October 2026
【B6型試乗記念】五和
1970年、大井川鉄道の五和駅(現・合格駅)で発行された乗車券です。

▲老雄B6型2109号
懐しい明治の汽笛、シリンダー、ロッドのひびき、失われゆくSLをいつまでも美しく保つために2109は千頭駅構内に永久保存されている。
昭和45年11月3日、明治の佳節を記念して明治の代表B6の引く列車の試乗会が盛大に行なわれ、明治節の歌の中にひびくイギリスの笛の澄んだひびきは、躍進明治の息吹きを感じさせた。

▲老雄B6型2109号
懐しい明治の汽笛、シリンダー、ロッドのひびき、失われゆくSLをいつまでも美しく保つために2109は千頭駅構内に永久保存されている。
昭和45年11月3日、明治の佳節を記念して明治の代表B6の引く列車の試乗会が盛大に行なわれ、明治節の歌の中にひびくイギリスの笛の澄んだひびきは、躍進明治の息吹きを感じさせた。
【蒸気機関車シリーズ】美唄
1970年、北海道の美唄鉄道・美唄駅で発行された乗車券です。

▲E過熱タンク機関車4122
4122号蒸気機関車は国鉄の奥羽本線庭坂・米沢間の板谷峠越え33‰の急勾配線区において輸送力増強のため大正元年にドイツから輸入された4100形をモデルとして国産化された4110形の13両目のものであった。
これは大正3年4月、川崎造船所兵庫工場製、運転整備の時の重量は65.27tで、その後主として米沢及び庭坂機関庫に所属していて奥羽本線の列車の牽引に当り同線の電化されるまで約34年間、奥羽地方の産業の発達に貢献した。
これは僚機4137号と共に昭和23年7月国鉄庭坂機関区から本鉄道に譲渡され、その後譲受された4142、4144号並びに当社発注の2〜4号と共に戦後の石炭輸送に活躍し、現在では国鉄払下げの4110形最後の1両となってしまった。なおこの機関車後部に当社製の簡易除雪器を設けてある。

▲E過熱タンク機関車2
2号蒸気機関車は本鉄道の25‰急勾配区間における輸送力増強のために準備された3両の同形機関車の第1両目のものであった。これは大正8年7月、三菱造船株式会社神戸造船所で、同所が第1次世界大戦後の事業転換の一つとして鉄道車両の製造に着手した際の蒸気機関車第1号機という記念すべきものである。
これの仕様は国鉄の急勾配用4110形と同じものであるが、大煙管は22本と1本多くなり運転整備の時の重量は65.28tである。
これは大正9年4月に製造された3号及び同15年3月に製造された4号と共に本鉄道の主力機関車として50有余年間石炭輸送に活隆している。なお3号は昭和41年北炭真谷礦専用鉄道に譲渡されたが、同鉄道で昭和44年用途廃止され、4号は現在も本鉄道で活躍中である。
(田沢義郎 撮影)

▲1Dテンダ機関車1
1号機関車は本鉄道が第1次世界大戦による輸送の上昇に対処するため、アメリカから購入したもので、明治40年ボールドウィン機関車工場製、当初はニカラグア・ナショナル鉄道向けのものを大正7年にフレーザー商会が日本へ輸入したものであった。
これの仕様は当時北海道で貨物列車用として使用されていた、国鉄の9040形1Dテンダ機関車(元北海道炭礦鉄道所属へ形【※原文ママ】)とほぼ同じもので運転整備のときの重量は60.01tであった。
これは昭和24年9月に用途廃止され、翌25年4月に同系の雄別炭礦 鉄道へ譲渡され9046号(2代目)となり、昭和40年7月同鉄道で用途廃止となり、解体された。
(ボールドウィン原図)
原文ママ

▲E過熱タンク機関車4122
4122号蒸気機関車は国鉄の奥羽本線庭坂・米沢間の板谷峠越え33‰の急勾配線区において輸送力増強のため大正元年にドイツから輸入された4100形をモデルとして国産化された4110形の13両目のものであった。
これは大正3年4月、川崎造船所兵庫工場製、運転整備の時の重量は65.27tで、その後主として米沢及び庭坂機関庫に所属していて奥羽本線の列車の牽引に当り同線の電化されるまで約34年間、奥羽地方の産業の発達に貢献した。
これは僚機4137号と共に昭和23年7月国鉄庭坂機関区から本鉄道に譲渡され、その後譲受された4142、4144号並びに当社発注の2〜4号と共に戦後の石炭輸送に活躍し、現在では国鉄払下げの4110形最後の1両となってしまった。なおこの機関車後部に当社製の簡易除雪器を設けてある。

▲E過熱タンク機関車2
2号蒸気機関車は本鉄道の25‰急勾配区間における輸送力増強のために準備された3両の同形機関車の第1両目のものであった。これは大正8年7月、三菱造船株式会社神戸造船所で、同所が第1次世界大戦後の事業転換の一つとして鉄道車両の製造に着手した際の蒸気機関車第1号機という記念すべきものである。
これの仕様は国鉄の急勾配用4110形と同じものであるが、大煙管は22本と1本多くなり運転整備の時の重量は65.28tである。
これは大正9年4月に製造された3号及び同15年3月に製造された4号と共に本鉄道の主力機関車として50有余年間石炭輸送に活隆している。なお3号は昭和41年北炭真谷礦専用鉄道に譲渡されたが、同鉄道で昭和44年用途廃止され、4号は現在も本鉄道で活躍中である。
(田沢義郎 撮影)

▲1Dテンダ機関車1
1号機関車は本鉄道が第1次世界大戦による輸送の上昇に対処するため、アメリカから購入したもので、明治40年ボールドウィン機関車工場製、当初はニカラグア・ナショナル鉄道向けのものを大正7年にフレーザー商会が日本へ輸入したものであった。
これの仕様は当時北海道で貨物列車用として使用されていた、国鉄の9040形1Dテンダ機関車(元北海道炭礦鉄道所属へ形【※原文ママ】)とほぼ同じもので運転整備のときの重量は60.01tであった。
これは昭和24年9月に用途廃止され、翌25年4月に同系の雄別炭礦 鉄道へ譲渡され9046号(2代目)となり、昭和40年7月同鉄道で用途廃止となり、解体された。
(ボールドウィン原図)
原文ママ
【さよなら蒸気機関車】高崎
高崎駅で1970年に発行された入場券、記念切符です。

▲C57型式 C5728号
高崎線(高崎〜倉賀野間)を走る急行あかぎ号
昭和26.11撮影

▲C58型式 C587号
八高線(北藤岡〜藤岡間)を往く上り貨物列車
昭和32.4撮影

▲D51型式 D51509号
信越線(安中〜磯部間)を往くデコイチの雄姿
昭和37.1撮影

▲D51型式
八高線・折原〜竹沢間・のどかな田園風景に活躍するデコイチ
昭和45.7撮影

▲C12型式
足尾線草木〜沢入間を渡瀬川の渓流に沿つて走るC12型の雄姿
昭和45.6撮影

▲C12型 C12163号とC1241号の重連
神土駅構内で整備され、山間の勾配線に向つて出発するシイジユウニの元気一ぱいの活躍
(C12型重連は全国鉄中足尾線のみに見られたものです)
昭和45.7撮影
(原文ママ)

▲C57型式 C5728号
高崎線(高崎〜倉賀野間)を走る急行あかぎ号
昭和26.11撮影

▲C58型式 C587号
八高線(北藤岡〜藤岡間)を往く上り貨物列車
昭和32.4撮影

▲D51型式 D51509号
信越線(安中〜磯部間)を往くデコイチの雄姿
昭和37.1撮影

▲D51型式
八高線・折原〜竹沢間・のどかな田園風景に活躍するデコイチ
昭和45.7撮影

▲C12型式
足尾線草木〜沢入間を渡瀬川の渓流に沿つて走るC12型の雄姿
昭和45.6撮影

▲C12型 C12163号とC1241号の重連
神土駅構内で整備され、山間の勾配線に向つて出発するシイジユウニの元気一ぱいの活躍
(C12型重連は全国鉄中足尾線のみに見られたものです)
昭和45.7撮影
(原文ママ)
【三菱大夕張炭砿株式会社】大夕張炭山
三菱大夕張炭鉱の大夕張炭山駅で発行された入場券・乗車券です。以下、切符に書かれた原文のまま紹介します。

▲1D テンダ機関車 9201
9201号蒸気機関車は本鉄道が昭和4年に通洞駅(現大タ張炭山駅)までの延長を完成し、専用鉄道として鉄道省の運転管理を離れ、自主運転を行うに際して、同年5月に美唄鉄道から譲り受けたものである。
しかし実際は昭和3年8月に札幌鉄道局追分機関庫で用途廃止となったものが、名義上美唄鉄道に譲渡され、現車は同年10月に清水沢から直接入線した。これの運転整備のときの重量は76.68t。
これは北海道鉄道部所管の官設鉄道が明治38年4月に鉄道作業局へ移管された頃、北海道内で使用するためにアメリカのボールドウイン機関車工場に発註されたもので、完成時には日露戦争の関係で陸軍省所属となったが、形式番号は鉄道作業局の機関車と同じ系列で、F2形、801号と呼ばれた。
これはその後大夕張炭山駅構内の小運転に使用されていたが、昭和38年1月23日に三菱鉱業㈱上芦別鉱業所専用鉄道へ移り、昭和39年4月に同鉄道の廃止と共に解体された。

▲1D 過熱テンダ機関車 No.3
No.3蒸気機関車は本鉄道が輸送力増強のため、日立製作所に発註したもので、昭和12年に製造された。
これの仕様は、機関車は国鉄の9600形と同じであるが、炭水車は逆行運転も可能なように両側が切り落された、水10m3、石炭5tのC56形のそれと同じで、運転整備のときの重量は89.72tである。
これは入線後、本鉄道が昭和14年4月から地方鉄道として一般営業を開始すると共に、時代の要求に応じた石炭増産が行われたので、9200形の2両や、自社発註のNo.5と共に、混合列車又は石炭列車の牽引に活躍した。
現在は国鉄から譲り受けた96の一群と共に活躍を続けている。

▲1C2 過熱タンク機関車 C1101
C1101号蒸気機関車は、第2次世界大戦の末期に本鉄道の輸送力増強のため購入されたものであるが、その発註は同系の雄別炭礦鉄道、尺別専用鉄道が日本車輛製造㈱にしたもので、昭和19年7月に製造された。
しかし、雄別炭礦鉄道㈱尺別炭礦は昭和19年9月に休山と決定したため同20年4月20日、本鉄道に引き取られたものである。
これの仕様は、国鉄のC11形と同じであるが、外観などからすれば、C11247号以降のいわゆる戦時形と呼ばれるものに該当し、運転整備のときの重量は67.52tである。
これは昭和20年1月に本鉄道における使用が開始され、その後はテンダ機関車に伍して大夕張炭山—清水沢間の列車牽引にも使用されている。

▲南大夕張新砿落成記念 9600
南大夕張新鉱は、昭和41年9月石炭鉱業合理化臨時措置法にもとづき、新鉱開発地域として国の指定を受け、同年10月10日の起工式以来4年に亘る歳月をかけ、100億円を超える投資によって、45年8月営業を開始し、南大夕張礦業所として発足をみた。
当礦は、近代的設備を積極的に導入、特に中央官制機構は他鉱に見られない設備で、主要設備の中央監視制御、保安の自重計測と中央監視、情報収集、指令機能の統一これ等設備に伴うコンピュータ活用など、徹底した省力化と保安優先の近代炭鉱として、46年5月竣工式を挙行、46年度は年産90万tの原料炭採掘を計画、順調な出炭を続けており、将来は年産120万tを目標としております。
実収炭量は約2880万tで、石炭の品質も低灰分、高カロリー(発熱量8400カロリー以上)の本邦最優良原料炭であり、いま誕生のよろこびを謳い、限りない発展を秘めているビルド鉱であります。
(原文ママ)

