シリーズ・城の見方
本邦「消滅城郭」にご案内
焼失前の岡山城
東京・渋谷駅から歩いてすぐの場所に、金王八幡宮があります。都会の真ん中にあるとは思えない静かな神社ですが、ここにはかつて、渋谷一族が住む「渋谷城」がありました。
渋谷は、その名前が示すとおり、谷底の低湿地帯でした。しかし、すぐ近くの淀橋台地は崖が切り立っており、城塞を作るのに最適の場所だったのです。
なぜなら、川や湿地は天然の堀にあたり、井戸水は豊富。しかも渋谷川の水運で物流が盛んだったからです。
江戸時代の渋谷(右上に道玄坂)
渋谷氏は小田原の北条氏の攻撃にあい、1524年に滅亡。渋谷城は廃城になりました。
このように、かつて日本には至るところに城がありました。日本に築かれた城の総数は3万とも4万ともいわれています。
1615年、家康は「一国一城令」を出し、当時3000ほどあった城は170ほどになってしまいました。しかし、この時点では築城技術は継承されています。
1873年(明治6年)、政府は廃城令を出し、保存が決まった20ほどの城以外はすべて破棄されることになりました。このとき、姫路城の天守は23円50銭という破格の安値で落札されますが、保存運動のおかげで救われました。松本城や松江城も、保存運動が実ったケースです。犬山城は売却され、2004年に財団法人に譲渡されるまで、個人所有の城でした。
高取城の破壊前の模型
一方、小田原城は建物がほぼ壊され、旧城内には小田原御用邸が設置されました。上田城は民間へ払い下げられ、7棟あった櫓は1つを残して解体、売却されました。奈良県の名高い山城・高取城もまた、売却後に取り壊されました。
熊本城は地元の要請で解体が決まりましたが、解体当日に計画が凍結され、保存されるも西南戦争で天守は焼失しました。
取り壊し前の小田原城
金沢城には陸軍歩兵第7連隊が置かれ、大坂城には陸軍砲兵工廠が設置されました。
なお、廃城令は「全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方」が正式名称ですが、文字通り、軍隊を置くための措置として城跡を有効活用したのです。
城を軍部で取り合い(国立公文書館)
軍隊が使わなかった城の多くは公園となり、市民に開放されました。その際、桜が植えられたケースが多く、城には桜というイメージが作られました。
廃城にならなかった城も、第2次世界大戦のとき、米軍による空襲で多くが焼け落ちました。名古屋城、岡山城、和歌山城、大垣城、福山城などで、広島城は原爆によって破壊されました。
そこで、焼失前の城の写真を一挙公開しておきます。
焼失前の名古屋城
焼失前の名古屋城
焼失前の水戸城
焼失前の大垣城
焼失前の和歌山城
焼失前の福山城
焼失前の広島城
焼失前の広島城
焼失前の首里城
こうして、江戸時代までに建てられ、現存する天守は全国でわずか12のみとなりました。このうち5つが国宝で、残りが重要文化財です。
【国宝】
松本城(長野県)、犬山城(愛知県)、彦根城(滋賀県)、姫路城(兵庫県)、松江城(島根県)
【重要文化財】
弘前城(青森県)、丸岡城(福井県)、備中松山城(岡山県)、丸亀城(香川県)、伊予松山城(愛媛県)、宇和島城(愛媛県)、高知城(高知県)
犬山城
そして戦後、多くの城が再建されました。1958年に和歌山城、1959年に小倉城、1960年に熊本城、1964年に島原城、2004年に佐賀城といった具合です。
和歌山城
佐賀城
同時に、観光のため、お城風の資料館などが急増しました。これを模擬天守といいます。
唐津城、杵築城、尾道城、墨俣一夜城あたりですね。
墨俣一夜城
制作:2017年11月27日
<おまけ>
大坂城は1665年に天守を焼失し、以後、天守はありませんでした。1868年、鳥羽・伏見の戦い前後の混乱で、御殿や櫓など城のほとんどの建造物が焼失しました。
明治になって城内の敷地は陸軍用地になり、大阪砲兵工廠が設けられます。
1928年(昭和3年)、昭和天皇の即位記念で大阪城再建が進み、同時に陸軍第4師団司令部も建造されました。大坂城が復活する前の城跡の写真を公開しておきます。
大坂城本丸跡
大坂城本丸跡
●城の見方・防御篇
●城の見方・意匠篇
●熊本城・被災の歴史
●江戸城・焼失の歴史