鳥瞰図の世界

鳥瞰図
富士山鳥瞰図
(金子常光)


 1900年冬、夏目漱石はロンドンに留学します。ところが方向音痴気味だった漱石は、なかなか土地勘がつかめず、いつも道に迷っていました。たとえば『倫敦塔』には、地図を片手に迷子状態の自分の様子をこう書いています。
 
《余はやむを得ないから四ツ角へ出るたびに地図を披(ひら)いて通行人 に押し返されながら足の向く方角を定める。地図で知れぬ時は人に聞く、人に聞いて知れぬ時は巡査を探す、巡査でゆかぬ時はまたほかの人に尋ねる、何人でも合点(がてん)の行く人に出逢うまでは捕えては聞き呼び掛けては聞く。かくしてようやくわが指定の地に至るのである》

 慣れないと、地図って意外とわかりにくいんですよね。
 では、どうしたらもっとわかりやすくなるだろう。そうか、上から見ればいいんじゃない?……こうして鳥瞰図が成立したわけですが、実は、ただ上から見てるからわかりやすいわけではありません。

 普通の平面図がどうしてわかりにくいかというと、情報がすべて等価だから。道路も建物も同一縮尺という条件で記載されていて、何が大事なのかまるで理解できない。それで色を付けたり記号を付けたりして、なんとかわかりやすくするわけです。
 一方、デフォルメの入った鳥瞰図は、情報に明確に差をつけることで、何が大事がすぐわかる。情報の優劣がはっきりしてるから、非常にわかりやすい。
 具体例を挙げましょう。
 まず、次の2枚の鳥瞰図を見て欲しいんだな。両方とも現在の叡山電鉄が制作したものです。


鳥瞰図
「京都電燈株式会社叡山電鉄課」制作


鳥瞰図
「鞍馬電気鉄道株式会社」制作


 上は京都電燈の叡山電鉄課が作ったもの、下は鞍馬電鉄(京都電灯の子会社)が作ったものです。正確な時期は不明ですが、多分上は昭和4年くらい、下はそれから2、3年たったものだと思います。
 一見してわかるとおり、上は路線図がメイン。できたばかりの新路線をアピールするのが目的だからです。下はちょっと時代が下っているため、路線を宣伝する必要がない代わりに、鞍馬寺や延暦寺を詳細に描き込むことで、観光への誘いを目的にしています。山々を強調して路線を目立たなくさえしており、まさに街からの「秘境旅行」を提示してるわけです。
 こんな感じで、鳥瞰図は何を目的にしてるかによって、表現ががらりと変わってしまうんです。
 

 鳥瞰図の歴史は古く、すでに奈良時代には『春日宮曼荼羅』などが登場しています。こうした神社などの周辺マップを「参詣曼荼羅」なんて言ったりもしますが、以後、神社を中心とした鳥瞰図はたくさん作られていきます。
 時代が下ると「洛中洛外図屏風」など、空間だけでなく時間まで表現した鳥瞰図も登場します。特に江戸時代になると、浮世絵から旅行ガイドなど、もう百花繚乱。ここらへんは資料が膨大にありすぎて、一括りにするのも困難ですね。
 とりあえず、江戸時代の鳥瞰図を2例あげてみましょう。

鳥瞰図 鳥瞰図
左:土佐光起の源平合戦図(1680年ころかな?)
右:ベストセラー『旅行用心集』(1810年)より

 
 こんな感じで、ありとあらゆる鳥瞰図が登場しています。本サイトとしては、そうした膨大な鳥瞰図から、大正ー昭和初期に作られた鳥瞰図を大特集しようと思います。このころ大旅行ブームが起きていて、日本全国でさまざまな鳥瞰図が出版されたからです。
 当時、その中心となったのが吉田初三郎。鉄道省から委託された『鉄道旅行案内』の挿図で名をあげ、一説には生涯で1600種類近い鳥瞰図を作ったといいます。皇太子時代の昭和天皇が吉田初三郎の鳥瞰図を見て「これはわかりやすい」と絶賛したことは有名な話です。

 さぁ、そんな鳥瞰図の世界に飛びたってみるよ!!

●初三郎『日本八景名所図会』
●初三郎『東京鳥瞰図』
●初三郎『関東大震災鳥瞰図』
●初三郎鳥瞰図自由自在(FLASH版)

断面図の世界
 以下、続々更新予定!

制作:2012年7月15日

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