▲1D テンダ機関車 9201
9201号蒸気機関車は本鉄道が昭和4年に通洞駅(現大タ張炭山駅)までの延長を完成し、専用鉄道として鉄道省の運転管理を離れ、自主運転を行うに際して、同年5月に美唄鉄道から譲り受けたものである。
しかし実際は昭和3年8月に札幌鉄道局追分機関庫で用途廃止となったものが、名義上美唄鉄道に譲渡され、現車は同年10月に清水沢から直接入線した。これの運転整備のときの重量は76.68t。
これは北海道鉄道部所管の官設鉄道が明治38年4月に鉄道作業局へ移管された頃、北海道内で使用するためにアメリカのボールドウイン機関車工場に発註されたもので、完成時には日露戦争の関係で陸軍省所属となったが、形式番号は鉄道作業局の機関車と同じ系列で、F2形、801号と呼ばれた。
これはその後大夕張炭山駅構内の小運転に使用されていたが、昭和38年1月23日に三菱鉱業㈱上芦別鉱業所専用鉄道へ移り、昭和39年4月に同鉄道の廃止と共に解体された。

▲1D 過熱テンダ機関車 No.3
No.3蒸気機関車は本鉄道が輸送力増強のため、日立製作所に発註したもので、昭和12年に製造された。
これの仕様は、機関車は国鉄の9600形と同じであるが、炭水車は逆行運転も可能なように両側が切り落された、水10m3、石炭5tのC56形のそれと同じで、運転整備のときの重量は89.72tである。
これは入線後、本鉄道が昭和14年4月から地方鉄道として一般営業を開始すると共に、時代の要求に応じた石炭増産が行われたので、9200形の2両や、自社発註のNo.5と共に、混合列車又は石炭列車の牽引に活躍した。
現在は国鉄から譲り受けた96の一群と共に活躍を続けている。

▲1C2 過熱タンク機関車 C1101
C1101号蒸気機関車は、第2次世界大戦の末期に本鉄道の輸送力増強のため購入されたものであるが、その発註は同系の雄別炭礦鉄道、尺別専用鉄道が日本車輛製造㈱にしたもので、昭和19年7月に製造された。
しかし、雄別炭礦鉄道㈱尺別炭礦は昭和19年9月に休山と決定したため同20年4月20日、本鉄道に引き取られたものである。
これの仕様は、国鉄のC11形と同じであるが、外観などからすれば、C11247号以降のいわゆる戦時形と呼ばれるものに該当し、運転整備のときの重量は67.52tである。
これは昭和20年1月に本鉄道における使用が開始され、その後はテンダ機関車に伍して大夕張炭山—清水沢間の列車牽引にも使用されている。

▲南大夕張新砿落成記念 9600
南大夕張新鉱は、昭和41年9月石炭鉱業合理化臨時措置法にもとづき、新鉱開発地域として国の指定を受け、同年10月10日の起工式以来4年に亘る歳月をかけ、100億円を超える投資によって、45年8月営業を開始し、南大夕張礦業所として発足をみた。
当礦は、近代的設備を積極的に導入、特に中央官制機構は他鉱に見られない設備で、主要設備の中央監視制御、保安の自重計測と中央監視、情報収集、指令機能の統一これ等設備に伴うコンピュータ活用など、徹底した省力化と保安優先の近代炭鉱として、46年5月竣工式を挙行、46年度は年産90万tの原料炭採掘を計画、順調な出炭を続けており、将来は年産120万tを目標としております。
実収炭量は約2880万tで、石炭の品質も低灰分、高カロリー(発熱量8400カロリー以上)の本邦最優良原料炭であり、いま誕生のよろこびを謳い、限りない発展を秘めているビルド鉱であります。
(原文ママ)
【DISCOVER JAPAN】斜里
釧路鉄道管理局が1971年に発行した急行券です。

▲C58
雪の朝のSL(冬)
斜里駅を発車して間もなく斜里川を渡る網走行列車。晴れた日には,名峰斜里岳が後に見える。機関車はC58型。
この頃は、知床連山も、オホーツク海も白一色におおわれ、流氷原を渡ってくる風は膚を刺すように冷たい。
しかし、一歩家の中に入れば、ストーブが燃えさかっており、厳しい自然の中にも逞しく、楽しい人間の生活があり、本当の北海道らしい旅情を味わうことができる。
(原文ママ)

▲C58
雪の朝のSL(冬)
斜里駅を発車して間もなく斜里川を渡る網走行列車。晴れた日には,名峰斜里岳が後に見える。機関車はC58型。
この頃は、知床連山も、オホーツク海も白一色におおわれ、流氷原を渡ってくる風は膚を刺すように冷たい。
しかし、一歩家の中に入れば、ストーブが燃えさかっており、厳しい自然の中にも逞しく、楽しい人間の生活があり、本当の北海道らしい旅情を味わうことができる。
(原文ママ)
【さよならスワロー・エンゼル】札幌

▲C62 さようならスワロー・エンゼル
栄光の名機 “スワロー・エンゼル” を追え、これは全国SLファンの合言葉である。銀色に輝くツバメのマーク、力強いドラフトの響き、C62の2号機、それは日本最大、最強のSLの王者の雄姿である。
そのもっとも栄光に満ちた時代は、昭和25年春から昭和31年秋にかけて、東海道本線の特急 “つばめ” を引いていたときであった。
この勇者C62も時代の波に消えさろうとしている。昭和23、24年に49両製作された僚機も、小樽築港機関区にある、2、3、15、16号機のみで、2号機が9月15日限りで急行ニセコとお別れし、長万部・小樽間普通列車第135、136列車を引き、その他の3両は廃車の運命にある。
9月15日がC62の最後の三重連、もちろん重連すらお目にかかれなくなる。
国鉄北海道総局(原文ママ)
【第98回鉄道記念日】金沢
1970年、金沢駅で発行された記念入場券です。

▲7100形式テンダ機関車
明治13年北海道の最初の 鉄道である幌内鉄道(小樽、札幌間)の開業のため米国ポーター会社から輸入された小形テンダ機関車である。台枠等の構造がすぐれ、その後の近代蒸気機関車の基礎となった。機関車ごとに義経、静、弁慶等の愛称がつけられたためもあって、機関車ファンの愛好の的となり、現在3両が創業時の姿に復元されて保存されている。同形式8両。
軸配置 1C
ボイラー圧力 7.7kg/cm2
全長 11.9m
運転整備重量 28.1t
火格子面積 0.9m2
動輪周出力 300ps
動輪径 914mm
最高速度 45km/h

▲8620形式テンダ機関車
国鉄の機関車は明治期には輸入機が大部分であったが、明治中期に国産機が誕生し大正前期には完全に国産化された。大正3年製の旅客用の8620は9600とともに国産標準機の第1号であった。万能型の性能であらゆる支線区に使用され、鉄路のあるところ8620を見ざるところなしのほど全国的に普及した。新製両数687両、現役両数は93両。
軸配置 1C
ボイラー圧力 13kg/cm2
全長 16.8m
運転整備重量 83t
火格子面積 1.63m2
動輪周出力 630ps
動輪径 1600mm
最高速度 90km/h

▲C57形式テンダ機関車
昭和12年にC51形式の改良近代化機として誕生し、北陸線、鹿児島線、東北線等の幹線の旅客列車けん引に使用された。形態は優美の象徴ともいうべきで国鉄の機関車のうち最もスマートである。新製両数は201両、現役両数は109両。
軸配置 2C1
ボイラー圧力 16kg/cm2
全長 20.3m
運転整備重量 116t
火格子面積 2.53m2
動輪周出力 1040ps
動輪径 1750mm
最高速度 100km/h

▲C58形式テンダ機関車
昭和13年に標準中形客貨用機関車として誕生し、輸送量の多い全国のあらゆるローカル線に使用された。8620に劣らない高速性能と9600に匹敵するけん引力を兼ね備えた万能機関車で、蒸気最終を飾る候補機である。新製両数402両、現役両数は234両。
軸配置 1C1
ボイラー圧力 16kg/cm2
全長 18.3m
運転整備重量 103t
火格子面積 2.15m2
動輪周出力 880ps
動輪径 1520mm
最高速度 85km/h

▲E10形式タンク1幾関車
戦後昭和23年に急勾配線区専用の大形タンク機として誕生した。国鉄最終設計の蒸気機関車であった。タンク機関車として最大で、5軸の動輪を採用し最強力のD52に匹敵するけん引力を有していた。投入された奥羽線福島一米沢間は間もなく電化されたため、九州、北陸に転用され最後は米原一田村間の小運転に昭和37年まで使用された。新製両数5両、現役なし。
軸配置 1E2
ボイラー圧力 16kg/cm2
全長 14.5m
運転整備重量 102t
火格子面積 3.30m2
動輪周出力 1300ps
動輪径 1250mm
最高速度 65km/h
(原文ママ)

▲7100形式テンダ機関車
明治13年北海道の最初の 鉄道である幌内鉄道(小樽、札幌間)の開業のため米国ポーター会社から輸入された小形テンダ機関車である。台枠等の構造がすぐれ、その後の近代蒸気機関車の基礎となった。機関車ごとに義経、静、弁慶等の愛称がつけられたためもあって、機関車ファンの愛好の的となり、現在3両が創業時の姿に復元されて保存されている。同形式8両。
軸配置 1C
ボイラー圧力 7.7kg/cm2
全長 11.9m
運転整備重量 28.1t
火格子面積 0.9m2
動輪周出力 300ps
動輪径 914mm
最高速度 45km/h

▲8620形式テンダ機関車
国鉄の機関車は明治期には輸入機が大部分であったが、明治中期に国産機が誕生し大正前期には完全に国産化された。大正3年製の旅客用の8620は9600とともに国産標準機の第1号であった。万能型の性能であらゆる支線区に使用され、鉄路のあるところ8620を見ざるところなしのほど全国的に普及した。新製両数687両、現役両数は93両。
軸配置 1C
ボイラー圧力 13kg/cm2
全長 16.8m
運転整備重量 83t
火格子面積 1.63m2
動輪周出力 630ps
動輪径 1600mm
最高速度 90km/h

▲C57形式テンダ機関車
昭和12年にC51形式の改良近代化機として誕生し、北陸線、鹿児島線、東北線等の幹線の旅客列車けん引に使用された。形態は優美の象徴ともいうべきで国鉄の機関車のうち最もスマートである。新製両数は201両、現役両数は109両。
軸配置 2C1
ボイラー圧力 16kg/cm2
全長 20.3m
運転整備重量 116t
火格子面積 2.53m2
動輪周出力 1040ps
動輪径 1750mm
最高速度 100km/h

▲C58形式テンダ機関車
昭和13年に標準中形客貨用機関車として誕生し、輸送量の多い全国のあらゆるローカル線に使用された。8620に劣らない高速性能と9600に匹敵するけん引力を兼ね備えた万能機関車で、蒸気最終を飾る候補機である。新製両数402両、現役両数は234両。
軸配置 1C1
ボイラー圧力 16kg/cm2
全長 18.3m
運転整備重量 103t
火格子面積 2.15m2
動輪周出力 880ps
動輪径 1520mm
最高速度 85km/h

