第1回訊問
阿部定
本籍は名古屋市東区千種町通7丁目79番地
出生地は東京市神田新銀町19番地
問 検事より被告に対し、斯様(かよう)な事実に付き、殺人及死体損壊被告事件として予審請求になっているが、この事実に対して何か陳述することがあるか。
この時、予審判事は被告に対して、本件予審請求書記載の公訴事実を読み聞けたり
答 御読み聞けの通り、事実相違ありませぬ。
問 どうして吉蔵を殺す気になったか。
答 私はあの人が好きで堪らず、自分で独占したいと思い詰めた末、あの人は私と夫婦でないから、あの人が生きていれば外の女に触れることになるでしょう。殺してしまえば、外の女が指一本触れなくなりますから、殺してしまったのです。
問 吉蔵も被告を好いていたのか。
答 やはり好いておりましたが、天秤にかければ四分六分で私の方が余計に好いておりました。
石田は始終「家庭は家庭、お前はお前だ。家庭には子供が2人もあるのだし、俺は年も年だから、今更お前と駈落する訳にも行かない。お前にはどんな貧乏たらしい家でも持たせて、待合でも開かせ末永く楽しもう」と云っておりました。しかし、私はそんな生温いことでは我慢出来なかったのです。
問 石田がそれほど好きなら、何故心中する相談を持ちかけなかったか。
答 石田は始終私を妾にするというようなことを云い、冗談にも死ぬなど云ったことはありましたが、実際は2人で心中する気持ちなど全然なかったし、私は石田の家の様子を知っておりましたから、心中することは考えてもみませんでした。
問 石田を殺す晩も死んでくれとは云わなかったか。
答 全然左様な事は云いませんでした。
問 その晩、石田は被告に殺されることを予期していた様子があったか。
答 予期していなかったと思います。もっとも18日の午前1時頃、石田が私に「お前は俺が眠ったら、また締(し)めるのだろうね。締めるなら途中で手を離すなよ、締められる時は判らないが、離すと苦しいからね」と云いましたが、それは冗談に云ったのだと思っています。
問 それは何故か。
答 それは、以前石田の頸を締めながら関係をすると感じがいいと話した事がありましたが、5月16日の晩、私が石田の上に乗り、初めは手で石田の咽喉を押す様にして関係しましたが、手では少しも感じが出ないから、私の腰紐を石田の頸に巻き、私がそれを締めたり緩めたりして関係しているうち、下のところばかり見ていたため力が入り過ぎ、石田が「ウー」とうなり、局部が急に小さくなったので、私は驚いて紐を離しましたが、そのため、石田の顔が赤くなって治らないので、翌日まで水で顔を冷しておりました。
そんな事があったため、18日の午前1時頃、石田が眠る時、私に「先ほどの様に締めるなら途中で離すな」と云ったのですが、私はそう云われた瞬間、自分に殺されても恨まないというのかなと考えました。
私が同時に、その時私は「ウン」と云って笑っていたのだし、石田も私の顔を覗き込んで笑いながらながらそう云ったのであり、また、死ぬ気なら私に殺してくれと云う筈ですから、冗談に云っただろうと思いました。
それですから、その後30分くらい石田の眠っている傍に眠っていましたが、石田には殺すということを云わなかったのです。
それに石田は私の身体が弱そうに見えるため、肺病だと思っており、始終「オカヨ(当時の偽名)、俺はお前のためならいつでも死ぬよ」などと云っておりましたが、無論、皆冗談事でありましたから、その晩、石田が私に云ったことも冗談だと思ったのです。
なお、私が殺す心算で最初私が静かに石田の頸を締める時、「オカヨ」といって私に抱きつく様にしましたから、殺されるなどとは考えてもおらず、吃驚(びっくり)したのではないかと思いましたが、私は紐を緩めず、心の中で堪忍してと思いながら、そのままキュウと紐を締めたのです。