天皇即位はどのように宣言されるのか
あるいは「万歳」の誕生

大正天皇の即位
大正天皇の即位


 魚のアユは、漢字で「鮎」と書きますが、これは中国語では「ナマズ」の意味です。「鮎」は日本で作られた漢字で、文字どおり「占う魚」という意味を持っています。では、いったい、何を占うのか?
 
『日本書紀』には、鮎と思われる魚がしばしば登場します。

 有名なのが、新羅に遠征した神功皇后のエピソードです。神功皇后は、熊襲を征伐した後、今の佐賀県唐津市の川べりで占いをします。曲げた縫い針を裳(服)の糸に結び、コメ粒をエサにして、「西の財(たから)の国(=新羅)を得られるなら、魚はこの針を飲むだろう」と宣言して、釣りをしたのです。

 すると見事に「細鱗魚」が釣れました。こうして、この魚を「鮎」と呼ぶようになりました。アユの語源には諸説ありますが、汁が垂れるという古語「あゆる」、「あへ(饗)」の転呼などとされます。

『日本書紀』には、もう一つ有名なアユ釣りの場面があります。
 神武天皇が現在の奈良県の丹生川で、占いをします。天香具山の土で「厳瓮(いつへ)」という壺を作り、「この壺を川に沈め、大小の魚が川面に浮かんでくれば、この国を統治できる」と宣言したところ、見事にアユが浮かび上がってきたのです。ツボには酒が入っていたので、魚が酔っ払ったということです。

 このように、日本の神話では、アユと酒壺は非常に大きな意味を持っています。実は、かつて天皇が新たに即位するとき、飾られるのぼり(旛=ばん)にはこの絵柄が描かれていたのです。

5匹のアユと酒壺
5匹のアユと酒壺


 皇室の儀式では、旛(ばん)や威儀物(いぎもの)が装飾として使われます。皇室の最も重要な儀式は、新天皇の「即位」とそれを内外に宣明する「即位礼正殿の儀」です。昭和の「即位礼正殿の儀」ではアユと酒壺が描かれた旛が使用されました。しかし、平成と令和では使われず、菊花紋が縫い込まれました。

 これは、神話色を薄めることで、政教分離や国際的な批判をかわす意味合いがあります。それでも、「即位礼正殿の儀」には、神話の世界が色濃く残されています。今回はそのことを検証してみます。

高御座と御帳台
高御座と御帳台

 
 まず、令和の「即位礼正殿の儀」を振り返ります。2019年5月1日に「即位」した今上天皇は、10月22日、皇居の宮殿「松の間」に設置された玉座「高御座(たかみくら)」から「ここに『即位礼正殿の儀』を行い、即位を内外に宣明いたします」といったお言葉を述べられました。

 次いで、安倍晋三首相が祝辞の「寿詞(よごと)」を述べ、首相の万歳三唱に合わせ、陸自が礼砲を21発撃ちました。その後、食事会(饗宴の儀)やパレードがありましたが、基本は「お言葉」「寿詞」「万歳三唱」で終了です。

 実は、先に示したアユと酒壺が描かれた旛には、下に「萬歳(万歳)」と書かれています。万歳と皇室は、非常に深い関係があるのです。

「万歳」旛
「万歳」旛(『御大礼画報』)

 
「万歳」は、文字どおりに取れば「1万年」という意味で、長い年月のことです。これが、日本では「長きに渡って天皇の御世が続きますように」という意味で使われるようになりました。時代が下ると、転じて、めでたいことを祝う叫び声になったわけです。ただし、当時は「バンザイ」ではなく「バンセイ」と発音されました。

「万歳」の使用例として、極めて古いものが『続日本紀』に記録されています。
 奈良時代の延暦7年(788年)のことです。5カ月以上も雨が降らず、灌漑の水も枯渇し、農民が苦しんでいたとき、桓武天皇が沐浴後に庭に出て祈ると雨が降り出したため、群臣が万歳を唱えた、というのです。

続日本紀万歳
国立公文書館『続日本紀』


 平安時代以降、即位式で「万歳」が使われるようになりました。ただし、この時点では大声で叫ぶものではありません。

「万歳」の類義語に「千秋」がありますが、平安後期の『栄華物語』に《今日は万歳千秋をぞ言うべき》とあり、長寿に使う言葉として「万歳千秋」「千秋万歳」も使われていきます。
(ちなみに、中世になると「千秋万歳」という言葉は芸能に使われ始め、これが現在の漫才に転じます)

 万歳と大きく叫ぶようになったのは明治22年2月11日のことで、帝国憲法の発布を祝って、大学生が始めたのがきっかけです(石井研堂『明治事物起原』による)。首相の発声による万歳三唱は、大正天皇の即位礼からおこなわれるようになりました。

大日本帝国憲法発布
大日本帝国憲法発布式


 天皇の即位では「万歳」の文字を記した「万歳旛(ばん)」が飾られ、雅楽の『万歳楽(まんざいらく)』が演奏されます。いずれも、天皇の長寿を 祝うものです。

 前述のとおり、「即位礼正殿の儀」では、飾り物の旛(ばん)や威儀物(いぎもの)が使われます。平成でも令和でも、正殿前の中庭に26本の旛と20の桙(ほこ)が立ちました。
 威儀物は太刀、弓、やなぐい(矢を入れる背負い具)、桙(ほこ)、楯(たて)の5種類。その隣に炎に飾られた鉦(かね)と鼓(こ=太鼓)が並び、合図を出します。