▲E10形式タンク1幾関車
戦後昭和23年に急勾配線区専用の大形タンク機として誕生した。国鉄最終設計の蒸気機関車であった。タンク機関車として最大で、5軸の動輪を採用し最強力のD52に匹敵するけん引力を有していた。投入された奥羽線福島一米沢間は間もなく電化されたため、九州、北陸に転用され最後は米原一田村間の小運転に昭和37年まで使用された。新製両数5両、現役なし。
軸配置 1E2
ボイラー圧力 16kg/cm2
全長 14.5m
運転整備重量 102t
火格子面積 3.30m2
動輪周出力 1300ps
動輪径 1250mm
最高速度 65km/h
(原文ママ)
【第98回鉄道記念日】長野
1970年に長野駅で発行された記念入場券です。以下、印刷された全文を原文ママで公開。

▲2120形式タンク機関車
明治中期の代表的貨物機関車で、2100、2400、2500形式も殆ど同じで、明治の機関車として同系形式の最大両数の528両が活躍した。英国製が多く米国独国からも輸入され、10両は神戸工場で製作された。又一部は日露戦争に野戦用として大陸に渡った。小形の割合にけん引力が強く、本線使用後も入換用として戦後まで長く愛用された。
軸配置 C1
ボイラー圧力 11.3kg/cm2
全長 10.2m
運転整備重量 49.9t
火格子面積 1.3m2
動輪周出力 530ps
動輪径 1250mm
最高速度 65km/h

▲9600形式テンダ4幾関車
国鉄の機関車は明治期は輸入機が主力で、明治中期に国産機が誕生し大正前期には完全に国産化された。大正2年製の9600は貨物用で、8620とともに国産標準機の第1号であった。ずんぐりした力牛のような形態でけん引力が強く、広火室ボイラーの採用により出力も大きい。新製両数784両、現在なお287両の大量が残って主として入換用に活躍している。
軸配置 1D
ボイラー圧力 13kg/cm2
全長 16.6m
運転整備重量 95t
火格子面積 2.32m2
動輪周出力 870ps
動輪径 1250mm
最高速度 65km/h

▲C56形式テンダ機関車
昭和10年に簡易線用の小形機関車として誕生した。C12形式タンク機のテンダ版で性能は同一である。簡易設備の支線区の後進運転にも便利のようにテンダの両側が切り取られている。戦時中90両が南方作戦のため海を渡った。新製両数164両、現役両数は35両。
軸配置 1C
ボイラー圧力 14kg/cm2
全長 14.3m
運転整備重量 66t
火格子面積 1.30m2
動輪周出力 505ps
動輪径 1400mm
最高速度 75km/h

▲D50形式テンダ機関車
大正12年に誕生した国産標準形の第3号の大形貨物機であった。当時としては画期的の大形機で、自動連結器の採用と相まって貨物列車の単位を大きくし幹線の輸送力を飛躍的に増強した。(当時9600けん引の700tをD50は1000tけん引にした)新製両数380両、現役両数は3両。
軸配置 1D1
ボイラー圧力 13kg/cm2
全長 20.0m
運転整備重量 127t
火格子面積 3.25m2
動輪周出力 1280ps
動輪径 1400mm
最高速度 75km/h

▲D51形式テンダ機関車
昭和11年に誕生した標準大形貨物用機関車である。大正12年製のD50と性能はほぼ同じであるが、徹底的に改善近代化された。国鉄機関車では最大両数の1115両が量産され、性能とともに国鉄の蒸気機関車を代表する名機である。全国の幹線、亜幹線の貨物機及び勾配線区の客貨機として使用されている。現役両数は756両。
軸配置 1D1
ボイラー圧力 15kg/cm2
全長 19.7m
運転整備重量 126t
火格子面積 3.27m2
動輪周出力 1280ps
動輪径 1400mm
最高速度 85km/h
(原文ママ)

▲2120形式タンク機関車
明治中期の代表的貨物機関車で、2100、2400、2500形式も殆ど同じで、明治の機関車として同系形式の最大両数の528両が活躍した。英国製が多く米国独国からも輸入され、10両は神戸工場で製作された。又一部は日露戦争に野戦用として大陸に渡った。小形の割合にけん引力が強く、本線使用後も入換用として戦後まで長く愛用された。
軸配置 C1
ボイラー圧力 11.3kg/cm2
全長 10.2m
運転整備重量 49.9t
火格子面積 1.3m2
動輪周出力 530ps
動輪径 1250mm
最高速度 65km/h

▲9600形式テンダ4幾関車
国鉄の機関車は明治期は輸入機が主力で、明治中期に国産機が誕生し大正前期には完全に国産化された。大正2年製の9600は貨物用で、8620とともに国産標準機の第1号であった。ずんぐりした力牛のような形態でけん引力が強く、広火室ボイラーの採用により出力も大きい。新製両数784両、現在なお287両の大量が残って主として入換用に活躍している。
軸配置 1D
ボイラー圧力 13kg/cm2
全長 16.6m
運転整備重量 95t
火格子面積 2.32m2
動輪周出力 870ps
動輪径 1250mm
最高速度 65km/h

▲C56形式テンダ機関車
昭和10年に簡易線用の小形機関車として誕生した。C12形式タンク機のテンダ版で性能は同一である。簡易設備の支線区の後進運転にも便利のようにテンダの両側が切り取られている。戦時中90両が南方作戦のため海を渡った。新製両数164両、現役両数は35両。
軸配置 1C
ボイラー圧力 14kg/cm2
全長 14.3m
運転整備重量 66t
火格子面積 1.30m2
動輪周出力 505ps
動輪径 1400mm
最高速度 75km/h

▲D50形式テンダ機関車
大正12年に誕生した国産標準形の第3号の大形貨物機であった。当時としては画期的の大形機で、自動連結器の採用と相まって貨物列車の単位を大きくし幹線の輸送力を飛躍的に増強した。(当時9600けん引の700tをD50は1000tけん引にした)新製両数380両、現役両数は3両。
軸配置 1D1
ボイラー圧力 13kg/cm2
全長 20.0m
運転整備重量 127t
火格子面積 3.25m2
動輪周出力 1280ps
動輪径 1400mm
最高速度 75km/h

▲D51形式テンダ機関車
昭和11年に誕生した標準大形貨物用機関車である。大正12年製のD50と性能はほぼ同じであるが、徹底的に改善近代化された。国鉄機関車では最大両数の1115両が量産され、性能とともに国鉄の蒸気機関車を代表する名機である。全国の幹線、亜幹線の貨物機及び勾配線区の客貨機として使用されている。現役両数は756両。
軸配置 1D1
ボイラー圧力 15kg/cm2
全長 19.7m
運転整備重量 126t
火格子面積 3.27m2
動輪周出力 1280ps
動輪径 1400mm
最高速度 85km/h
(原文ママ)
【さよなら蒸気機関車】鹿児島
鹿児島鉄道管理局(鹿児島駅)で、1970年に発行された入場券・急行券です。以下、原文のまま紹介します。

▲B20形式タンク機関車 ビーコロちゃん
この写真のB2010は,B20という種類で10号機関車です。小さくて,かわいい機関車ですので「ビーコロ」と呼ばれています。いま日本で1台しか使われていません。写真は,大きなC55とC12機関車があと押しして走るところです。
この機種は,太平洋戦争中の極度の機関車不足を補うため,資材を極度に節約し,製造工程もごく簡略化して作った戦時設計型の機関車です。戦争末期から終戦直後までを通じて15両つくられました。この10号機関車は昭和21年に製造されたもので,現在は構内入換機として専用しています。
重さ・15.3トン 長さ・7m 幅・2m67 高さ・3m30 350馬力 最高時速・45キロ 水タンク容量・25トン 石炭積載量・0.9トン

▲C57 C57形式テンダ機関車
均整のとれたスマートな容姿をもつ,いわば美人形機関車です。貨物列車用C55形を旅客列車用に改良したもので,201両製造されました。
使用初年・昭和12年 全長・約20m 高さ・約4m 機関車自重・約69トン 1040馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

▲C60形式テンダ機関車
C59形機関車(幹線用)を準幹線用に改装したものです。これは線路の構造上,その走る線に適応するよう,機関車の車輪がレールにかかる重さ(これを軸重といいます)を軽くする必要があったからです。C59は173両製造されましたが、これからC60に改装した両数は47両です。
改装初年・昭和28年 全長・約22m 高さ・約4m 機関車自重・83トン 1290馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

▲D51形式テンダ機関車〈愛称デコイチ〉
貨物列車用に作られたもので、耐久力・引張力・姿の3柏子そろったわが国の傑作機関車といわれています。製造両数は1,100両をこえ,戦前・戦中に一部は樺太、台湾、タイにまで渡っております。国鉄の貨物用蒸気機関車の主力を成しており、むかしから重用しています。
最初の1号機関車が誕生したのが、昭和11年の2・26事件のあった数日後だったというのも,何かの因縁だったのでしょう。以後の戦時、戦後の波乱期を、国内輸送の主軸となって文字どおり「大車輪」の活躍を見せました。見るからに男性的で風格をもった姿には、波乱期の歴史を引っ張ってきたという感じがあります。
使用初年・昭和11年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約78トン 1280馬力 最高時速85キロ 動輪直径・1m40

▲C61形式テンダ機関車
貨物列車用D51形を旅客列車用に改造した機種です。太平洋戦争中は貨物重点の輸送でしたが、戦後は旅客輸送に重点が移ったため、貨物列車用機関車が余って旅客列車用機関車が足りなくなりました。このために33両をこれに改造しました。昭和33年に登場した鹿児島初の特急「はやぶさ」を索引(※牽引の誤植)した当時の花形機関車です。
改造初年・昭和22年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約80トン 1890馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75
表紙デザイン・中之間国隆〈国鉄・宮崎運輸長付〉=C61のみ

▲B20形式タンク機関車 ビーコロちゃん
この写真のB2010は,B20という種類で10号機関車です。小さくて,かわいい機関車ですので「ビーコロ」と呼ばれています。いま日本で1台しか使われていません。写真は,大きなC55とC12機関車があと押しして走るところです。
この機種は,太平洋戦争中の極度の機関車不足を補うため,資材を極度に節約し,製造工程もごく簡略化して作った戦時設計型の機関車です。戦争末期から終戦直後までを通じて15両つくられました。この10号機関車は昭和21年に製造されたもので,現在は構内入換機として専用しています。
重さ・15.3トン 長さ・7m 幅・2m67 高さ・3m30 350馬力 最高時速・45キロ 水タンク容量・25トン 石炭積載量・0.9トン

▲C57 C57形式テンダ機関車
均整のとれたスマートな容姿をもつ,いわば美人形機関車です。貨物列車用C55形を旅客列車用に改良したもので,201両製造されました。
使用初年・昭和12年 全長・約20m 高さ・約4m 機関車自重・約69トン 1040馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

▲C60形式テンダ機関車
C59形機関車(幹線用)を準幹線用に改装したものです。これは線路の構造上,その走る線に適応するよう,機関車の車輪がレールにかかる重さ(これを軸重といいます)を軽くする必要があったからです。C59は173両製造されましたが、これからC60に改装した両数は47両です。
改装初年・昭和28年 全長・約22m 高さ・約4m 機関車自重・83トン 1290馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

