オスプレイへの道
「垂直離着陸機」の開発史

XFV-1
XFV-1(『ポピュラ・サイエンス』1954年6月号)


 陸上自衛隊への採用が決まっている「オスプレイ」は、1989年3月19日、初飛行に成功しました。
 オスプレイはアメリカのベル・ヘリコプターとボーイング・ヘリコプターズが共同開発し、これまでに375機ほどが製造されています。この30年で、累計45万時間以上の飛行時間を重ねました。

 オスプレイは、滑走路がなくても飛び立てる「垂直離着陸機(VTOL機)」です。ヘリコプターのように垂直に離着陸できる飛行機のことで、これにヘリコプターは含まれません。
 そこで、今回は、垂直離着陸機の開発史をまとめておきます。

オスプレイ
ハワイを飛ぶオスプレイ


 垂直離着陸機の歴史は、1928年にニコラ・テスラが発明したフリーバーから始まるといわれます。
 こちら、グーグルパテントに掲載された特許番号US1655114Aの画像です。

ニコラ・テスラのフリーバー
ニコラ・テスラのフリーバー
(色付き部分が操縦士)


 画像を見ればわかる通り、最初はヘリコプターとして上昇し、その後、ローターを傾けることで横移動に入ります。
 オスプレイもそうですが、これをティルトローターといいます(ティルトはローターを機体に対して傾けること)。もともとは「転換式航空機(コンバーチブル・エアクラフト)」と呼ばれました。

 第二次世界大戦中、ドイツのハインリヒ・フォッケが設計した実験機Fa269もこのタイプで、ローターの向きが変わります。しかし、これは技術的な難易度が非常に高いものでした。

 1949年、ニューヨークの航空科学学会(Institute of Aeronautical Science)で、世界初の「転換式航空機会議」が開催され、ここで技術的な検討が行われました。
 アメリカでは、以後、ベル社やコンバータウィング社での開発が進みます。下は、後にGMに売却された特許で、ローターが下にあるのが特徴です。

ローターが下にある転換式航空機
転換式航空機(1949年)


 しかし、当時の技術では、ローターの向きを変えるときにどうしても失速してしまい、どのプロジェクトも失敗してしまいます。
 
 そこで、次に考えられたのが、ローターと翼の混在型です。
 イギリス・フェアリー社が開発したロートダインは「世界最初のVTOL旅客機」と銘打って実用化されましたが、商業的には大失敗となりました。

イギリス・フェアリー社のロートダイン
ロートダイン
(『科学朝日』1955年3月号)


 このほか、ホバークラフトメーカーだった英国のサンダース・ロー社が、大型回転翼がついた巨大輸送機を計画するなど、さまざまなプロジェクトがありましたが、ほとんど実現しませんでした。

サンダース・ロー社の巨大輸送機
サンダース・ロー社の巨大輸送機イメージ
(『科学朝日』1955年3月号)


 ここで気になるのが、なぜヘリを高速化させないかです。
 ローターは回転しているため、機体の左右で、ローターが前から後ろに進む(後退)側と、後ろから前に進む(前進)側があります。これが、機体のスピードが上がるとともに、後退側の相対速度が落ちることで失速してしまうのです。このため、ヘリの高速化には限界があるのです。

ヘリの高速化ができない理由
ローターの左右で相対速度が異なる


 こうして、垂直離着陸機の開発は、いきなり飛行機を上空に飛ばす仕組みにシフトします。
 簡単に言えば、ロケットのようにまっすぐ飛び、それを水平飛行に変える方法(テイル・シッター方式)です。
 1951年、米海軍が仕様を提示し、ロッキード社はXFV-1、コンベア社はXFY-1を開発します。

XFV-1
操縦席が前傾しているXFV-1
(『ポピュラ・サイエンス』1954年6月号)

XFV-1
背面から見たXFV-1


 XFV-1は、1954年からエドワード基地で飛行実験を行いますが、結局、垂直離着陸は成功しませんでした。
 また、XFY-1は同年、水平飛行への移行に成功しますが、ともに計画は中止されました。その理由は、この機体では低速戦闘機しかできないことと、形状に無理があり、操縦の難易度が極めて高かったからです。特に着陸では、パイロットから地面が見えないので、ものすごく恐怖だったと伝えられています。

発進するXFY-1
発進するXFY-1
(『科学朝日』1955年3月号)

着陸するXFY-1
XFY-1の着陸

 テイル・シッター方式が失敗に終わり、1950年代後半から、機体は水平のままで離着陸する方式が再注目されました。
 ここで、西ドイツ「EWR VJ 101」、フランス「ミラージュ III V」などが開発されましたが、最終的に実用化したのはイギリスの「ハリアー」とソ連の「Yak-38」だけでした。

 なぜ、ハリアーは成功したのか。
 ハリアーにはロールスロイスの「ペガサス」エンジンが積まれていますが、これは回転式の4つの噴射口を備えており、浮上から前進まで1基で対応できる構造でした。
 ロールスロイスは、1954年8月から「フライングベッドステッド(空飛ぶ運転台)」を開発し、あらゆるデータを収集していたのでした。

ロールスロイス「フライングベッドステッド」
中央に人が乗った「フライングベッドステッド」
(『科学朝日』1955年3月号)

 
 その後、輸送機オスプレイが開発され、現在では戦闘機F-35Bも誕生しています。
 日本はこのF-35Bを艦載機として導入することが決まっており、護衛艦「いずも」などを空母としていく方針です。

いずも甲板
カタパルトのない「いずも」でも空母化が可能

【翼にかけた夢(航空通史)】
日本の飛行機の歴史
リンドバーグの見た世界
朝日新聞が支えた日本航空界/東風号から神風号まで
毎日新聞ニッポン号と「世界一周」飛行の歴史
「YS-11」開発史
航空研究所/航研機の世界記録
エアガールの誕生
日本気球史
零戦を支えた「栄」エンジン
ゼロ戦パイロット最後の証言
ヘリコプターの誕生
●ヘリコプターの父シコルスキーの講演録
超音速輸送機SSTの誕生と歴史
ライト兄弟への道・グライダーとオーニソプターの誕生
「桜花」特攻とジェット&ロケットエンジン


制作:2019年3月25日

<おまけ>
 ハリヤーを成功させたロールス・ロイスは、2020年代に新たなVTOL機の開発を表明しています。時速400キロ、航続距離800km、電気とタービンで動き、6つのローターを搭載する予定です。VTOLにはUberなども参入を表明しており、今後の展開が楽しみなところです。

ロールス・ロイスのVTOLイメージ
ロールス・ロイスのVTOLイメージ(公式サイトより)
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