台湾・台北駅の東側にある蒸気機関車LDK58。1923年、日本車輌が製造。花蓮〜台東を中心に走行。後ろはディーゼル列車LDR2001。
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世の中の変化に乗り遅れた人々
現存する唯一のC60(仙台)
仙台市青葉区にある西公園では、「C60型」の1号機「C601」が保存展示されています。このSLは国内に現存する唯一のC60型です。
1942年に製造され、東北本線や奥羽本線などで活躍。1968年、東北本線の全線電化で廃止され、1969年、公園に設置されました。
2016年10月末、修復が終わったので、見に行ってみました。
小坂鉄道11号蒸気機関車
大正15年(1926年)に登場。昭和37年(1962年)の軌間拡幅(762㎜から1067㎜に改軌)まで36年間にわたって、貨客輸送に活躍。「釜汽車」とも呼ばれ、小坂線に最後まで残った蒸気機関車。米国ボードウィン社のタンクを模したもので、雨宮製作所製造。
連結されている客車は、大正5年(1916年)に2、3等客車として造られたものを貴賓客車に改造したもの。大正10年(1921)8月4日に秩父宮、高松宮両殿下が小坂鉱山に来訪した際にも使用された。オープンデッキの32人乗り木造客車。日本車輌製造。
なお、小坂鉄道は、秋田県大館市から小坂駅まで、小坂製錬が運営していた貨物鉄道。2009年に廃止。
【蒸気機関車シリーズ】乗車券/美唄駅
E過熱タンク機関車4122
4122号蒸気機関車は国鉄の奥羽本線庭坂・米沢間の板谷峠越え33‰の急勾配線区において輸送力増強のため大正元年にドイツから輸入された4100形をモデルとして国産化された4110形の13両目のものであった。
これは大正3年4月、川崎造船所兵庫工場製、運転整備の時の重量は65.27tで、その後主として米沢及び庭坂機関庫に所属していて奥羽本線の列車の牽引に当り同線の電化されるまで約34年間、奥羽地方の産業の発達に貢献した。
これは僚機4137号と共に昭和23年7月国鉄庭坂機関区から本鉄道に譲渡され、その後譲受された4142、4144号並びに当社発注の2〜4号と共に戦後の石炭輸送に活躍し、現在では国鉄払下げの4110形最後の1両となってしまった。なおこの機関車後部に当社製の簡易除雪器を設けてある。
E過熱タンク機関車2
2号蒸気機関車は本鉄道の25‰急勾配区間における輸送力増強のために準備された3両の同形機関車の第1両目のものであった。これは大正8年7月、三菱造船株式会社神戸造船所で、同所が第1次世界大戦後の事業転換の一つとして鉄道車両の製造に着手した際の蒸気機関車第1号機という記念すべきものである。
これの仕様は国鉄の急勾配用4110形と同じものであるが、大煙管は22本と1本多くなり運転整備の時の重量は65.28tである。
これは大正9年4月に製造された3号及び同15年3月に製造された4号と共に本鉄道の主力機関車として50有余年間石炭輸送に活隆している。なお3号は昭和41年北炭真谷礦専用鉄道に譲渡されたが、同鉄道で昭和44年用途廃止され、4号は現在も本鉄道で活躍中である。(田沢義郎 撮影)
1Dテンダ機関車1
1号機関車は本鉄道が第1次世界大戦による輸送の上昇に対処するため、アメリカから購入したもので、明治40年ボールドウィン機関車工場製、当初はニカラグア・ナショナル鉄道向けのものを大正7年にフレーザー商会が日本へ輸入したものであった。
これの仕様は当時北海道で貨物列車用として使用されていた、国鉄の9040形1Dテンダ機関車(元北海道炭礦鉄道所属へ形【※原文ママ】)とほぼ同じもので運転整備のときの重量は60.01tであった。
これは昭和24年9月に用途廃止され、翌25年4月に同系の雄別炭礦鉄道へ譲渡され9046号(2代目)となり、昭和40年7月同鉄道で用途廃止となり、解体された。(ボールドウィン原図)
美唄鉄道(以上、原文ママ)
【B6型蒸気列車試乗記念】乗車券/五和駅
老雄B6型2109号
懐しい明治の汽笛、シリンダー、ロッドのひびき、失われゆくSLをいつまでも美しく保つために2109は千頭駅構内に永久保存されている。
昭和45年11月3日、明治の佳節を記念して明治の代表B6の引く列車の試乗会が盛大に行なわれ、明治節の歌の中にひびくイギリスの笛の澄んだひびきは、躍進明治の息吹きを感じさせた。
【蒸気機関車さよなら運転記念入場券】記念切符/高崎駅
C57型式 C5728号
高崎線(高崎〜倉賀野間)を走る急行あかぎ号
昭和26.11撮影
C58型式 C587号
八高線(北藤岡〜藤岡間)を往く上り貨物列車
昭和32.4撮影
D51型式 D51509号
信越線(安中〜磯部間)を往くデコイチの雄姿
昭和37.1撮影
D51型式
八高線・折原〜竹沢間・のどかな田園風景に活躍するデコイチ
昭和45.7撮影
C12型式
足尾線草木〜沢入間を渡瀬川の渓流に沿つて走るC12型の雄姿
昭和45.6撮影
C12型 重連 C12163号
C1241号
神土駅構内で整備され、山間の勾配線に向つて出発するシイジユウニの元気一ぱいの活躍