▲D51形式テンダ機関車〈愛称デコイチ〉
貨物列車用に作られたもので、耐久力・引張力・姿の3柏子そろったわが国の傑作機関車といわれています。製造両数は1,100両をこえ,戦前・戦中に一部は樺太、台湾、タイにまで渡っております。国鉄の貨物用蒸気機関車の主力を成しており、むかしから重用しています。
最初の1号機関車が誕生したのが、昭和11年の2・26事件のあった数日後だったというのも,何かの因縁だったのでしょう。以後の戦時、戦後の波乱期を、国内輸送の主軸となって文字どおり「大車輪」の活躍を見せました。見るからに男性的で風格をもった姿には、波乱期の歴史を引っ張ってきたという感じがあります。
使用初年・昭和11年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約78トン 1280馬力 最高時速85キロ 動輪直径・1m40

▲C61形式テンダ機関車
貨物列車用D51形を旅客列車用に改造した機種です。太平洋戦争中は貨物重点の輸送でしたが、戦後は旅客輸送に重点が移ったため、貨物列車用機関車が余って旅客列車用機関車が足りなくなりました。このために33両をこれに改造しました。昭和33年に登場した鹿児島初の特急「はやぶさ」を索引(※牽引の誤植)した当時の花形機関車です。
改造初年・昭和22年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約80トン 1890馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75
表紙デザイン・中之間国隆〈国鉄・宮崎運輸長付〉=C61のみ
【さよなら蒸気機関車】八王子
八王子駅で、1970年に発行された乗車券です。以下、原文のまま紹介します。
さようなら皆さん……D51、C58型蒸気機関車
SLが10月からお別れします。あのダイナミックなD51、C58型が……皆様とお馴染みの蒸気機関車が37年ぶりに沿線から、その勇姿を消すことになりました。
プロフイル

▲D51型
・製造年月……………昭和11年3月〜20年1月
・製造両数……………1,115両
・配置両数(全国)…741両(45.6.1現在)
SL中最も多く製造され、主要幹線を1,000トンけん引することができた貨物用機関車です。

▲C58型
・製造年月……………昭和13年8月〜22年12月
・製造両数……………427両
・配置両数(全国)…225同(45.6.1現在)
主としてローカル線・小運転を目的に高性能、軽量化をねらって製造されたもので、中型客貨両用として活躍してきました。(原文ママ)
さようなら皆さん……D51、C58型蒸気機関車
SLが10月からお別れします。あのダイナミックなD51、C58型が……皆様とお馴染みの蒸気機関車が37年ぶりに沿線から、その勇姿を消すことになりました。
プロフイル

▲D51型
・製造年月……………昭和11年3月〜20年1月
・製造両数……………1,115両
・配置両数(全国)…741両(45.6.1現在)
SL中最も多く製造され、主要幹線を1,000トンけん引することができた貨物用機関車です。

▲C58型
・製造年月……………昭和13年8月〜22年12月
・製造両数……………427両
・配置両数(全国)…225同(45.6.1現在)
主としてローカル線・小運転を目的に高性能、軽量化をねらって製造されたもので、中型客貨両用として活躍してきました。(原文ママ)
【片上鉄道 創立50周年】片上
1970年6月1日、岡山県備前市にあった片上駅で発行された切符です。

▲形式 片1 1C1タンク機関車
1号機関車と称し、大正11年12月に日本車両の製造番号60で誕生した。大正12年1月1日片上〜和気間(8.6キロ・最急勾配 28.6‰)が関通した当時から活躍し、戦前戦後の動乱期の旅客・ 貨物輸送に大きな役割を果した。昭和22年4月土佐交通(現在の土佐電鉄)に転籍し、昭和24年廃車となり同年解体され、現在はその姿を見ることができない。
全 長 9754mm
ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1118mm
運転整備重量 40.7t

▲形式 片2 1B1タンク機関車
2号機関車と称し、大正11年12月にドイツ、コッペル社の番号10293で製造され、当 鉄道唯一の2動輪であった。1号機関車と同じく開通以来活躍したが、勾配線には不適な2動輪のため昭和14年に一度休車となり、その後軍需品輸送上から使用再開され昭和20年まで活躍、昭和22年6月長岡鉄道(現在の越後交通)へ転籍し、昭和27年廃車となり同年解体された。
全 長 8831mm
ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1000mm
運転整備重量 32.57t

▲形式 C12 1C1タンク機関車
201号は、昭和19年3月に日立製作所笠戸工場で製造し入線したもので、202号は昭和10年12月に日本車両において製造され大井川鉄道で使用していたが、昭和25年4月当線に転入された。
両機とも入線時、当鉄道用に炭車容量の増設・同形式には珍しい除煙仮の新設など改造をし、主として貨物列車の補機用として活躍したが、昭和41年と昭和43年にそれぞれ廃車解体された。
全 長 11350mm
ボイラー圧力 14.0kg/cm2
動輪径 1400mm
運転整備重量 50.05t

▲形式 C13 1C2タンク機関車
戦争中、海南島の鉱石輸送に使用する目的から昭和19年7月に日本車両で5両製造された機関車のうちの2両で、誕生した当時の姿は、1Cテンダー機関車・形式7720であったが、昭和24年11月大阪汽車会社において、大幅な改造がなされC13形式(50号・51号)と称し、 貨物輸送の主力として活躍、その後ディーゼル機関車の導入により、昭和41年5月廃車となり同年解体された。
全 長 12200mm
ボイラー圧力 13.0kg/cm2
動輪径 1250mm
運転整備重量 60.6t
原文ママ

▲形式 片1 1C1タンク機関車
1号機関車と称し、大正11年12月に日本車両の製造番号60で誕生した。大正12年1月1日片上〜和気間(8.6キロ・最急勾配 28.6‰)が関通した当時から活躍し、戦前戦後の動乱期の旅客・ 貨物輸送に大きな役割を果した。昭和22年4月土佐交通(現在の土佐電鉄)に転籍し、昭和24年廃車となり同年解体され、現在はその姿を見ることができない。
全 長 9754mm
ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1118mm
運転整備重量 40.7t

▲形式 片2 1B1タンク機関車
2号機関車と称し、大正11年12月にドイツ、コッペル社の番号10293で製造され、当 鉄道唯一の2動輪であった。1号機関車と同じく開通以来活躍したが、勾配線には不適な2動輪のため昭和14年に一度休車となり、その後軍需品輸送上から使用再開され昭和20年まで活躍、昭和22年6月長岡鉄道(現在の越後交通)へ転籍し、昭和27年廃車となり同年解体された。
全 長 8831mm
ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1000mm
運転整備重量 32.57t

▲形式 C12 1C1タンク機関車
201号は、昭和19年3月に日立製作所笠戸工場で製造し入線したもので、202号は昭和10年12月に日本車両において製造され大井川鉄道で使用していたが、昭和25年4月当線に転入された。
両機とも入線時、当鉄道用に炭車容量の増設・同形式には珍しい除煙仮の新設など改造をし、主として貨物列車の補機用として活躍したが、昭和41年と昭和43年にそれぞれ廃車解体された。
全 長 11350mm
ボイラー圧力 14.0kg/cm2
動輪径 1400mm
運転整備重量 50.05t

▲形式 C13 1C2タンク機関車
戦争中、海南島の鉱石輸送に使用する目的から昭和19年7月に日本車両で5両製造された機関車のうちの2両で、誕生した当時の姿は、1Cテンダー機関車・形式7720であったが、昭和24年11月大阪汽車会社において、大幅な改造がなされC13形式(50号・51号)と称し、 貨物輸送の主力として活躍、その後ディーゼル機関車の導入により、昭和41年5月廃車となり同年解体された。
全 長 12200mm
ボイラー圧力 13.0kg/cm2
動輪径 1250mm
運転整備重量 60.6t
原文ママ
【記念入場券】坂町駅
坂町駅(新潟県村上市)で1969年に発行された入場券です。

▲9600型
9600形式蒸気機関車は大正2年に誕生し、その後大正年間に784両が製造され、この時代の 貨物列車用標準機関車として四国以外の全国各地に配置されました。
以来、50有余年の星霜を経て、現在新潟支社では米坂線にのみ主力機関車として活躍しています。
機関車の特徴は動輪上に火室構造を置いて火床を大きくし、機関車出力の増大がはかられております。このため、機関車は小柄ながらデップリとし、小さな動輪で走る姿はたいへんユーモラスな感じがします。
戦時中は大量270両が大陸や樺太でも活躍しました。
動力車近代化の波とともに数年後には国鉄から消え去る運命のこの機関車に「ご苦労さん」と最後の声援を送ってやりたいものです。
(原文ママ)

▲9600型
9600形式蒸気機関車は大正2年に誕生し、その後大正年間に784両が製造され、この時代の 貨物列車用標準機関車として四国以外の全国各地に配置されました。
以来、50有余年の星霜を経て、現在新潟支社では米坂線にのみ主力機関車として活躍しています。
機関車の特徴は動輪上に火室構造を置いて火床を大きくし、機関車出力の増大がはかられております。このため、機関車は小柄ながらデップリとし、小さな動輪で走る姿はたいへんユーモラスな感じがします。
戦時中は大量270両が大陸や樺太でも活躍しました。
動力車近代化の波とともに数年後には国鉄から消え去る運命のこの機関車に「ご苦労さん」と最後の声援を送ってやりたいものです。
(原文ママ)
大井川鉄道
大井川鉄道で1970年に発行された切符です。

▲2100型
B6形蒸気機関車2109号の経歴
○明治23年(1890年)英国グラスゴーのダブス機関車会社製造、日本鉄道に輸入。
○その後明治、大正、昭和の3代にわたり東北線、中央線などの重量牽引列車用として活躍。
○昭和4年、松本機関庫より西濃鉄道に移る。
○昭和45年8月、大井川鉄道千頭駅に元国電モハ1とともに保存展示される。
以上、原文ママ

▲2100型
B6形蒸気機関車2109号の経歴
○明治23年(1890年)英国グラスゴーのダブス機関車会社製造、日本鉄道に輸入。
○その後明治、大正、昭和の3代にわたり東北線、中央線などの重量牽引列車用として活躍。
○昭和4年、松本機関庫より西濃鉄道に移る。
○昭和45年8月、大井川鉄道千頭駅に元国電モハ1とともに保存展示される。
以上、原文ママ
【ハブ3号客車万国博参加 2号機関車複元完成】加悦駅
かつて京都府加悦町(現・与謝野町)にあった加悦駅で発行された乗車券です。

▲120型
加悦鉄道は丹後山田〜加悦間を結んでいた私鉄で、ニッケルを採掘をしていた日本冶金工業(大江山製造所)専用線の運転もおこなっていました。
1985年、国鉄宮津線が 貨物輸送を廃止したことで、ニッケル輸送が不可能となり、廃線となりました。
2号機関車(120形)は、1873年(明治6年)、ロバート・スティーブンソン社で製造された蒸気機関車(旧鉄道院123)。もともとは大阪—神戸の鉄道開通で使用された。ハブ3号客車とともに、加悦SL広場で静態保存中。
※タイトルの「複元」は「復元」の誤植

▲120型
加悦鉄道は丹後山田〜加悦間を結んでいた私鉄で、ニッケルを採掘をしていた日本冶金工業(大江山製造所)専用線の運転もおこなっていました。
1985年、国鉄宮津線が 貨物輸送を廃止したことで、ニッケル輸送が不可能となり、廃線となりました。
2号機関車(120形)は、1873年(明治6年)、ロバート・スティーブンソン社で製造された蒸気機関車(旧鉄道院123)。もともとは大阪—神戸の鉄道開通で使用された。ハブ3号客車とともに、加悦SL広場で静態保存中。
※タイトルの「複元」は「復元」の誤植
【四国鉄道無煙化完成記念】高松
高松駅で1970年に発行された急行券です。

