幻の東京「テレビ塔」
驚異の画像ワールドへようこそ!
幻の東京「テレビ塔」へ行く
東京中央放送局の電波塔(芝愛宕山)
2012年5月22日、東京スカイツリーがオープンしました。さっそく初日に展望台まで昇ってみましたが、残念ながら曇っていて、まったく景色が見えませんでした。残念すぎる……。
これが超レアの初日チケット
下から見ても展望台が見えないや
あんまり寂しいので、過去に東京に存在したテレビ塔を一挙公開することにしたよ。
まずは下の写真を見てほしいんですが、きれいにライトアップされた東京タワー……みたいですが、違います。
高さ173mのテレビ塔
(1万個の電球でライトアップ)
1955年4月1日、日本の民間放送で2番目に放送を開始した「KRテレビ」の電波塔です。ラジオ東京が主体のため、「ラジオ東京テレビ」とも呼ばれました。現在のTBSですね。なお、塔の高さは別資料には150mとあります。
赤坂のKRテレビ電波塔
日本初の
テレビ放送開始
は、1953年2月1日にNHKが開始しました。そのNHKは、もともと芝の愛宕山から
ラジオを放送
していましたが、テレビは千代田区紀尾井町から放送しました。
地上82m(紀尾井町)のNHKテレビ塔
民放第1号は日本テレビ放送網で、本放送は1953年8月28日。
日本テレビは、1952年7月31日に日本で初めてテレビの放送予備免許を取得し、日本初のテレビ放送を目指したんですが、機材の多くが輸入だったため、NHKに先行されてしまいます。
日本テレビの154mテレビ塔(麹町)。80mまではエレベーターが
その日本テレビのテレビ塔の建設場面がこちら。
重さ5トンのアンテナをトロッコで運ぶ
アンテナの頭を起こしながら、下をトロッコで移動させて直立させる
長さ22mのアンテナの頂上付近。左下がNHKのアンテナ
写真を見ればわかりますが、NHKと日本テレビのアンテナはすぐ近くで、あまりに非効率ということで、共同のテレビ塔構想が生まれ、高さ333mの東京タワーが造られるのです。東京タワー(正式名称は日本電波塔)は、1958年12月23日に完工式が行われました。
ちなみに、開業直前、地上253m地点で巨大アンテナの吊り下げが行われるんですが、これは1cmの誤差も許されない難工事でした。NHK『プロジェクトX』でも流され、有名になったエピソードですな。
こちら東京タワー
なお、『AERA』2012年7月16日号によれば、NHKと日本テレビは、さらなる高塔を立てる計画を持っていたそうです。
NHKは、1969年7月、新電波塔の建築計画を発表。千代田区内幸町の放送センターの土地を売却し、代々木公園の一角に高さ488m、最大直径40mの塔を建てる予定でした。総工費は65億円で、最上部の展望台は4層構造、300人収容できる回転レストランを併設する予定でした。
一方、日本テレビは、読売新聞社主で会長の正力松太郎が、なんと4000mタワーの建設を模索しましたが、結局、1968年5月、総工費150億円で新宿区東大久保の社有地に550mの「正力タワー」を立てる計画を発表します。しかし、翌年10月に正力が死に、計画は消滅しました。
NHKはその後も自社塔にこだわり、ついに600m級のタワー構想となりましたが、1973年に渋谷に移転するとともに、計画は消えていきました。
その東京タワーですが、これまで各テレビ&ラジオ局から電波使用料(年間約27億円)を受け取っていたものの、東京スカイツリーの完成で収入が激減するため、将来的には取り壊しの可能性もあると思います。とはいえ、1989年に発足した「世界大タワー連盟」に日本で唯一参加してる名タワーなので、ぜひ頑張って欲しいところです。
そんなわけで東京タワーに行ってみたよ。さすがに眺めはいいですな。
(左)天下無敵の「勝ち組」の象徴・六本木ヒルズが目の前に燦然と輝く
(右)ヒトデみたいな赤羽橋交差点。ちなみに昼は全く異なって見えます
続いてレインボーブリッジ方面を眺めます。
右はその逆、お台場から見たレインボーブリッジと東京タワー
東京タワーの設計は内藤多仲という人で、耐震構造の専門家です。歌舞伎座、大隈講堂、名古屋テレビ塔、札幌テレビ塔、2代目通天閣などを手がけています。
そんなわけで、各タワーと、その眺望をまとめておきます。
<歴史編>
浅草12階
(凌雲閣)
ニコライ堂からの眺望
(明治21年=1888年)
東京タワーの敷地の歴史
<現在編>
京都タワーよりすごい展望スポット
さっぽろテレビ塔から眺望
大阪の眺望
/
大阪、塔の都を歩く
北京タワー
ソウルタワー
制作:2012年6月4日