(C12型重連は全国鉄中足尾線のみに見られたものです)
昭和45.7撮影(原文ママ)
【三菱大夕張炭砿株式会社】入場券・乗車券/大夕張炭山
1D テンダ機関車 9201
9201号蒸気機関車は本鉄道が昭和4年に通洞駅(現大タ張炭山駅)までの延長を完成し、専用鉄道として鉄道省の運転管理を離れ、自主運転を行うに際して、同年5月に美唄鉄道から譲り受けたものである。
しかし実際は昭和3年8月に札幌鉄道局追分機関庫で用途廃止となったものが、名義上美唄鉄道に譲渡され、現車は同年10月に清水沢から直接入線した。これの運転整備のときの重量は76.68t。
これは北海道鉄道部所管の官設鉄道が明治38年4月に鉄道作業局へ移管された頃、北海道内で使用するためにアメリカのボールドウイン機関車工場に発註されたもので、完成時には日露戦争の関係で陸軍省所属となったが、形式番号は鉄道作業局の機関車と同じ系列で、F2形、801号と呼ばれた。
これはその後大夕張炭山駅構内の小運転に使用されていたが、昭和38年1月23日に三菱鉱業㈱上芦別鉱業所専用鉄道へ移り、昭和39年4月に同鉄道の廃止と共に解体された。
1D 過熱テンダ機関車 No.3
No.3蒸気機関車は本鉄道が輸送力増強のため、日立製作所に発註したもので、昭和12年に製造された。
これの仕様は、機関車は国鉄の9600形と同じであるが、炭水車は逆行運転も可能なように両側が切り落された、水10m3、石炭5tのC56形のそれと同じで、運転整備のときの重量は89.72tである。
これは入線後、本鉄道が昭和14年4月から地方鉄道として一般営業を開始すると共に、時代の要求に応じた石炭増産が行われたので、9200形の2両や、自社発註のNo.5と共に、混合列車又は石炭列車の牽引に活躍した。
現在は国鉄から譲り受けた96の一群と共に活躍を続けている。
1C2 過熱タンク機関車 C 1101
C1101号蒸気機関車は、第2次世界大戦の末期に本鉄道の輸送力増強のため購入されたものであるが、その発註は同系の雄別炭礦鉄道、尺別専用鉄道が日本車輛製造㈱にしたもので、昭和19年7月に製造された。
しかし、雄別炭礦鉄道㈱尺別炭礦は昭和19年9月に休山と決定したため同20年4月20日、本鉄道に引き取られたものである。
これの仕様は、国鉄のC11形と同じであるが、外観などからすれば、C11247号以降のいわゆる戦時形と呼ばれるものに該当し、運転整備のときの重量は67.52tである。
これは昭和20年1月に本鉄道における使用が開始され、その後はテンダ機関車に伍して大夕張炭山—清水沢間の列車牽引にも使用されている。
三菱大夕張炭鉱(株)南大夕張炭礦
南大タ張新鉱は、昭和41年9月石炭鉱業合理化臨時措置法にもとづき、新鉱開発地域として国の指定を受け、同年10月10日の起工式以来4年に亘る歳月をかけ、100億円を超える投資によって、45年8月営業を開始し、南大夕張礦業所として発足をみた。
当礦は、近代的設備を積極的に導入、特に中央官制機構は他鉱に見られない設備で、主要設備の中央監視制御、保安の自重計測と中央監視、情報収集、指令機能の統一これ等設備に伴うコンピュータ活用など、徹底した省力化と保安優先の近代炭鉱として、46年5月竣工式を挙行、46年度は年産90万tの原料炭採掘を計画、順調な出炭を続けており、将来は年産120万tを目標としております。
実収炭量は約2880万tで、石炭の品質も低灰分、高カロリー(発熱量8400カロリー以上)の本邦最優良原料炭であり、いま誕生のよろこびを謳い、限りない発展を秘めているビルド鉱であります。(原文ママ)
【DISCOVER JAPAN】急行券/斜里駅
雪の朝のSL(冬)
斜里駅を発車して間もなく斜里川を渡る網走行列車。晴れた日には,名峰斜里岳が後に見える。機関車はC58型。
この頃は,知床連山も,オホーツク海も白一色におおわれ,流氷原を渡ってくる風は膚を刺すように冷たい。
しかし,一歩家の中に入れば,ストーブが燃えさかっており,厳しい自然の中にも逞しく,楽しい人間の生活があり,本当の北海道らしい旅情を味わうことができる。
釧路鉄道管理局
(原文ママ)
【さようならスワロー・エンゼル】急行券/札幌駅
さようならスワロー・エンゼル
栄光の名機 “スワロー・エンゼル” を追え、これは全国SLファンの合言葉である。銀色に輝くツバメのマーク、力強いドラフトの響き、C62の2号機、それは日本最大、最強のSLの王者の雄姿である。
そのもっとも栄光に満ちた時代は、昭和25年春から昭和31年秋にかけて、東海道本線の特急“つばめ”を引いていたときであった。
この勇者C62も時代の波に消えさろうとしている。昭和23、24年に49両製作された僚機も、小樽築港機関区にある、2、3、15、16号機のみで、2号機が9月15日限りで急行ニセコとお別れし、長万部・小樽間普通列車第135、136列車を引き、その他の3両は廃車の運命にある。
9月15日がC62の最後の三重連、もちろん重連すらお目にかかれなくなる。
国鉄北海道総局(原文ママ)