▲C58
姿を消した蒸気機関車
明治22年5月、讃岐 鉄道が多度津を起点に丸亀〜琴平間を開業したのが四国鉄道のはじまり。最初は60形式の蒸気
機関車が明治末年まで走った。大正10年には5400形式、昭和10年には8620形式、そして、C11、C12、C58形式などが登場した。
昭和31年ごろの蒸気機関車黄金時代には、四国で136両が山野を走ったが、昭和45年4月1日のダイヤ改正から完全に姿を消してしまった。
(え・高松市栗林小学校4年 香川朋紀君)
以上、原文ママ

▲C58
姿を消した蒸気機関車
明治22年5月、讃岐 鉄道が多度津を起点に丸亀〜琴平間を開業したのが四国鉄道のはじまり。最初は60形式の蒸気
機関車が明治末年まで走った。大正10年には5400形式、昭和10年には8620形式、そして、C11、C12、C58形式などが登場した。
昭和31年ごろの蒸気機関車黄金時代には、四国で136両が山野を走ったが、昭和45年4月1日のダイヤ改正から完全に姿を消してしまった。
(え・高松市栗林小学校4年 香川朋紀君)
以上、原文ママ
【さよならC62】岡山
岡山鉄道管理局が1969年から70年にかけて発行した急行券です。

▲三重連蒸気機関車D51(1969・9)
伯備線新見一足立間にみられる全国でもただひとつのD51型三重連
布原信号場を午前9時16分に発車、鉱石専用列車をひいて急勾配を登る。国鉄近代化のかげに次第に姿を消して行く
蒸気機関車の中にあって、ファンの人気を集めている。
D51型蒸気機関車は昭和14年に登場、約30年間全国の主要幹線で活躍していた。

▲さょうならC62(1970・8)
つばめ・はと・かもめ・はやぶさ……と、かってほとんどの特急を引いて山陽本線を驀進したC62は、いま中国地方では、呉線を走る急行安芸にその名残りをとどめている。
宮島の赤い鳥居を配したヘッドマ一クをつけ、瀬戸の青い海、緑の島々に映えながら走る真っ黒なC62の巨体は、まさしく美しい日本の情景の一つであろう。
呉線電化で、まもなく去りゆく運命のC62は、きょうも人生の哀歌を乗せ、多くのドラマを生んで走る。その日がくるまで、ひたすらに……

▲栄光の名機C62(1970・8)
戦後の旅客用機関車の不足を補うため、昭和23年 貨物用のD52を改造して誕生した蒸気機関車がC62である。
C62は、1750mmの大動輪に極大のボイラーを搭載した、日本最大の旅客用蒸気機関車で、当時栄光のマンモス機関車と、もてはやされた。
東海道本線・山陽本線の幹線で大活躍し、特にC62に牽引された特急つばめは、ヘッドマークの飛翔するつばめのスマートさとあいまって、多くの人々に愛され、親しまれた。
電化でまもなく去りゆく運命のC62は全国で現在9両が活躍している。

▲C62(1970・8)
明治5年、 鉄道が始めて新橋一横浜間に開通して以来、蒸気機関車はいつも日本人の精神のよりどころであった。
白い蒸気を吐き、黒い煙を噴き出して一生懸命走る蒸気機関車の姿は、あまりにも人間の姿に似ているように感じられた。
今また、C62が去ろうとしており、そのうち蒸気機関車は、日本からまったく姿を消すであろう。
しかし、永遠に、その姿は人々の心に残り、その勇壮な様は人々の口に語りつがれるに違いない。
(以上、原文のまま)

▲三重連蒸気機関車D51(1969・9)
伯備線新見一足立間にみられる全国でもただひとつのD51型三重連
布原信号場を午前9時16分に発車、鉱石専用列車をひいて急勾配を登る。国鉄近代化のかげに次第に姿を消して行く
蒸気機関車の中にあって、ファンの人気を集めている。
D51型蒸気機関車は昭和14年に登場、約30年間全国の主要幹線で活躍していた。

▲さょうならC62(1970・8)
つばめ・はと・かもめ・はやぶさ……と、かってほとんどの特急を引いて山陽本線を驀進したC62は、いま中国地方では、呉線を走る急行安芸にその名残りをとどめている。
宮島の赤い鳥居を配したヘッドマ一クをつけ、瀬戸の青い海、緑の島々に映えながら走る真っ黒なC62の巨体は、まさしく美しい日本の情景の一つであろう。
呉線電化で、まもなく去りゆく運命のC62は、きょうも人生の哀歌を乗せ、多くのドラマを生んで走る。その日がくるまで、ひたすらに……

▲栄光の名機C62(1970・8)
戦後の旅客用機関車の不足を補うため、昭和23年 貨物用のD52を改造して誕生した蒸気機関車がC62である。
C62は、1750mmの大動輪に極大のボイラーを搭載した、日本最大の旅客用蒸気機関車で、当時栄光のマンモス機関車と、もてはやされた。
東海道本線・山陽本線の幹線で大活躍し、特にC62に牽引された特急つばめは、ヘッドマークの飛翔するつばめのスマートさとあいまって、多くの人々に愛され、親しまれた。
電化でまもなく去りゆく運命のC62は全国で現在9両が活躍している。

▲C62(1970・8)
明治5年、 鉄道が始めて新橋一横浜間に開通して以来、蒸気機関車はいつも日本人の精神のよりどころであった。
白い蒸気を吐き、黒い煙を噴き出して一生懸命走る蒸気機関車の姿は、あまりにも人間の姿に似ているように感じられた。
今また、C62が去ろうとしており、そのうち蒸気機関車は、日本からまったく姿を消すであろう。
しかし、永遠に、その姿は人々の心に残り、その勇壮な様は人々の口に語りつがれるに違いない。
(以上、原文のまま)
【第97回鉄道記念日】岐阜
1969年10月14日、岐阜駅で発行された第97回鉄道記念日の入場券です。

▲8900形式テンダ機関車
明治44年に米国アメリカンロコ会社から輸入された当時最強の旅客用機関車であった。わが国の機関車で最初の2C1(パシフィック形)の 軸配置と過熱蒸気を採用し、東海道、山陽線の幹線の主力旅客機として、又、当時誕生した特急列車のけん引機として活躍した。同形式36両。
軸配置 2C1
全長 19.5m
火格子面積 2.5m2
動輪径 1600mm
ボイラー圧力 12.7kg/cm2
運転整備重量 103.7t
動輪周出力 1040ps
最高速度 90km/h

▲5500形式テンダ幾関車
明治中期の代表的旅客用機関車で、明治27年英国ピーコック会社から輸入された。軽快な軸配置で高速性能がすぐれ、優雅な形態は機関車愛好者の人気の的で、当時の東海道線等の幹線の花形機関車であった。同形式72両。
軸配置 2B
全長 13.9m
火格子面積 1.3m2
動輪径 1400mm
ボイラー圧力 11.0kg/cm2
運転整備重量 55.8t
動輪周出力 510ps
最高速度 80km/h
(以上、原文ママ)

▲8900形式テンダ機関車
明治44年に米国アメリカンロコ会社から輸入された当時最強の旅客用機関車であった。わが国の機関車で最初の2C1(パシフィック形)の 軸配置と過熱蒸気を採用し、東海道、山陽線の幹線の主力旅客機として、又、当時誕生した特急列車のけん引機として活躍した。同形式36両。
軸配置 2C1
全長 19.5m
火格子面積 2.5m2
動輪径 1600mm
ボイラー圧力 12.7kg/cm2
運転整備重量 103.7t
動輪周出力 1040ps
最高速度 90km/h

▲5500形式テンダ幾関車
明治中期の代表的旅客用機関車で、明治27年英国ピーコック会社から輸入された。軽快な軸配置で高速性能がすぐれ、優雅な形態は機関車愛好者の人気の的で、当時の東海道線等の幹線の花形機関車であった。同形式72両。
軸配置 2B
全長 13.9m
火格子面積 1.3m2
動輪径 1400mm
ボイラー圧力 11.0kg/cm2
運転整備重量 55.8t
動輪周出力 510ps
最高速度 80km/h
(以上、原文ママ)
【さよなら蒸気機関車】松本

▲篠ノ井線さよなら蒸気機関車
篠ノ井線は、明治33年11月1日に篠ノ井・西条間、同35年6月15日に西条・松本間、同年12月15日に松本・塩尻間の開通により全通した。
この間同線に使用された蒸気機関車の形式は、2120、2400、9600、D50、D51で、中でも最強を誇ったD51形式が投入されたのは昭和12年であった。
当時の僚機3台のうち2台は廃車されたが、うち1台のD 5130号は鹿児島局出水機関区に現存、すでに月と地球の4往復分を走りなお活躍中。
長野局管内のD51の現役両数は7両である。
(写真説明) 篠ノ井線明科・潮沢間小日向地籍31キロ500メートル(上り25‰、R=302m)付近、865列車をけん引するD51機関車の勇姿。
D51形式テンダ機関車
軸配置 1D1
全長 19.7m
火格子面積 3.27m2
動輪径 1400mm
ボイラー圧力15kg/m2
運転整備重量126t
動輪周出力 1280PS
最高速度 85km/h
(原文ママ)
【さよなら雄鉄】雄別鉄道/釧路・阿寒
雄別鉄道廃止時の記念切符です。以下、原文のまま紹介します。

▲8700 番号8722 2C過熱テンダー機関車
8722号機関車は昭和32年前所有者(北海道拓殖鉄道)より譲り受け雄別炭礦の採堀石炭輸送のため約9年間活躍して来ましたが老朽のため昭和41年8月廃車いたしました。なお大正年間には国鉄線の急行列車としての花形機関車でありました。
●雄別鉄道の沿革
当社は大正10年に敷設、翌11年釧路〜雄別炭山間(44キロ)の営業を始めました。
爾来、雄別礦産出の石炭輸送と共に地域住民の足として地方開発に多大なる貢献をして今日に及んでいます。その間昭和26年埠頭線の買収、32年内燃動車を購入して客貨の分離、34年炭鉱部門から分離独立し、その後乗合、貸切自動車業の併営内燃機関車(D D13型)の埠頭線配備等順調な発展を続け、更に増送にこたえるため、43年鶴野線の竣功をみて将来を嘱望されましたが、39年をピーク(雄別炭875千トンを輸送)に出炭は下降線を辿り遂に本年2月末雄別炭鉱の閉山と運命を共にして半世紀に亘る永い歴史に終止符をうつことになります。(原文ママ)

▲形式C56 番号1001号
1001号機関車は第2次世界大戦勃起の昭和16年2月三菱重工(神戸造船所)より購入し石炭増産輸送力増大を目的として活躍した現有機関車では約29年の歴史を持つものである。

▲形式10型六輪連結タンク機関車 番号12号
この機関車は大正12年独乙オットライメルス会社より買入開業当時雄別炭山駅で入換機として活躍しましたが、その後一回り大型の100型機関車が入り昭和24年尺別鉄道に譲渡しました。

▲8700 番号8722 2C過熱テンダー機関車
8722号機関車は昭和32年前所有者(北海道拓殖鉄道)より譲り受け雄別炭礦の採堀石炭輸送のため約9年間活躍して来ましたが老朽のため昭和41年8月廃車いたしました。なお大正年間には国鉄線の急行列車としての花形機関車でありました。
●雄別鉄道の沿革
当社は大正10年に敷設、翌11年釧路〜雄別炭山間(44キロ)の営業を始めました。
爾来、雄別礦産出の石炭輸送と共に地域住民の足として地方開発に多大なる貢献をして今日に及んでいます。その間昭和26年埠頭線の買収、32年内燃動車を購入して客貨の分離、34年炭鉱部門から分離独立し、その後乗合、貸切自動車業の併営内燃機関車(D D13型)の埠頭線配備等順調な発展を続け、更に増送にこたえるため、43年鶴野線の竣功をみて将来を嘱望されましたが、39年をピーク(雄別炭875千トンを輸送)に出炭は下降線を辿り遂に本年2月末雄別炭鉱の閉山と運命を共にして半世紀に亘る永い歴史に終止符をうつことになります。(原文ママ)

