日本初の個人投資家が教える「起業の教科書」

 会社には労使関係があります。改正会社法では、労使ともどもに「職務の執行が法令及び定款に適合することを確保する」ことを要求しています。
 取締役の職務の執行(会社法362条)がコーポレートガバナンス体制、使用人の職務の執行(施行規則100条)がコンプライアンス体制にあたるわけです。
 体制の維持にはお金もかかりますし、ずいぶんガチガチな印象もありますが、最重要事項なので、決しておろそかにはできません。

第1節 エンロン事件を他山の石とする

 アメリカで2000年に発覚したエンロン社の企業不祥事がもととなって、企業、監査法人、資本市場を駆けめぐった衝撃が直ちに議会での法制化につながり、サーベンス・オクスリー法、いわゆるSOX法が施行されました。

 すべての上場企業は2005年に始まる会計年度から遵守を義務づけられました。外国籍企業は1年間の猶予期間を認められ、私が社外取締役で監査委員長を務めているO2マイクロインターナショナル社はこれに該当し、2006年からの適用となりました。

 同社では大掛かりな内部統制の見直しを行い、文書を整備して、新法が社内全組織に浸透するよう徹底しました。組織上も内部監査担当を新たに採用し、それは監査委員会直属の組織としました。

 四半期ごとに立てられた内部監査のスケジュールにしたがって、規定の徹底、規定の存在の認知度、社内通報制度の周知といったリスク・コントロールの報告が監査委員長に上がってきます。

 取締役会は年に6回程度開催され、各取締役の日程を調整して開催されますが、監査委員会は年に5回決まったスケジュールで開かれます。そのうち2回は監査委員の取締役が一堂に会し、3回は電話会議で開催されます。

 監査委員会は会社の財務諸表のチェックと予算と実績のチェックを行い、あわせて内部統制状況をチェックして、会社の業績発表が実態に沿っていることを確認する義務を負っています。業績発表は毎四半期が終了した次の水曜日に行われるため、その週の月曜日開催と決められているのです。

 したがって、社外取締役・監査委員は1年間のスケジュールが拘束されることとなります。このように厳しいSOX法ですが、まずは制定し、無用に厳しい点は改める姿勢と思われ、現在その見直しが行われていると推察されます。

 SOX法遵守のため、一時的に3~5億円、継続実施のために年間5000万円以上が独立監査法人と社外取締役に支払われています。これには内部監査のための人件費は含まれていません。つまり、上場維持のコストが大幅に上昇したわけです。

 これだけが理由ではありませんが、ここ数年、新規上場案件が減少しているのは事実です。もとより企業統治の徹底は必要なことであり、SOX法の多くの部分は投資家保護のために有効ですが、角を矯めて牛を殺すのは本末転倒といえます。

 日本でも日本版SOX法(J-SOX)が2008年4月から施行されました。アメリカに比べて、弁護士と公認会計士の基盤が強くないため、施行にともなって、監査法人は目に見えて繁忙しています。

 この状況では、ややもすると、どうせ完全に守ることはできっこないとJ-SOX法を軽視する傾向が出ないとも限りません。アメリカ同様、まずは法律を遵守してから、不要な部分を改正するとの姿勢が必要ではないでしょうか。

第2節 創業期のガバナンス

 創業期にはビジネスモデルの追求とビジネスプランの実行が最大の課題であり、受注に結びつけ、売上げを上げることが起業家にとって最大の関心事であることは否定できません。

 とはいっても、どんな手段を使ってでも売上げを上げる、という姿勢は危険です。企業は法の下で、正しい企業活動によって利潤を上げなければなりません。規制や法律を守った上で事業を拡大することが必要です。

 創業期には多くの場合、起業家が1人で何役もこなさなければなりません。
 社長はCEO(最高経営責任者)ですが、物を調達してお金を支払うときはCFO(最高財務責任者)、技術の開発や外注に発注するときはCTO(最高技術責任者)、顧客との価格折衝、受注条件決定などはCMO(最高営業責任者)として行動することが求められます。

 これらの異なる機能を1人でこなすわけですから、いわばCXOというわけです。ですから、自分が今どの立場で考え、行動しようとしているかをわきまえなければなりません。それぞれの担当責任者がいれば相互牽制機能が働きますが、1人で何役もこなすときは自分のなかで常に自問自答しなければなりません。

 ここが中小企業のオーナーとベンチャー起業家の分かれ目です。創業したての頃には会社の株主は実質的に創業者のみで、何を実行するにも独断で決定できます。

 ですが、決定する前に、今の自分のXは何であるのか考える必要があるでしょう。もし今X=Mとして行動しようとしているとしたら、X=EであるCEOは承認するだろうか、と別の立場で考えてみることも必要です。

 このような日常行動の癖をつけると、経営パートナーが入ってきたときに、仕事の切り分けと分担が明確かつ容易となり、パートナーも創業者のガバナンスを理解してくれることは請け合いです。
 
 経営パートナーとの絆がガバナンスで結ばれていれば、入社する社員もその背中を見て、ガバナンスの強い会社だなと感じてくれるでしょう。この段階でJ-SOXは自然に守られ、規定にならずともリスク・コントロールが自然に実行されていると言えます。

第3節 発展期のガバナンス

 さらに事業が伸びていくと、受注が増加して組織を拡大するときが来ます。
 その時期にガバナンスを誤ると、将来に大きな禍根を残すことになりかねません。ベンチャー企業にリスクはつき物です。リスクはそれが避けられなかったとき、会社の業績にどのような悪影響を及ぼすかでその重要度が決まります。

