2C1形テンダー機関車

 この形式の機関車は、欧米では急行旅客列車用として広く採用されました。1886年、アメリカで開発された火床の大きいパワフルな機関車。日本でも、明治44年にこの形式の8900形式機関車が輸入され、2C形と同時に使用されています。

 速度の向上と列車重量の増大要求に従って、大型機関車が出現、日本の急行旅客列車としても広く使われました。C53形式は3シリンダで、最も高性能。8900、C52形式以外は国産。なお、機関車は2B形から2C形、2C1へと進化しています。

8900
▲形式8900 (明治44年使用開始) American Locomotive製

 全部で36両のみ。C51形式ができるまで、東京〜下関の急行用として活躍。その後、九州、山陽線へ。老朽化により、汽罐の故障が多かったが、日本製に比べて、はるかに乗り心地がよかったといわれます。

c51
▲形式C51 (大正8年使用開始)
汽車製造、三菱重工業神戸造船所、 鉄道省浜松工場

 第1次世界大戦で輸送量の増大が目指され、高速で牽引力の大きい機関車が要求されるようになりました。そこで、 車軸配置4-6-2のパシフィック型として初めて国産化。

 C51形式(当時は18900形と命名)の動輪直径は1750mmで、もちろん日本最大。世界でも、狭軌の鉄道としては最大でした。

c51-2
▲水槽車

 昭和5年、東海直本線に特急「燕」号が運転された際、国府津から名古屋までノンストップとされたため、巨大な30トン水槽車が連結された。その後、「燕」号は静岡にも停車することになり、この水槽車は廃止となった。


c52
▲形式C52 3シリンダ過熱機関車(大正15年使用開始) American Locomotive製

 大正の末期、客車は鋼製車に変わり、列車の重量が増した。さらに輸送量はどんどん増大していき、列車の単位も大きいものになっていきます。

 当時、欧米でも3シリンダ機関車が多く用いられていたので、日本でも試験的に3シリンダ過熱機関車を輸入しました。

 3シリンダ機関車は回転力が均等になるので、揺れが少なくなり、結果として牽引力が増大。さらに排気の回数が多いので、燃料効率もいい。

 機関車のみ輸入で、炭水車は日立製作所笠戸工場が製造。大正初年以降、日本は外国の機関車を輸入しないできたため、外国の機関車製造技術を再検討する意味もありました。しかし、この形式は予想より優秀ではありませんでした。

 なお、狭軌鉄道で3シリンダ機関車を導入したのは、世界的に見てもきわめて珍しいものです。


c52-2
▲形式C52

 当初は8200形式と命名しましたが、1928年の車両形式称号規程改正でC52形に形式変更


c53
▲形式C53 3シリンダ過熱機関車 (昭和3年使用開始)
川崎車輌、汽車製造

 国産唯一の三シリンダ過熱機関車。単位の大きい急行列車の運行のため建造し、東海道・山陽線の特急などで活躍。


c53-2
▲形式C53流線型

 速度向上のため、世界的に流線型の外観が流行しました。機関車の周囲の空気の渦流を減らし、空気抵抗を少なくするのが目的。写真は昭和9年、鉄道省の鷹取工場でC53を改造したもの


c53-3
▲形式C53の正面

c54
▲形式C54過熱機関車 (昭和6年使用開始)
川崎車輌、汽車製造

c55-2
▲形式C55過熱機関車 (昭和10年使用開始)
川崎車輌、汽車製造、日立製作所笠戸工場

 急行用のC53は 軸重が大きいため、整備された線路でないと使えない。そこで、C51程度の重量で、構造を変えたものが本形式。目的も外観もほとんどC51と同じです。

c55
▲形式C55流線型

 すでにC53形式1両を流線型に改造していたが、欧米の流行に鑑み、C55も流線型に改造


c57
▲形式C57過熱機関車 (昭和12年使用開始)
川崎車輌、汽車製造、日立製作所、三菱重工業

 C51、C54、C55とほとんど同じ目的のために製造されたが、構造上はかなり変化。最大の改造は、罐使用圧力が16kg/cm2になったこと。

c59-2
▲形式C59過熱テンダー機関車(昭和16年使用開始)
川崎車輌、汽車製造、日立製作所

 東海、山陽線で活躍していたC53の老朽化と、3シリンダによる保守の不便を解決するため、2シリンダの新機関車として建造されました。罐の増大と圧力の上昇によって、C53をしのぐパワーを持っています。戦後の同型番は相違している部分も。