▲形式C56 番号1001号
1001号機関車は第2次世界大戦勃起の昭和16年2月三菱重工(神戸造船所)より購入し石炭増産輸送力増大を目的として活躍した現有機関車では約29年の歴史を持つものである。

▲形式10型六輪連結タンク機関車 番号12号
この機関車は大正12年独乙オットライメルス会社より買入開業当時雄別炭山駅で入換機として活躍しましたが、その後一回り大型の100型機関車が入り昭和24年尺別鉄道に譲渡しました。
【さよなら蒸気機関車】水戸
水戸駅で1969年に発行された入場券です。

▲D51形式
貨物列車と勾配線区用として昭和11年から昭和18年ころまでに1115両新製された。水戸管内では、常磐綿および水戸線の貨物列車用として活躍した。
<D51424号>
日本車両 昭和15年7月18日製造 8月8日使用開始
走行キロ 182万8212.4キロ(1969年12月31現在)
配置歴
昭和15年8月8日 函館
函館本線(函館一長万部) 客車・貨物両用に使用
昭和20年9月12日 常磐線(長町—水戸)
昭和42年9月20日 常磐線(長町—水戸)

▲C12形式
国鉄と民間工場の協同設計により、簡易線区用として昭和7年にはじめて製造された。水戸管内では、ほとんどが入換用として活躍し、原ノ町駅での入換が最も長かった。
<C12187号>
日本車両 昭和13年7月27日製造 同日使用開始
走行キロ 111万5612.6キロ(1969年12月31現在)
配置歴
昭和13年8月2日 東唐津
昭和13年9月12日 豊後森
昭和18年10月8日 宮崎
昭和39年6月2日 鹿児島
昭和42年7月9日 水戸

▲8620形式
大正3年から昭和4年にかけて672両製造された。SL全盛時代であった昭和30年には、水戸管内に23両が配置され、水郡綿、磐越東線および平、高萩付近の入換に活躍した。この8630は、昭和43年3月26日の国鉄常務会で動態保存されることが決定。梅小路蒸気機関車館から京都 鉄道博物館へ移籍。
<8630号>
大阪汽車 大正3年6月27日製造 同日使用開始
走行キロ 312万565.0キロ(1969年12月31現在)
配置歴
大正3年 三田尻
大正5年10月 山北
大正8年7月19日 沼津
大正9年1月29日 宇都宮
大正10年4月14日 白河
大正13年2月21日 大宮
大正15年12月18日 千葉
昭和5年5月7日 成田
昭和9年11月23日 安房北条
昭和14年 5 月30日 常陸大子
昭和27年12月18日 平

▲D51形式
貨物列車と勾配線区用として昭和11年から昭和18年ころまでに1115両新製された。水戸管内では、常磐綿および水戸線の貨物列車用として活躍した。
<D51424号>
日本車両 昭和15年7月18日製造 8月8日使用開始
走行キロ 182万8212.4キロ(1969年12月31現在)
配置歴
昭和15年8月8日 函館
函館本線(函館一長万部) 客車・貨物両用に使用
昭和20年9月12日 常磐線(長町—水戸)
昭和42年9月20日 常磐線(長町—水戸)

▲C12形式
国鉄と民間工場の協同設計により、簡易線区用として昭和7年にはじめて製造された。水戸管内では、ほとんどが入換用として活躍し、原ノ町駅での入換が最も長かった。
<C12187号>
日本車両 昭和13年7月27日製造 同日使用開始
走行キロ 111万5612.6キロ(1969年12月31現在)
配置歴
昭和13年8月2日 東唐津
昭和13年9月12日 豊後森
昭和18年10月8日 宮崎
昭和39年6月2日 鹿児島
昭和42年7月9日 水戸

▲8620形式
大正3年から昭和4年にかけて672両製造された。SL全盛時代であった昭和30年には、水戸管内に23両が配置され、水郡綿、磐越東線および平、高萩付近の入換に活躍した。この8630は、昭和43年3月26日の国鉄常務会で動態保存されることが決定。梅小路蒸気機関車館から京都 鉄道博物館へ移籍。
<8630号>
大阪汽車 大正3年6月27日製造 同日使用開始
走行キロ 312万565.0キロ(1969年12月31現在)
配置歴
大正3年 三田尻
大正5年10月 山北
大正8年7月19日 沼津
大正9年1月29日 宇都宮
大正10年4月14日 白河
大正13年2月21日 大宮
大正15年12月18日 千葉
昭和5年5月7日 成田
昭和9年11月23日 安房北条
昭和14年 5 月30日 常陸大子
昭和27年12月18日 平
【蒸気機関車シリーズ】札幌、小樽
1969年、毎月1枚ずつ、札幌鉄道管理局から発行された「蒸気機関車シリーズ」の急行券です。
以下、番号順に解説を原文のまま引用しておきます。

▲(1)義経 1Cテンダ機関車
北海道の幌内炭山の石炭を運ぶため、開拓使が経営した幌内鉄道の手宮一札幌間が明治13年11月28日に開業(日本で3番目)したときに運転された機関車は、1号義経と2号辨慶であった。
義経号はアメリカのポーター社製でカウ・キャッチッヤー(牛除け)やベルを付けたウエスタン・スタイルであると共に空気制動機などの新らしい設備を持ち、運転整備のときの全重量約30トンの当時としては優秀な機関車であった。
明治22年12月に北海道炭砿鉄道に払下げられて石炭輸送などに活躍、明治39年10月には国有鉄道に買収され、7100形、7105号となり新線の建設に使用された。
大正12年5月に大阪府堺市の梅鉢鉄工所に譲渡されて働いていた。鉄道80年に当る昭和27年に国鉄へ寄贈されて、鷹取工場で復元され、現在同工場に準鉄道記念物として保存されている。(原文ママ)

▲(2)1Cテンダ機関車 大勝号
“大勝号” は北海道炭砿鉄道が日清戦争の際に、石炭増送のため同社の技術陣によって設計し、手宮工場で製造された、道産第1号、国産第2号機関車であった。
これは義経及び弁慶号の予備台粋が1両分あったので、それを利用し、従って主要寸法は義経号とほぼ同じであった。この完成は明治28年10月で、国内は戦争の勝利に湧いていたので “大勝号” と命名された。
これの形式はト、番号は30で、運転整備のときの重量は26.47tであった。
完成後は手宮で入換に使用され、明治39年10月には国に買収されて、7150形、7150となり、手宮や滝川で入換に使用されていた。
大正7年に北海選炭砿汽船株式会社に譲渡されて、炭坑の充填用火山灰採取線で働き、昭和初期に一時休車、昭和16年に再起して同社の煉炭工場で使用され、戦後廃車された。
昭和29年に同社から国有 鉄道に寄贈され、苗穂工場で復元、現在は鉄道準記念物に指定されて小樽市手宮の北海道鉄道記念館に陳列されている。(原文ママ)

▲(3)1D過熱テンダ機関車 9633
9600形蒸気機関車は日本の幹線鉄道が時代の要求によって国有化された後に、主力となる 貨物列車用機関車として過熱蒸気を使用し、また当時論議されていた広軌(1435mm)への改造も考慮されて、国産されたものであった。
これらは大正2年から同15年にかけて770両製造され、四国地方を除く全国で重宝に使用され、北海道では大正6年に19608、19612がはじめて倶知安に配置されて急行旅客列車を索引し、また室蘭本線で2400tの石炭列車を索引(※牽引の誤植)したのもこの形であった。
その後日華事変の際には約250両が1435mm軌間に改造されて大陸へ送られてしまった。
9633は大正3年11月に川崎造船所で製造、運転整備のときの全重量は87.9tであった。
これは完成後本州方面で使用されていたが昭和30年3月に小樽築港へ移って入換用などに使われ、昭和42年4月から放送されたNHKテレビ“旅路”には大正時代を代表する蒸気機関車として出演し、茶の間の人気者となった。(原文ママ)

▲(4)1D1過熱テンダ機関車 9908
9900形蒸気機関車は第1次世界大戦の終結によって、一時下降した貨物の輸送量が、大正10年頃から再び増加しはじめたのに対処して、強力な貨物列車用として生れたものであった。
これらの車軸配置は、かって明治30年に日本鉄道が常磐炭の輸送に当って、アメリカに注文した機関車が採用した形式で、そのために日本を代表する意味で “ミカド” 形と呼ばれたものである。
これらは大正12年から昭和6年までの間に380両が製造され、その形式称号は昭和3年の改正でD50形となったものである。
これらの用途は主要幹線の貨物列車や勾配線区で、北海道では大正13年に9908、9909の2両がはじめて函館に配置されて、急行旅客列車の牽引をしていた。
9908は大正12年に川崎造船所で製造、運転整備のときの重量は127.14tであった。
完成後は函館に配置され、昭和3年にD509と改番、その後小樽築港、黒松内、岩見沢を経て昭和8年から再び小樽築港に配置され、昭和25年に廃車された。(原文ママ)

▲(5)2C1過熱テンダ機関車 C55 30
C55形蒸気機関車は大正時代に駿足を誇ったC51形(18900形)に代る新鋭機として、昭和10年から製造され、総数62両が主として地方幹線の急行旅客列車に使用された。その最初の2両、C551、C552は小樽築港に配置されて函館本線の急行旅客列車を牽引した。
なお昭和のはじめ頃は航空機の発達に伴って、 鉄道でも車両の流線形化が世界的に取上げられ、国有鉄道では電気機関車、電車ディーゼル前車をはじめ蒸気機関車ではC53形の1両と当時新製中であったC55形の21両(C5520〜C5541)に流線型覆が取付けられた。
C55 30は流線型のうちの1両として、昭和11年に川崎車両で製造され、運転整備のときの全重量は113.04tであった。これはC5531、C5532と共に北海道へ配置され小樽築港と函館にいて函館本線にさっそうとした姿を現わした。
しかし点検と修繕に不便なことから、戦後に覆いは取外された。現在は旭川機関区に配置されている。(原文ママ)

▲(6)2C1過熱テンダ機関車 C57 201
C57形蒸気機関車はC55形に改良を加えた急行旅客列車用で、国有鉄道の蒸気機関車としては16kg/cm2の缶使用圧力をはじめて採用したものであった。
これらは昭和12年から同17年までの間に169両、昭和21—22年に32両、計201両が製造されて、当初は東海道、山陽、北陸、常磐などの各線、戦後は本州及び九州の地方幹線で使用され、北海道では昭和22年にC57 200、C57 201がはじめて小樽築港に配置された。
C57 201はこの形の最終機として昭和22年9月に三菱重工で製造、運転整備のときの全重量は116.15tであった。
これは完成後小樽築港に配属されおもに函館本線及び根室本線の急行旅客列車の牽引に当り、その後重油併燃装置を取付けて小樽・釧路間426.9km、旧狩勝越えのロング・ランを行って当時日本で最長の運転距離を記録したベテラン機関車の1両であった。
昭和43年9月から旭川へ移って函館、宗谷、石北などの各線で急行旅客列車などに使用されている。(原文ママ)