 J-SOXでは、例えば売上げの5%減に結びつくリスクは重大なリスクと位置づけています。
 
 ただし、創業期から拡大期に起こりうるリスクはそんな程度ではない場合が数多くあります。創業期には、最初の注文が取れるか取れないかは100%のリスクです。
 安定した受注が取れ始めても、顧客の偏りがあると、いつ発注が止まり、企業の存続が危うくなるかわかりません。

 また、たくさん発注してもらえる顧客を大事にするあまり、他の顧客をないがしろにしたり、最大の顧客の業績低下を見逃したりするリスクもあるでしょう。

 私のLSIロジック時代の経験ですが、受注が伸び始めた頃に与信管理が不備だったため、売上げは立ったものの、入金される前に相手が倒産した例があります。社長とも面識があり、そのビジョンには賛成できる点があったのですが、資金不足に陥っていることに気づきませんでした。
 財務担当と何回も会って交渉しましたが、資金手当てができず、債権を全額回収することはできませんでした。

 売り先の資金状態も見極めが必要であるという失敗事例です。発展期に入ったと判断されるならば、ガバナンス上のリスクはコントロール・マトリクスを作成して監視する必要が出てきます。その役目は、最初は社長みずからが果たし、リスク・コントロールが定着するまで継続してほしいものです。

 株式公開軌道に入ったならば、リスク・コントロールは独立の機能として組織を作るべきですが、上場以前は簡単な組織で実効をあげることを考えてほしいものです。
 この時期のガバナンスを軽視すると、せっかくの業績向上を株式公開に結びつけるときに足をすくわれたり、多額のコストをかけたりしなければならなくなります。

 なお、リスク・コントロール・マトリクス(RCM=Risk Control Matrix)とは、不正やミスといったリスクとその対処法を列挙した表のことです。J-SOXで義務づけられている文書には、

 ●業務ごとに業務プロセスを記述した「業務記述書」
 ●書類や承認手続きなどを図示した「フローチャート

 などがあり、これとRCMを入れて3点セットと呼ばれます。
 
 RCMには想定されるミスや不正と対処法をなるべく多く書く必要があります。余談ながら、アメリカで上場する野村ホールディングスは、SOX法に対応するため、なんと約5000ページもの文書を作成したそうです。

第4節 拡大期のガバナンス

 創業期から拡大期のガバナンスは、起業家の資質によるところが大です。技術出身の創業者にとっては企業統治、ガバナンスといった言葉自体、それまで耳にしたことがない場合も少なくないでしょう。
 
 現実問題として、日本企業にはまだまだ組織内にガバナンスが浸透しているとはいえません。このような背景から創業する場合、頼りになるのは起業家の資質だけです。正しいことだけを実行する、不正なことには手を染めない、真実を追究し、すべての関係者を公平に扱うといった姿勢を貫ける起業家は多くありません。

 多くの場合、事業の成功だけを夢見て、それ以外のことには眼もくれない、となりがちです。正しいやり方を貫いて事業に失敗するのと、不正をして事業を成功させるのと、どちらを選ぶべきでしょう?

 答えは明確ですね。企業不祥事は、結果としてブランド価値の低下、顧客に見放される、株価の低迷などにつながります。不正は一時的な利益をもたらすかもしれませんが、最終的にはそれは白日の下に曝(さら)され、会社に不利益をもたらします。

 これまでの企業不祥事はほとんど例外なく、経営者が不正を指示しているか、深く関わっています。よほどの大企業でなければ、不正が社長の眼に触れないはずがありません。見て見ぬふりをするのは自分で指示を与えたよりも罪が重いかもしれません。なぜなら、不正を行ってもよいという企業文化を生むからです。ライブドアの事例はこれに当てはまりそうです。

第5節 社長といえども内部告発の対象

 経営者は不正を積極的に報告させる企業文化を作る責任があります。SOX法では社内通報の組織を作り、その責任者は社長直轄ではなく、監査委員会直轄とされます。アメリカではCompliance Officerとよばれ、遵法役員とでもいう役割です。社長といえども内部告発の対象となります。

 前述のO2マイクロインターナショナル社では全社員がCompliance Officerのホットラインの番号を知っており、不正の事実を知ったときにはその番号に電話をかけ、通報することを義務づけています。そればかりでなく、毎年そのことを認知しているか社員1人1人が社内のイントラネットで確認を求められます。
 
 あるとき、私のもとに同社の本社所在地であるケイマン島からファクスが届きました。宛先は監査委員長となっており、「すわ内部告発か」と思わずドキっとしましたが、内部監査担当者からのテストでした。
 従業員の規則に定められている内部告発制度が効果を発揮するか、監査委員長の素早さが試されたわけです。

 このような組織は窮屈で仕方ないと思われるかもしれませんが、同社の社内は和気藹々といえる状況です。これは社長の人柄が社員全員に好かれている結果だといえます。
 社長のスターリング・ドゥは世界中の支社員全員の名前を覚えているようで、各地を精力的に駆け回って社員各自を叱咤激励するという人です。

 したがって、私は取締役会の監査委員長という最もリスクの高い役割を担っても、枕を高くして寝られるわけです。
 とはいっても、リスクを意識しないときはありません。人間はいつ変心するかわからないからです。