昭和天皇も見た日本初の長編アニメ
『桃太郎の海鷲』

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲


 日本初のテレビアニメは手塚治虫の『鉄腕アトム』(1963年)と言われています。手塚は1961年に「手塚治虫プロダクション動画部」を設立するんですが、アニメの制作に異常に執念を燃やしていたのは有名な話です。

 それでは、手塚がアニメに燃えるきっかけはなんだったのでしょうか? 実は、終戦間際、焼け残った大阪松竹座で上演された『桃太郎 海の神兵』というアニメを見て感動したからというのが通説。

 この『桃太郎海の神兵』は74分の白黒アニメで、オランダ領インドネシアでおこなわれた海軍空挺部隊の落下傘攻撃を題材としています。監督は瀬尾光世。瀬尾は、手塚も愛読した『のらくろ』を動画化(『のらくろ一等兵』『のらくろ二等兵』ともに1935年制作)するなど、当時、有名なアニメ作家でした。

『桃太郎海の神兵』制作の2年前(1942年)、瀬尾は海軍から突然の呼び出しを受けます。1941年12月8日におこなわれた真珠湾攻撃をテーマに、戦意高揚アニメを作れと命じられたのです。そこで完成したのが『桃太郎の海鷲』で、これが日本初の長編漫画映画とされています。

 37分のアニメで、桃太郎艦長の指揮下、空母から犬、猿、キジの部隊が飛び立って、米軍基地に見立てた鬼ケ島を撃破するという内容です。内容は単純ですが、娯楽の少なかった時代だけに、公開直後から大ヒットを記録。こうして軍はプロパガンダ映画の重要性に気づくのでした。

 以下、『週刊少國民』(朝日新聞社・昭和17年11月1日号)より『桃太郎の海鷲』をコマ送りで紹介します。

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(1)桃太郎の訓示
「攻撃目標は鬼ヶ島艦隊主力と赤鬼空軍の撃滅である。
月月火水木金金における猛烈な訓練はこのためである。
だんじて鬼ヶ島を撃滅せよ」

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(2)作戦の説明をする桃太郎

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(3)訓示を聞く犬部隊の勇姿

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(4)猿部隊の勇姿

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(5)キジ部隊の勇姿

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(6)甲板上に爆撃機が勢揃い

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(7)ウサギ部隊に見送られて

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(8)鬼ヶ島軍港を目指し出発!

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(9)大編隊を見送る桃太郎艦長

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(10)鬼ヶ島軍港の上空に達し……

桃太郎の海鷲
桃太郎の海鷲(11)撃沈していく鬼ヶ島艦隊!


「桃太郎 海の神兵」では、桃太郎は「最後の一兵となるまで敵陣に突撃」「今夜は我々の最後の夜」と部下を鼓舞します。作品では、鬼たちはあっさり降伏しますが、現実には、公開の4カ月後、日本は敗戦を迎えるのでした。

<データ>
『桃太郎の海鷲』(芸術映画社、企画:海軍省報道部)
1942年完成、1943年3月25日公開

『桃太郎 海の神兵』(松竹動画研究所)
1944年完成、1945年4月12日公開

桃太郎の海鷲
敵弾を受けた桃太郎爆撃機

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更新:2021年12月8日

<おまけ>

『昭和天皇実録』には、昭和天皇が鑑賞した映画が大量に記録されています。1942年10月18日、天皇は皇后らとともに『桃太郎の海鷲』を鑑賞しています。面白いのは、この日の午後、皇居で運動会がおこなわれ、天皇はスプーン競争や玉転がしを観戦したと記録されています。

桃太郎の海鷲
 
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