▲(7)1C1過熱テンダ機関車 C581
C58形蒸気機関車は日華事変の進展に伴って国内の客貨の動きが活溌になり、特に地方線区での輸送量が増加したことと、それらの線区で使用されていた9600形が大量に大陸へ送られたための補充として客貨両用に新製されたものであった。
これらは昭和13年から同19年の間に樺太のものを含めて382両、昭和21—22年に45両、計427両が製造されて全国的に使用され、北海道では昭和13年にC5835、C5836がはじめて室蘭に配置された。
戦争の末期には25両が1000mm軌間に改造されてタイなどへ送られたが、大半のものは輸送中に船舶と共に沈没したということである。C581はこの形の1号機として昭和13年8月に汽車会社で製造、運転整備のときの全重量は100.2tであった。
これは完成後新鶴見に配置されて試用の後、千葉へ移って総武線で使用され、昭和25年5月30日から北見に配属されて石北、池北、釧網線などの各線で客貨両用に使用されている。(原文ママ)

▲(8)1D1過熱テンダ機関車 D51 237
D51形蒸気機関車は昭和10年頃から 貨物の輸送量が増加したことに対処して新製された。大形の貨物列車又は、勾配線用機関車で、昭和11年から昭和20年の間に製造された総数は1115両という、1形式では最高のものとなった。
これらは全国の主要線区で活躍し、北海道にはD516、D517の2両が昭和11年に小樽築港に配置されて函館本線で使用された。
D51237は当時、急激に増加した輸送需要と、外地へ転出した機関車の補充などのために、国有 鉄道の工場でも蒸気機関車が製造されることになって、苗穂工場で製造した第1号機として昭和13年10月25日に落成し、これの台枠前部鋳物に関係者の名前を刻んだボルトが打込まれている。
運転整備のときの重量は125.10tである。完成後は岩見沢に配置されて石炭輸送に使用され、昭和18年3月から函館に移り、現在は長万部機関区にいて函館本線、室蘭本線で働いている。(原文ママ)

▲(9)1D1過熱テンダ機関車D52 468
D52形蒸気機関車は第2次世界大戦の拡大と共に貨物輸送量が増加し、そのために強力な貨物列車用機関車が要求され、他面極度に資材を節約した代表的な戦時設計として生れた、日本で最強のものであった。
これらは昭和18年から製造されたが、終戦時には予定の両数に達せず、製造中のものは昭和21年3月までに完成したもの(を)以て打切った。そのために最終番号のものはD52468 となったが実数は285両であった。
これらは戦争末期の主要幹線で使用され、北海道ではD5221など30両が長万部に配置されて函館本線及び室蘭本線の長大貨物列車を牽引して活躍した。 高速バスを予約
D52 468 はこの形の最終機として昭和21年2月に三菱造船所で製造、運転整備のときの全重量は136.89tであった。
これは完成後沼津に配置されて東海道本線の 貨物列車を牽引し、昭和31年11月に姫路へ移って山陽本線で使用され、昭和35年10月から五稜郭でおもに五稜郭・東室蘭間の貨物列車に使用されている。(原文ママ)

▲(10)Bタンク機関車 B201
B20形蒸気機関車は日本が第2次世界大戦に突入した頃、資材の節約を図り、作業工程を簡略にするなどの目的を以て設計された、いわゆる戦時形小形機関車の一つであった。
これらは機関区で検査や修繕をする機関車を移動させる場合に、転車台などの長さに制限があるため、特に小形の機関車を必要としたので、戦争末期に製造され、昭和20—21年に15両が完成した。
B201はこの形の1号機として昭和20年3月に国有 鉄道郡山工場(当時運輸通信省鉄道総局郡山工機部)で製造、運転整備のときの全重量は20.3t、当時新製された国有鉄道の蒸気機関車としては最小のものであった。
これは完成後盛岡工場で使用され、昭和25年9月に小樽築港へ移って同機関区の入換作業に使用されていた。
しかし戦時設計であったために老朽化したので昭和42年10月に用途廃止となり、処分は保留されたまま同機関区に保存されている。(原文ママ)

▲(11)2C2過熱テンダ機関車C62 2
C62形蒸気機関車は戦後の日本の復興が進むにつれて旅客列申用機関車が不足したので、当時余り気昧となっていた貨物列車用機関車を連合軍の指示で改造したものの一つであった。
これらはD52形の缶を利用し、自動給炭機を備えた日本で最大の蒸気機関車で、昭和23〜24年に49両製造され、東海道及び山陽本線で使用された。
C622はD52455を昭和23年5月に日立製作所で改造、運転整備のときの全重量は145.17tであった。これは完成後糸崎で山陽本線の急行旅客列車などに使用され、昭和25年8月に宮原へ移ってもっぱら特別急行列車 “つばめ” の牽引に当っていた。
そのためC6229と共に前頭の煙除板には流れるように飛ぶつばめの姿が取付けられて、多くの人達から親まれたのであった。
その後幹線の電化が進んだので、これを地方幹線の急行旅客列車に使用するために働輸上重量を軽くして、昭和32年2月から小樽築港に配置し、函館本線の勾配区間である函館・小樽築港間で使用している。(原文ママ)

▲(12)1D2過熱テンダ機関車D611
D61形蒸気機関車は戦後日本の国有 鉄道で主要幹線の電化が進められた結果、それらの線区で従来使用されていた 貨物列車用機関車が余ってきたので、従台車を改造して2 軸台車として機関車の動輪上重量を軽くし、比較的に線路規格の低い地方の支線区でも使用できるようにしたものの一つであった。
これらはD51形を改造して昭和35〜36年の間に6両が完成して、そのすべてが北海道で使用されている。
なおこの形式は国有鉄道の蒸気機関車としては最後に定められたものであった。
D611はこの形の1号機として昭和35年1月に国有鉄道浜松工場でD51640を改造、運転整備のときの全重量は127.55tであった。これは完成後に豪雪地帯で使用することとなったため、その後に改造した5両と同様の密閉式運転室となった。
昭和35年6月に留萌に配置されて留萌本線及び羽横線の貨物列車の牽引に活躍している。(原文ママ)
以下、番号順に解説を原文のまま引用しておきます。

▲(1)義経 1Cテンダ機関車
北海道の幌内炭山の石炭を運ぶため、開拓使が経営した幌内鉄道の手宮一札幌間が明治13年11月28日に開業(日本で3番目)したときに運転された機関車は、1号義経と2号辨慶であった。
義経号はアメリカのポーター社製でカウ・キャッチッヤー(牛除け)やベルを付けたウエスタン・スタイルであると共に空気制動機などの新らしい設備を持ち、運転整備のときの全重量約30トンの当時としては優秀な機関車であった。
明治22年12月に北海道炭砿鉄道に払下げられて石炭輸送などに活躍、明治39年10月には国有鉄道に買収され、7100形、7105号となり新線の建設に使用された。
大正12年5月に大阪府堺市の梅鉢鉄工所に譲渡されて働いていた。鉄道80年に当る昭和27年に国鉄へ寄贈されて、鷹取工場で復元され、現在同工場に準鉄道記念物として保存されている。(原文ママ)

▲(2)1Cテンダ機関車 大勝号
“大勝号” は北海道炭砿鉄道が日清戦争の際に、石炭増送のため同社の技術陣によって設計し、手宮工場で製造された、道産第1号、国産第2号機関車であった。
これは義経及び弁慶号の予備台粋が1両分あったので、それを利用し、従って主要寸法は義経号とほぼ同じであった。この完成は明治28年10月で、国内は戦争の勝利に湧いていたので “大勝号” と命名された。
これの形式はト、番号は30で、運転整備のときの重量は26.47tであった。
完成後は手宮で入換に使用され、明治39年10月には国に買収されて、7150形、7150となり、手宮や滝川で入換に使用されていた。
大正7年に北海選炭砿汽船株式会社に譲渡されて、炭坑の充填用火山灰採取線で働き、昭和初期に一時休車、昭和16年に再起して同社の煉炭工場で使用され、戦後廃車された。
昭和29年に同社から国有 鉄道に寄贈され、苗穂工場で復元、現在は鉄道準記念物に指定されて小樽市手宮の北海道鉄道記念館に陳列されている。(原文ママ)

▲(3)1D過熱テンダ機関車 9633
9600形蒸気機関車は日本の幹線鉄道が時代の要求によって国有化された後に、主力となる 貨物列車用機関車として過熱蒸気を使用し、また当時論議されていた広軌(1435mm)への改造も考慮されて、国産されたものであった。
これらは大正2年から同15年にかけて770両製造され、四国地方を除く全国で重宝に使用され、北海道では大正6年に19608、19612がはじめて倶知安に配置されて急行旅客列車を索引し、また室蘭本線で2400tの石炭列車を索引(※牽引の誤植)したのもこの形であった。
その後日華事変の際には約250両が1435mm軌間に改造されて大陸へ送られてしまった。
9633は大正3年11月に川崎造船所で製造、運転整備のときの全重量は87.9tであった。
これは完成後本州方面で使用されていたが昭和30年3月に小樽築港へ移って入換用などに使われ、昭和42年4月から放送されたNHKテレビ“旅路”には大正時代を代表する蒸気機関車として出演し、茶の間の人気者となった。(原文ママ)

▲(4)1D1過熱テンダ機関車 9908
9900形蒸気機関車は第1次世界大戦の終結によって、一時下降した貨物の輸送量が、大正10年頃から再び増加しはじめたのに対処して、強力な貨物列車用として生れたものであった。
これらの車軸配置は、かって明治30年に日本鉄道が常磐炭の輸送に当って、アメリカに注文した機関車が採用した形式で、そのために日本を代表する意味で “ミカド” 形と呼ばれたものである。
これらは大正12年から昭和6年までの間に380両が製造され、その形式称号は昭和3年の改正でD50形となったものである。
これらの用途は主要幹線の貨物列車や勾配線区で、北海道では大正13年に9908、9909の2両がはじめて函館に配置されて、急行旅客列車の牽引をしていた。
9908は大正12年に川崎造船所で製造、運転整備のときの重量は127.14tであった。
完成後は函館に配置され、昭和3年にD509と改番、その後小樽築港、黒松内、岩見沢を経て昭和8年から再び小樽築港に配置され、昭和25年に廃車された。(原文ママ)

▲(5)2C1過熱テンダ機関車 C55 30
C55形蒸気機関車は大正時代に駿足を誇ったC51形(18900形)に代る新鋭機として、昭和10年から製造され、総数62両が主として地方幹線の急行旅客列車に使用された。その最初の2両、C551、C552は小樽築港に配置されて函館本線の急行旅客列車を牽引した。
なお昭和のはじめ頃は航空機の発達に伴って、 鉄道でも車両の流線形化が世界的に取上げられ、国有鉄道では電気機関車、電車ディーゼル前車をはじめ蒸気機関車ではC53形の1両と当時新製中であったC55形の21両(C5520〜C5541)に流線型覆が取付けられた。
C55 30は流線型のうちの1両として、昭和11年に川崎車両で製造され、運転整備のときの全重量は113.04tであった。これはC5531、C5532と共に北海道へ配置され小樽築港と函館にいて函館本線にさっそうとした姿を現わした。
しかし点検と修繕に不便なことから、戦後に覆いは取外された。現在は旭川機関区に配置されている。(原文ママ)

