米国が沖縄におこなった貢献の全貌
プロパガンダ雑誌『守礼の光』(1)総論
『守礼の光』最終号の表紙と裏表紙
沖縄は1945年から1972年まで、アメリカによって統治されました。沖縄では、この期間を「アメリカユー(世)」といい、前後の「ヤマトユー」と区別しています。
当初の統治形態は、米軍の軍政府の傘下に日本人による「沖縄諮詢会」が付属しました。「沖縄諮詢会」はすぐに「沖縄民政府」と名称を変え、各地の自治を担当します。のちに軍政府は「琉球列島米国民政府」(USCAR)に変わりますが、日本が主権を回復した1952年以降、米国との関係が悪化したことで、アメリカは琉球政府を設置します。
沖縄を統治しているあいだ、アメリカはさまざまな親善活動を通じて、「アメリカは素晴らしい」というプロパガンダ(宣撫工作)を流し続けました。
こうした広報活動のなかで、もっとも重視されたのが、無料で配られた『今日の琉球』と『守礼の光』という月刊誌です。『守礼の光』は1959年1月、『今日の琉球』から2年遅れて創刊され、1972年5月まで、のべ160号が刊行されています。
『守礼の光』創刊号
『守礼の光』は、琉球政府が発行した『広報琉球』や『琉球のあゆみ』といった広報誌に比べ、カラー写真が多用された美しい雑誌だったため、人気を博しました。1968年の発行部数は9万2000部だったそうで、これは人口の1割近い数字です。
琉球政府が出した『広報琉球』と『琉球のあゆみ』
1950年代以降、沖縄では反米運動が盛んになりますが、そうした状況はほとんど無視され、あくまで米軍統治の素晴らしさだけが強調されました。
とはいえ、別に嘘が書いてあるわけではないので、この資料を見ていけば、アメリカ軍が沖縄におこなった施策が見えてきます。いったいそれは、どのようなものだったのか?
本サイトは、『守礼の光』の最終号「沖縄返還特別号」を入手したので、その全貌を公開します。この号は特に美しい印刷で、アメリカが日本に対して行った25年間の施策を自画自賛しています(そして、ところどころ沖縄の勤勉さを褒める)。よく、韓国や台湾のインフラは日本が作ったといいますが、同じように沖縄のインフラはアメリカが作りました。そして沖縄を発展させたのも、間違いなくアメリカです。その事実は、日本人として知っておくべき話だと思うので、ぜひ読んでみてね。
『守礼の光』1969年5月号、1964年4月号
さて、最終号は、表紙をめくると、最初に「編集者メッセージ」が掲載されています。翻訳調でつまらない文章ですが、きっと一番言いたいことだったはずなので、全文掲載しておきます。
《雑誌を作り出すには、多くの人材と才能を必要としますが、1959年1月の創刊号発行以来「守礼の光」を担当してきた人々も、どの雑誌の場合にも見られるような、多種多様の才能を持つ人たちなのです。この雑誌のライター、美術担当者、編集者、それに業務管理担当者は沖縄や日本、それにアメリカの人々です。これらの人たちはお互いにいつも緊密な協力の下で働いてきました。これこそ過去25年間に印象的なほどの発展を沖縄へもたらした、より高度の協力ということにつながるものといえましょう。
「守礼の光」は沖縄の各分野に見られる発展を当地の人々にお知らせする手段として、高等弁務官府主管の下に発行されてきました。
「守礼の光」読者の大半は沖縄の人たちで、創刊号以来無料で配付されています。また本土、ハワイ、北米、南米、ヨーロッパの数多い読者へも送付されています。
沖縄が再び日本の一県となるとき、「守礼の光」はもはや一般の皆さんにはお目にかかれなくなります。その代わり、本土と沖縄にある米軍の日本語を母国語とする従業員のかたがたのために「機関誌」が発行される予定です。この機関誌はまず、労務関係と雇用事項に重点を置きますが、さらに一般の人々が興味を持つような記事も含まれることでしょう。米軍関係以外の読者にも、ご希望に応じて特別配付する予定です。
この特別号を発行することは、お別れを意味するもので、別れの常として一まつの寂しさを覚えます。しかしながら、「守礼の光」の仕事に従事してきたアメリカ人たちの心には、沖縄県、その文化、住民の皆さんに対する深い友情がいつまでも残ることと存じます。またそれがきっと最もすばらしい思い出の一つともなりましょう》
つづいて、米国民政府の長である高等弁務官のあいさつ。
高等弁務官のあいさつ
《「守礼の光」の最終号であるこの特別号発刊にあたり、沖縄の皆様に心からごあいさつ申し上げます。
アメリカ国民、ならびにその代表者としての当地における歴代の前任者およびわたくしは、沖縄の皆様が過去25年間わたくしたちに差しのべてくださった友情とご協力に対し、深く感謝し、かつこれを高く評価するものであります。
「守礼の光」は、隔たる二つの文化を結ぶかけ橋として、この美しい島々全土にわたって、琉米人の間に広くつちかわれてきた友情をはぐくみ、暖めていく上で貢献するところ大なるものがありました。
わたくしたちが築き上げた相互間の尊敬と理解は、沖縄が大国日本の一部となった後も、さらに成長しいっそう力強いものとなることを確信いたします。
J・B・ランパート
米陸軍中将
琉球列島米国高等弁務官》
それでは、以下、テーマごとに復刻していきます。
ただ、誌面は大判で、見開きだとA3スキャナでも全部入らないので、誌面は一部カットされています。文章は資料性を鑑み、手を加えず、誤字も含め全文そのまま転載しました。
なお、すでに米国民政府は消滅しており、また米軍の著作物は基本的にパブリックドメインなので、転載した資料に著作権は残存していないと判断しています。
●米国が沖縄におこなった貢献の全貌
プロパガンダ雑誌『守礼の光』を読む(1)総論
プロパガンダ雑誌『守礼の光』を読む(2)統治まで
プロパガンダ雑誌『守礼の光』を読む(3)経済・インフラ
プロパガンダ雑誌『守礼の光』を読む(4)社会・医療
プロパガンダ雑誌『守礼の光』を読む(5)琉球八景図
●沖縄土建王国の誕生
制作:2012年11月4日