鉄道博物館(1936年)
日本初の鉄道博物館は、明治44年(1911)、鉄道院総裁だった後藤新平の肝いりで、鉄道院内部に博物館を設置したのが始まりです。
当初は一般公開していませんでしたが、大正10年(1921)10月14日、鉄道開通50周年式典の際、記念事業として東京駅近くの有楽町高架下で公開することになりました。
ところが、大正12年、関東大震災ですべての資料が焼失してしまいます。
その後、約2万点の資料を再収集し、大正14年4月、同じ場所で展示を始めました。
昭和9年(1934)、お茶の水〜両国間の総武線が開通し、巨大なターミナルだった万世橋駅が縮小されることになりました。そこで、この駅に博物館を移転することになったのです。
旧万世橋駅
鉄道博物館全景(手前に銅像)
こうして、1936年4月24日、鉄筋コンクリート3階建て、5500平米の鉄道博物館がオープンしました。建前としては鉄道の父「ジェームズ・ワット」誕生200年を祝ったものですが、これはまぁ、後付けの理由でしょう。
中央ホールは屋根まで16mの高さがあり、2階と3階から見下ろすことができました。ホームから直接入場できるため、乗客にも好評でしたが、逆に制限も多く、博物館としては理想の展示ができなかったとも言われます。
陳列品は、次の10部門に分かれていました。
・歴史資料
・線路
・機関車
・客車貨車
・工作および工場
・電気および通信
・信号保安
・諸材料
・貨物
・旅客観光
中央ホールのメインには、東海道線の箱根山越えで使っていた「マレー型」機関車が展示されました。長さ20m、高さ3m、重さ65トンと巨大ですが、機関車の下からも覗ける構造になっていました。しかも、押しボタンを押せば車輪が動き、ピストンの仕組みがよくわかります。
マレー型の隣には、鉄道開通時に明治天皇が乗車した第1号御料車と第2号御料車も陳列されました。そのとき、お召し列車を牽引した5000号機関車は、油絵として飾られています。
前庭には、第1号機関車と、北海道開拓で活躍した弁慶号、お召し列車を牽引した機関車が並びました。隣には、ランドマークとして有名だった広瀬中佐の銅像が置かれています。
博物館の主要部分
鉄道、航路、航空機の交通が一目でわかる模型
そのほかの展示品は、
・ペリーが幕府に献納した蒸気機関車の模型
・省線電車の運転シミュレーター(車輪が動くだけですが)
・列車を動かすための蓄電池(当時はまだパンタグラフから給電できなかった)
・車輪の回転で発電する発電機・開通当時の双頭軌條(レール)
・列車自動停止装置
・自動信号の動作模型
……などがありました。
工作、工場、車両展示部
自動信号の動作模型
開館後15日で、なんと29万人近い入場者が集まりました。多い日は1日8万人も来場したそうです。旧博物館は1年で最高22万人、1日最高1万9000人あまりだったので、いかに人気を集めたかわかりますな。