「関東大震災」鳥瞰図
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「関東大震災」鳥瞰図
吉田初三郎「関東震災全地域鳥瞰図絵」
大正12年9月1日(土曜日)、関東大震災が起こりました。
神奈川県鵠沼に住んでいた岸田劉生の日記によれば
《湘南、横浜東京を一もみにつぶした》
大地震で、
《十二時少し前かと思う、ドドドンという下からつきあげるような震動を感じたのでこれはいけないと立ちあがり、蓁(しげる=劉生の妻)もつづいて立って玄関から逃れようとした時は大地がゆれてなかなか出られず蓁などは倒れてしまった由、ともかく外へ出るとつなみの不安で、松本さんの方へかけ出そうとすると照子(=劉生の妹)が大地になげつけられ松の樹で眼をやられたとて蓁がかかえて血が流れている。ああ何たる事かと胸もはりさけるようである……》
と地上の人々はずいぶん悲惨な状況でした。
で、それを空から眺めてみると……
関東震災全地域鳥瞰図絵/東京
関東震災全地域鳥瞰図絵/横浜
この鳥瞰図を描いたのは、京都出身の吉田初三郎です。鉄道会社や自治体から依頼を受けて、全国各地の鳥瞰図を作り続けました。その数は1600とも言われます。
ほとんどの鳥瞰図で富士山を入れ、海の向こうに北海道や沖縄はもちろん、ニューヨークさえ描くこともありました。
初三郎は、拠点としていた東京で関東大震災に遭った後、名古屋鉄道の招待で名古屋に移住しています。ここで「観光社」という工房を立ち上げ、さらに膨大な鳥瞰図を作ることになります。
一説には、地形図や等高線を見ただけで立体を想像できたと言われます。この震災鳥瞰図は、震災翌年の朝日新聞の付録ですが、初三郎の非凡さが実感できると思います。
ちなみに全体像はこんな感じです。左には静岡市から富士山、右には外房から宇都宮まで描かれており、壮大です。
震災鳥瞰図全体図
実は、初三郎以外に、もうひとり、関東大震災鳥瞰図を描いた人物がいます。それが石川真琴で、初三郎のような天才肌と言うより、何年も何年も歩き回って膨大なスケッチを描き、それを地形図に当てはめていくような作り方をしたようです。
その鳥瞰図が、国会図書館に所蔵されている「東京大震火災絵巻/震災後の巻」(有稲館、1924)です。
石川真琴「東京大震火災絵巻/震災後の巻」銀座・丸ノ内
浅草・本所
●鳥瞰図の世界
総論
●初三郎
『日本八景名所図会』
●初三郎
『東京鳥瞰図』
●初三郎
鳥瞰図自由自在(FLASH版)
→ここで震災鳥瞰図を動かせます!
更新:2021年9月14日
<おまけ>
初三郎は、戦後、原爆鳥瞰図『HIROSHIMA』も描いています。原爆投下を時間を追って描いた8枚の連作で、肉筆画は2001年8月に発見されました。紫色になった広島が炎上してる画像は壮絶。絵のパワーには感嘆せざるを得ないのでした。