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【さよなら蒸気機関車】入場券・急行券/鹿児島駅

B20
B20

ビーコロちゃん
この写真のB2010は,B20という種類で10号機関車です。小さくて,かわいい機関車ですので「ビーコロ」と呼ばれています。いま日本で1台しか使われていません。写真は,大きなC55とC12機関車があと押しして走るところです。

(解説)
B20形式タンク機関車
この機種は,太平洋戦争中の極度の機関車不足を補うため,資材を極度に節約し,製造工程もごく簡略化して作った戦時設計型の機関車です。戦争末期から終戦直後までを通じて15両つくられました。
この10号機関車は昭和21年に製造されたもので,現在は構内入換機として専用しています。

重さ・15.3トン 長さ・7m 幅・2m67 高さ・3m30 350馬力 最高時速・45キロ 水タンク容量・25トン 石炭積載量・0.9トン

C57
C57

C57形式テンダ機関車

均整のとれたスマートな容姿をもつ,いわば美人形機関車です。貨物列車用C55形を旅客列車用に改良したもので,201両製造されました。

使用初年・昭和12年 全長・約20m 高さ・約4m 機関車自重・約69トン 1040馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

 

C60
C60

C60形式テンダ機関車
C59形機関車(幹線用)を準幹線用に改装したものです。これは線路の構造上,その走る線に適応するよう,機関車の車輪がレールにかかる重さ(これを軸重といいます)を軽くする必要があったからです。C59は173両製造されましたが,これからC60に改装した両数は47両です。

改装初年・昭和28年 全長・約22m 高さ・約4m 機関車自重・83トン 1290馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

 

D51
D51

D51形式テンダ機関車〈愛称デコイチ〉
貨物列車用に作られたもので,耐久力・引張力・姿の3柏子そろったわが国の傑作機関車といわれています。製造両数は1,100両をこえ,戦前・戦中に一部は樺太,台湾,タイにまで渡っております。国鉄の貨物用蒸気機関車の主力を成しており,むかしから重用しています。
最初の1号機関車が誕生したのが,昭和11年の2,26事件のあった数日後だったというのも,何かの因縁だったのでしょう。以後の戦時,戦後の波乱期を,国内輸送の主軸となって文字どおり「大車輪」の活躍を見せました。見るからに男性的で風格をもった姿には,波乱期の歴史を引っ張ってきたという感じがあります。

使用初年・昭和11年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約78トン 1280馬力 最高時速85キロ 動輪直径・1m40

 

C61
C61

C61形式テンダ機関車
貨物列車用D51形を旅客列車用に改造した機種です。太平洋戦争中は貨物重点の輸送でしたが,戦後は旅客輸送に重点が移ったため,貨物列車用機関車が余って旅客列車用機関車が足りなくなりました。このために33両をこれに改造しました。昭和33年に登場した鹿児島初の特急「はやぶさ」を索引(※牽引の誤植)した当時の花形機関車です。

改造初年・昭和22年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約80トン 1890馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75

表紙デザイン・中之間国隆〈国鉄・宮崎運輸長付〉=C61のみ

 鹿児島鉄道管理局(原文ママ)

2C2テンダー機関車

蒸気機関車steamlocomotive形式C61過熱テンダー機関車(昭和22年使用開始)

 

蒸気機関車steamlocomotive形式C62過熱テンダー機関車(昭和23年使用開始)川崎車輌、汽車製造、日立製作所

 
戦争中、増大した貨物輸送に対応するため、おびただしい数のD型機関車が作られましたが、戦後、貨物の激減で、多くのD型が遊休状態となりました。逆に、旅客輸送が大幅に増えたため、D型のボイラーを流用して、旅客用のC型に改造することになりました。

軸重が過大になるのを防ぐため、国鉄初の2軸従台車と採用。さらに、自動給炭機も装備していました。日本史上、最大で最強の旅客用蒸気機関車です。

なお、D51の改造はC61、D52の改造はC62となっています。