業が三井を支え、同時に日本の近代化を促進させたことは言うまでもありません。

三井本館
天井の装飾

三井本館
美しいガラス戸


三井本館
VIP用の入口

三井本館金庫
東洋最大の巨大金庫。重さ50トンで、現在も貸金庫として使用中


 三井本館には外壁上部に全部で12のレリーフが飾られていて、これは当時の三井グループが取り扱う商品を意味していました。もちろん、三井のパワーを見せつけるもので、たった12という意味ではありません。
 では、その12とは何なのか? ここで一挙公開したいと思います。

三井本館
ローマ神話の商売の神マーキュリー、杖=商業
三井本館
蒸留器、試験管=化学工業
三井本館
はかり、鍵=財政、為替、財宝の保管、公平

三井本館
犁(すき)、麦束=農業
三井本館
歯車、調速機、鉄槌=機械工業
三井本館
ショベル、鍬(くわ)、ツルハシ、鉱夫帽=鉱業

三井本館
地球儀、星、定規、測径器=算術
三井本館
翼車、飛行機=航空、陸運
三井本館
紡車、繭、桑=絹

三井本館
調色盤、絵筆、柱頭=美術、建築
三井本館
錨(いかり)、舵車=海運
三井本館
ハニカム(蜂の巣)=勤勉


 ちなみにこのレリーフ、1つの側面に4つずつで計3面にあります。いったいどうして残りの面はないのかというと、この面側にあった商店が意地でも土地を売らず、加工しようがなかったからです。日本の成長を支えた三井でも土地買収ができなかったというところが面白いですな。
 なお、この土地は現在では三井が買収し、三井タワーになっています。

 三井本館には現在でも三井不動産の本社、三井住友銀行日本橋支店、中央三井信託銀行日本橋営業部などが入居しています。ちなみに内部の部屋は基本的に壁の途中までしか木が張られてないんですが、三井家の人間が使う部屋だけ、天井まで板張りだそうです。

●データ●
設計:アメリカのトローブリッジ・アンド・リヴィングストン事務所
施行:ジェームズ・スチュワート社

1926年6月24日 三井本館起工
1929年6月11日 三井本館落成式
1929年6月15日 三井本館開館式

制作:2009年6月11日

<おまけ>
 戦後、GHQは三井物産を徹底的に解体します。いちおう第一物産という形で残りますが、非常に小規模な存在でした。しかし、1948年の統制緩和で輸出が自由化され、以後、商圏を拡大していき、現在のような大商社となるのでした。

 ところで、旧三井物産の資本金がゼロというのはおかしいと思わないでしょうか? いくらなんでもあり得ないですよね。実はこれにはからくりがあって、三井財閥はもともと三井家の個人商店だったので、グループの全事業は「大元方」という集団指導制の下にあったのです。ですから三井物産も法人格ではなかったため、資本金という概念がなかったのです。現実には当時の金で5万円という資本金相当の金が存在していました。このあたり、「資本金ゼロ」と謳うNHKの演出にだまされない方がいいですね(もちろん嘘ではありませんが……)。

 ちなみに財閥解体のおかげで、戦後の三井本館には三菱のエレベーターが採用されました。対GHQで各財閥が共同戦線を張ろうということで、今では美談とされています。ただ、これも嘘ではないんですが、使われたのはモーターだけです。そして現在ではリニューアルが行われ、別の会社のものが採用されています。
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