威儀物
左から鼓、桙、やなぐい、弓、楯


 一方の旛。明治のときは榊(さかき)が立ち並びましたが、大正のときから旛に変わります。大正や昭和では、以下のような図柄がありました。

・霊鵄形大錦旛(れいしけいだいきんばん)=神武天皇を閃光で救った金色に輝く鵄(トビ)
・月像纛旛(げっしょうとうばん)=白地の錦(にしき)に月を刺繍
・萬歳旛=5匹の鮎・厳瓮・「万歳」の文字
・日像纛旛(にっしょうとうばん)=赤地の錦に日輪を刺繍
・頭八咫烏形大錦旛(やたがらすだいきんばん)=神武天皇を大和の橿原まで案内した八咫烏(やたがらす)

旛



 そして、平成・令和では、神話色を薄めるため、金鵄も八咫烏も消え、菊の紋を描いた菊花大錦旛(きくかだいきんばん)となったのです。なお、その手前には左右に白・黄・赤・緑・紫の5色に色分けされた菊花中錦旛、菊花小錦旛があります。
 旛の紋様は時代で変化するもので、江戸時代は蒼龍、朱雀、白虎、玄武など中国ふうの図柄が多かったようです。

礼儀類典図絵
国会図書館『礼儀類典図絵』


 新天皇が「お言葉」を述べたのは、「高御座(たかみくら)」と呼ばれる玉座です。隣には皇后用の「御帳台(みちょうだい)」があります。

 高御座は南面しており、東西20尺(約6m)、南北18尺(約5.5m)の壇上に八角形の天蓋(てんがい)がのった形で、高さ8尺8寸(約6.5m)、重さ約8トン。黒漆が塗られたヒノキ製。
 浜床には、梅戸在貞による麒麟2匹と鳳凰が描かれています。

麒麟
麒麟


 八角形なのは「大八洲(おおやしま)」「八隅(やすみ)」といわれる日本全土を意味しており、その下の飾り部分には瑞雲という雲がデザインされています。

 天蓋の中央に大きな鳳凰、8つの角にそれぞれ小鳳凰。さらに大小の鏡、その間に白玉をはめた八花形が並んでいます。
 
 8角それぞれに玉旛(ぎょくはん)という金の飾りを下げ、その上に帽額(もこう)と蛇舌(じゃぜつ)が垂れ下がります。玉旛と帽額には五色(白・黄・赤・緑・青)の小さな玉が配されています。

五色の小さな玉
五色の小さな玉


 柱間には、深紫色で裏地が緋色の御帳(絹のカーテン)が垂らされています。
 高御座の中には御倚子(ごいし=玉座)があり、両側には向かって右に神剣(天叢雲剣)、左に神璽(勾玉「八尺瓊勾玉」)を置く机(名称は「案」)があります。剣と勾玉は三種の神器のうちの2つです。残りの1つ「八咫鏡」は伊勢神宮の神体で、その分身が宮中の「賢所」に安置されてい ます。

 さらに、御璽(天皇の印鑑)・国璽(国家の印鑑)を置くための案も設置されました。これも、平成で初めて登場したものです。御璽・国璽は法令や外交文書の原本に押されるもので、象徴天皇として、宗教色がないことを明示するための工夫です。

高御座の名称
構造図


 幕末の火事で高御座が焼失したため、明治天皇は簡素な御帳台で代用されました。その後、大正天皇の即位の際に新造されたものが現在でも使われています。ふだんは京都御所の「紫宸殿(ししんでん)」で保管されています。平成のときは、過激派ゲリラを警戒し、京都から自衛隊のヘリコプターで極秘裏に空輸されましたが、令和では、民間業者が陸送しています。

明治天皇の即位
明治天皇の御帳台


 戦前、昭和天皇の「お言葉」には、《天上にある高天原に始まって、高く広く広がった「天の高御座の業(わざ)」を、さらに世界に広げる》といった意味の内容が書かれました。天から日本に降りてきた神は、もちろん天皇の祖先。新たな天皇は、高御座の帳(とばり)を開けて姿を現しますが、これも、雲をかきわけて高千穂に降り立った皇室の祖先「ニニギノミコト」の姿を表したとされています。

明治天皇の即位
明治天皇の即位

大嘗祭と新嘗祭
神武天皇の即位
八紘一宇の誕生

制作:2020年1月6日


<おまけ>

 令和の即位では、天皇は

「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」

 といったお言葉を出されました。

昭和天皇の即位
昭和天皇の即位


 一方、『昭和天皇実録』によれば、昭和天皇の「お言葉」は「かけまくもかしこき」で始まり、

「天津日嗣(あまつひつぎ)を万(よろず)千秋の長秋(ながあき)に、大八洲(おおやしま)豊葦原(とよあしはら)の瑞穂国を、安国(やすくに)と平らけく知食(しろしめ)さしめ給(たま)えと白(もう)す事を聞食(きこしめ)せと、恐(かしこ)み恐(かしこ)みも白(もう)す」

 で終わります。この違いは、日本が敗戦によって天皇主権から国民主権に変わったためです。

 昭和天皇はお言葉を述べたあと、

「朕(ちん)惟(おも)うに我が皇祖皇宗惟神(いしん)の大道に遵(したが)い……」

 という漢語調の勅語を発し、田中義一首相がやはり漢語調の「寿詞(よごと)」を述べ、その後に万歳三唱と礼砲が続きました。

 田中首相は階段で万歳三唱しましたが、平成の海部俊樹首相、令和の安倍首相は松の間の床上で万歳を唱えています。国民の代表たる首相の地位が格段に上がったわけで、これもまた戦後民主主義の結実した形なのです。

田中義一首相の「寿詞」
田中首相の寿詞は階段で

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