▲(6)2C1過熱テンダ機関車 C57 201
C57形蒸気機関車はC55形に改良を加えた急行旅客列車用で、国有鉄道の蒸気機関車としては16kg/cm2の缶使用圧力をはじめて採用したものであった。
これらは昭和12年から同17年までの間に169両、昭和21—22年に32両、計201両が製造されて、当初は東海道、山陽、北陸、常磐などの各線、戦後は本州及び九州の地方幹線で使用され、北海道では昭和22年にC57 200、C57 201がはじめて小樽築港に配置された。
C57 201はこの形の最終機として昭和22年9月に三菱重工で製造、運転整備のときの全重量は116.15tであった。
これは完成後小樽築港に配属されおもに函館本線及び根室本線の急行旅客列車の牽引に当り、その後重油併燃装置を取付けて小樽・釧路間426.9km、旧狩勝越えのロング・ランを行って当時日本で最長の運転距離を記録したベテラン機関車の1両であった。
昭和43年9月から旭川へ移って函館、宗谷、石北などの各線で急行旅客列車などに使用されている。(原文ママ)

▲(7)1C1過熱テンダ機関車 C581
C58形蒸気機関車は日華事変の進展に伴って国内の客貨の動きが活溌になり、特に地方線区での輸送量が増加したことと、それらの線区で使用されていた9600形が大量に大陸へ送られたための補充として客貨両用に新製されたものであった。
これらは昭和13年から同19年の間に樺太のものを含めて382両、昭和21—22年に45両、計427両が製造されて全国的に使用され、北海道では昭和13年にC5835、C5836がはじめて室蘭に配置された。
戦争の末期には25両が1000mm軌間に改造されてタイなどへ送られたが、大半のものは輸送中に船舶と共に沈没したということである。C581はこの形の1号機として昭和13年8月に汽車会社で製造、運転整備のときの全重量は100.2tであった。
これは完成後新鶴見に配置されて試用の後、千葉へ移って総武線で使用され、昭和25年5月30日から北見に配属されて石北、池北、釧網線などの各線で客貨両用に使用されている。(原文ママ)

▲(8)1D1過熱テンダ機関車 D51 237
D51形蒸気機関車は昭和10年頃から 貨物の輸送量が増加したことに対処して新製された。大形の貨物列車又は、勾配線用機関車で、昭和11年から昭和20年の間に製造された総数は1115両という、1形式では最高のものとなった。
これらは全国の主要線区で活躍し、北海道にはD516、D517の2両が昭和11年に小樽築港に配置されて函館本線で使用された。
D51237は当時、急激に増加した輸送需要と、外地へ転出した機関車の補充などのために、国有 鉄道の工場でも蒸気機関車が製造されることになって、苗穂工場で製造した第1号機として昭和13年10月25日に落成し、これの台枠前部鋳物に関係者の名前を刻んだボルトが打込まれている。
運転整備のときの重量は125.10tである。完成後は岩見沢に配置されて石炭輸送に使用され、昭和18年3月から函館に移り、現在は長万部機関区にいて函館本線、室蘭本線で働いている。(原文ママ)

▲(9)1D1過熱テンダ機関車D52 468
D52形蒸気機関車は第2次世界大戦の拡大と共に貨物輸送量が増加し、そのために強力な貨物列車用機関車が要求され、他面極度に資材を節約した代表的な戦時設計として生れた、日本で最強のものであった。
これらは昭和18年から製造されたが、終戦時には予定の両数に達せず、製造中のものは昭和21年3月までに完成したもの(を)以て打切った。そのために最終番号のものはD52468 となったが実数は285両であった。
これらは戦争末期の主要幹線で使用され、北海道ではD5221など30両が長万部に配置されて函館本線及び室蘭本線の長大貨物列車を牽引して活躍した。 高速バスを予約
D52 468 はこの形の最終機として昭和21年2月に三菱造船所で製造、運転整備のときの全重量は136.89tであった。
これは完成後沼津に配置されて東海道本線の 貨物列車を牽引し、昭和31年11月に姫路へ移って山陽本線で使用され、昭和35年10月から五稜郭でおもに五稜郭・東室蘭間の貨物列車に使用されている。(原文ママ)

▲(10)Bタンク機関車 B201
B20形蒸気機関車は日本が第2次世界大戦に突入した頃、資材の節約を図り、作業工程を簡略にするなどの目的を以て設計された、いわゆる戦時形小形機関車の一つであった。
これらは機関区で検査や修繕をする機関車を移動させる場合に、転車台などの長さに制限があるため、特に小形の機関車を必要としたので、戦争末期に製造され、昭和20—21年に15両が完成した。
B201はこの形の1号機として昭和20年3月に国有 鉄道郡山工場(当時運輸通信省鉄道総局郡山工機部)で製造、運転整備のときの全重量は20.3t、当時新製された国有鉄道の蒸気機関車としては最小のものであった。
これは完成後盛岡工場で使用され、昭和25年9月に小樽築港へ移って同機関区の入換作業に使用されていた。
しかし戦時設計であったために老朽化したので昭和42年10月に用途廃止となり、処分は保留されたまま同機関区に保存されている。(原文ママ)

▲(11)2C2過熱テンダ機関車C62 2
C62形蒸気機関車は戦後の日本の復興が進むにつれて旅客列申用機関車が不足したので、当時余り気昧となっていた貨物列車用機関車を連合軍の指示で改造したものの一つであった。
これらはD52形の缶を利用し、自動給炭機を備えた日本で最大の蒸気機関車で、昭和23〜24年に49両製造され、東海道及び山陽本線で使用された。
C622はD52455を昭和23年5月に日立製作所で改造、運転整備のときの全重量は145.17tであった。これは完成後糸崎で山陽本線の急行旅客列車などに使用され、昭和25年8月に宮原へ移ってもっぱら特別急行列車 “つばめ” の牽引に当っていた。
そのためC6229と共に前頭の煙除板には流れるように飛ぶつばめの姿が取付けられて、多くの人達から親まれたのであった。
その後幹線の電化が進んだので、これを地方幹線の急行旅客列車に使用するために働輸上重量を軽くして、昭和32年2月から小樽築港に配置し、函館本線の勾配区間である函館・小樽築港間で使用している。(原文ママ)

▲(12)1D2過熱テンダ機関車D611
D61形蒸気機関車は戦後日本の国有 鉄道で主要幹線の電化が進められた結果、それらの線区で従来使用されていた 貨物列車用機関車が余ってきたので、従台車を改造して2 軸台車として機関車の動輪上重量を軽くし、比較的に線路規格の低い地方の支線区でも使用できるようにしたものの一つであった。
これらはD51形を改造して昭和35〜36年の間に6両が完成して、そのすべてが北海道で使用されている。
なおこの形式は国有鉄道の蒸気機関車としては最後に定められたものであった。
D611はこの形の1号機として昭和35年1月に国有鉄道浜松工場でD51640を改造、運転整備のときの全重量は127.55tであった。これは完成後に豪雪地帯で使用することとなったため、その後に改造した5両と同様の密閉式運転室となった。
昭和35年6月に留萌に配置されて留萌本線及び羽横線の貨物列車の牽引に活躍している。(原文ママ)
【四国鉄道開業80周年】高松
高松駅で1969年5月23日に発行された記念切符。

▲四国鉄道開業80周年
四国に初めて蒸気機関車が登場したのは明治22年5月23日。讃岐 鉄道会社が丸亀〜琴平間で営業開始したのが最初。
高松〜多度津の開通は明治30年2月、予讃線は昭和20年6月、土讃線は昭和26年6月、高徳・牟岐線は昭和17年7月にそれぞれ開通しています。

▲四国鉄道開業80周年
四国に初めて蒸気機関車が登場したのは明治22年5月23日。讃岐 鉄道会社が丸亀〜琴平間で営業開始したのが最初。
高松〜多度津の開通は明治30年2月、予讃線は昭和20年6月、土讃線は昭和26年6月、高徳・牟岐線は昭和17年7月にそれぞれ開通しています。
【さよなら蒸気機関車】千葉
1969年9月30日に、千葉 鉄道管理局から発行された「さよなら蒸気機関車」記念入場券3枚セット。

▲C57形式テンダー機関車
C57形式が初めて千葉管内に配置されたのは、昭和24年(1949年)。それまでC58で牽引していた主要な客車列車に使用し、その高性能ぶりが乗務員に喜ばれました。
大網一土気間にある25/1000(1000m進んで25m上がる)の上り勾配では、ボギー客車7両が定数だったため、8両以上の場合は、後部補機が使われました。
●C5771号の配置歴
昭和13年9月2日 川崎車両で新製
昭和13年9月12日 水戸
昭和19年10月11日 平
昭和24年12月16日 尾久
昭和39年3月1日 田端
昭和40年3月20日 佐倉
昭和44年3月16日 新小岩
昭和44年7月12日 佐倉
走行キロ 270万9100.5km(1969年8月31日現在)

▲8620形式テンダー機関車
8620形式は、C57、C58形式の出現まで、9600形式とともに、国産の代表的な機関車として長く王座にありました。最盛期の昭和12年には、千葉管内配置110両中70両を占め、総武線、房総線の旅客、貨物列車の主力として活躍しました。
●28646号の配置歴
大正8年6月10日 汽車車両で新製
大正8年7月25日 青森
大正8年8月8日 福島
昭和2年12月28日 仙台
昭和9年11月29日 原ノ町
昭和12年6月5日 一の関
昭和17年12月20日 仙台
昭和18年11月15日 成田
昭和20年12月27日 八王子
昭和41年8月1日 佐倉 高速バスを予約
走行キロ 291万8941.1km(1969年8月31日現在)

▲C58形式テンダー機関車
C58形式は、昭和22年には管内配置108両中30両を占めました。C57の配置で一時滅少したものの、昭和41年には34両となり、8620形式についで、管内で両数の多かった機関車。
●C58305号の配置歴
昭和16年11月7日 川崎車両で新製
昭和22年9月15日 一の関
(その後、一の関の水害により履歴不明)
昭和36年3月12日 佐倉
走行キロ 163万8351.6km(1969年8月31日現在)

▲C57形式テンダー機関車
C57形式が初めて千葉管内に配置されたのは、昭和24年(1949年)。それまでC58で牽引していた主要な客車列車に使用し、その高性能ぶりが乗務員に喜ばれました。
大網一土気間にある25/1000(1000m進んで25m上がる)の上り勾配では、ボギー客車7両が定数だったため、8両以上の場合は、後部補機が使われました。
●C5771号の配置歴
昭和13年9月2日 川崎車両で新製
昭和13年9月12日 水戸
昭和19年10月11日 平
昭和24年12月16日 尾久
昭和39年3月1日 田端
昭和40年3月20日 佐倉
昭和44年3月16日 新小岩
昭和44年7月12日 佐倉
走行キロ 270万9100.5km(1969年8月31日現在)

▲8620形式テンダー機関車
8620形式は、C57、C58形式の出現まで、9600形式とともに、国産の代表的な機関車として長く王座にありました。最盛期の昭和12年には、千葉管内配置110両中70両を占め、総武線、房総線の旅客、貨物列車の主力として活躍しました。
●28646号の配置歴
大正8年6月10日 汽車車両で新製
大正8年7月25日 青森
大正8年8月8日 福島
昭和2年12月28日 仙台
昭和9年11月29日 原ノ町
昭和12年6月5日 一の関
昭和17年12月20日 仙台
昭和18年11月15日 成田
昭和20年12月27日 八王子
昭和41年8月1日 佐倉 高速バスを予約
走行キロ 291万8941.1km(1969年8月31日現在)

▲C58形式テンダー機関車
C58形式は、昭和22年には管内配置108両中30両を占めました。C57の配置で一時滅少したものの、昭和41年には34両となり、8620形式についで、管内で両数の多かった機関車。
●C58305号の配置歴
昭和16年11月7日 川崎車両で新製
昭和22年9月15日 一の関
(その後、一の関の水害により履歴不明)
昭和36年3月12日 佐倉
走行キロ 163万8351.6km(1969年8月31日現在)