E過熱タンク機関車4122
4122号蒸気機関車は国鉄の奥羽本線庭坂・米沢間の板谷峠越え33‰の急勾配線区において輸送力増強のため大正元年にドイツから輸入された4100形をモデルとして国産化された4110形の13両目のものであった。
これは大正3年4月、川崎造船所兵庫工場製、運転整備の時の重量は65.27tで、その後主として米沢及び庭坂機関庫に所属していて奥羽本線の列車の牽引に当り同線の電化されるまで約34年間、奥羽地方の産業の発達に貢献した。
これは僚機4137号と共に昭和23年7月国鉄庭坂機関区から本鉄道に譲渡され、その後譲受された4142、4144号並びに当社発注の2〜4号と共に戦後の石炭輸送に活躍し、現在では国鉄払下げの4110形最後の1両となってしまった。なおこの機関車後部に当社製の簡易除雪器を設けてある。
E過熱タンク機関車2
2号蒸気機関車は本鉄道の25‰急勾配区間における輸送力増強のために準備された3両の同形機関車の第1両目のものであった。これは大正8年7月、三菱造船株式会社神戸造船所で、同所が第1次世界大戦後の事業転換の一つとして鉄道車両の製造に着手した際の蒸気機関車第1号機という記念すべきものである。
これの仕様は国鉄の急勾配用4110形と同じものであるが、大煙管は22本と1本多くなり運転整備の時の重量は65.28tである。
これは大正9年4月に製造された3号及び同15年3月に製造された4号と共に本鉄道の主力機関車として50有余年間石炭輸送に活隆している。なお3号は昭和41年北炭真谷礦専用鉄道に譲渡されたが、同鉄道で昭和44年用途廃止され、4号は現在も本鉄道で活躍中である。(田沢義郎 撮影)
1Dテンダ機関車1
1号機関車は本鉄道が第1次世界大戦による輸送の上昇に対処するため、アメリカから購入したもので、明治40年ボールドウィン機関車工場製、当初はニカラグア・ナショナル鉄道向けのものを大正7年にフレーザー商会が日本へ輸入したものであった。
これの仕様は当時北海道で貨物列車用として使用されていた、国鉄の9040形1Dテンダ機関車(元北海道炭礦鉄道所属へ形【※原文ママ】)とほぼ同じもので運転整備のときの重量は60.01tであった。
これは昭和24年9月に用途廃止され、翌25年4月に同系の雄別炭礦鉄道へ譲渡され9046号(2代目)となり、昭和40年7月同鉄道で用途廃止となり、解体された。(ボールドウィン原図)
美唄鉄道(以上、原文ママ)