関西電力・尼崎発電所の火力発電機関係(27点)
昭和7年に着工して翌年から運転を開始した関西電力・尼崎発電所のローターとタービン。当時の一般的な火力発電では数千から2万キロワット程度の出力しかなかったが、それを一気に大型化し、60数万キロワットになった。ちょっとした原発レベルで、これによって関西の電力需要の3分の2を担ったとされる。まさに関西が大工業地帯になっていった原動力です。
写真はローターとタービンで、これと同じものが第1発電所、第2発電所にそれぞれ6セットあったので、合計12セット設置されていた。実際はタービンもローターも3倍の長さがあったが、カットしてある(それでも18トンもあるそうです)。メトロポリタン・ヴィッカース製の1機を除き国産。
ちなみにタービンというのは羽という意味です。要はターボエンジンで、実は零戦も隼戦闘機もターボエンジンを積んでいました。
タービン
ローター
下は尼崎第1発電所の鏡。当時は石炭火力なので、煙突からの煤煙が問題になっていた。山風だと煙が海の方へ流れるけれど、海風だと街の方へ流れてしまう。そのため、監視所から常に煙の流れをチェックし、たなびき具合でコントロールルームで火力を調節する必要がありました。つまり、煙突からの煙を見るための鏡というわけ。
こうした鏡が何十枚と屋上に並んでいて、コントロールルームから見えるようになっていた。川崎と並ぶ2大工業地帯だったので、かなり壮観だったそうです。
発電所に配置された鏡
計器類
尼崎第1発電所で使っていた装甲開閉器(鉄に収めたスイッチ)
ボイラーチューブ。ここを蒸気が通っていき、それを集めてタービンに当てる仕組み
(汚れは天井の剥離)
以上の資料は、一部が関西電力に引き取られました。
メモ:関西電力尼崎発電所
昭和7年に着工し、昭和11年に第1発電所完成。発電機は三菱電機製3基・芝浦製作所製2基・英メトロポリタン・ヴィッカース社製1基の計6基。第2発電所は昭和11年着工。昭和18年には、両発電所あわせて60数万キロワットまで拡張。老朽化や煤煙問題などで、第1発電所は1974年、第2発電所は1976年に廃止。
往時の尼崎発電所(左が第1、右が第2)