国立産業技術史博物館について
National Museum of the History of Technology
鉄鋼館
1970年に開催された大阪万博。その跡地は現在、広大な万博記念公園となっているんですが、実は万博当時の姿のまま唯一残っているパビリオンがあるんです。
それが日本鉄鋼連盟が出展した「鉄鋼館」で、地上5階・地下1階、延べ約8200平方メートルの巨大なもの(前川国男の建築です)。万博中は最先端の音楽ホールとして利用され、終了後はイベント会場として使われていました。
その後、廃墟同然で放置されていましたが、2009年1月、万博公園を管理する日本万国博覧会記念機構が、この鉄鋼館を改修すると発表。2010年3月に当時の出展品などを集めた記念館「EXPO70パビリオン」としてオープンさせることになったのです。
で、ここでひとつ問題が起きました。
放置されていた鉄鋼館は倉庫として使われていたんですが、なかに保存されていたのは貴重な産業遺産の数々。もう少し正確に言うと、大阪府や大阪市などが万博公園に誘致していた「国立産業技術史博物館」の収蔵品で、合計で2万3000点ほどあったのです。
博物館の構想については別項で詳細に書いておきますが、簡単に言うと、1970年代後半に始まり、一時は順調に推移したものの、バブル崩壊による財政難やリーダーの死去により計画は頓挫したのでした。
そして、これらの資料が2009年3月23日、すべて廃棄されてしまったのです。
保存運動をしていた関係者の努力は評価すべきですが、現実問題としてほぼすべての資料がゴミになってしまいました。これを行政の暴挙などと言っても仕方のないことですが、納得いかないのも確かです。
廃棄現場
実は、僕はその廃棄現場に立ち会い、可能な限り写真に収めてきました。日本産業技術史学会の三宅宏司会長(武庫川女子大教授)の話を聞きながらの撮影でしたが、当日は目の前でどんどん機械が捨てられていくため、片っ端から撮っていくので精一杯でした。
このたび、ようやく情報の整理がつき始めたので、ここにデジタル記録として残すことにしました。 ネット上にはいくつか写真が残されていますが、収蔵資料のほぼ完全な復元は本サイトが唯一です。
同時に、これまで僕が書いてきた産業遺産に関する原稿を転載していき、最終的には日本最大の産業技術史博物館を目指すことにします。関心ある方々の参考になれば幸いです。
収蔵品一覧
なお、「国立産業技術史博物館」の収蔵品は、誘致促進協議会の資料(写真上、1997年3月現在)によれば以下の通りとなっています。
・金属加工機械類 約650点
・鋳造関係資料 文書資料約2万点、機器類ほか約400点
・繊維工業機械類 31点
・火力発電機器類 27点
・工作機械類 8点
・理化学機器類 雑誌等1024点、機器類約100点
・製茶機器類 8点
・その他 約35点
このなかから、鋳造関係文書資料はエル・ライブラリーへ、鋳物器械類は奈良県香芝市二上山博物館へ、川崎造船所の船舶用エンジンは東京・国立科学博物館へ、日本初の電動エレベーターは日本工業大学工業技術博物館などへ引き取られていきました。
救われなかった機械類は、もちろんすべてスクラップです。
というわけで、産業立国ニッポンの歴史を展示する「幻の博物館」開場です。