ほいほいいうなあなあいう。何でもいうことを聞いてやる。ほう〔方・法〕方法のこと。どうしようもない状態を「方がつかない」。ぼう〔暴〕乱暴の略。「暴をいうな」「暴をするな」ぼう〔坊〕子供が自分自身のことをいう。「坊にもおくれ」。今日は男の子のみ坊やというが、昔は女の子をもいった。「『坊(ぼう)はおとっさんにおんぶだから能(い)いの』せなかのいもと『坊おんぶ』」(式亭三馬「浮世風呂」)ぼう〔棒〕幕末に方々の藩の兵士が取締る間は、銃や槍など武器を持っていたが、その後は巡査は3
尺ほどの樫の棒をたずさえ、パトロールをしていた。「市中巡査の棒、五年(明治)よりはじまる」と「珍奇競(ちんきくらべ)」にあり、「三尺棒で五尺の身を諭(さと)し 松楽」「泥棒を三尺棒がひいて行き 一笑」の川柳がある。従って棒のときどき飛び込むような家といえば、ときどき臨検のある待合や今日の赤線青線の家ということになる。臨検を警八風(けいはちかぜ)といった。→「けいど」
明治初期の巡査ほういん〔法印〕長髪で錫杖(しゃくじょう)を突き、法螺貝(ほらがい)を鳴らし、病人を直すおいのりをする修験者。
法印ほうがい〔法外〕大そう。極端。ほうかいぶし〔法界節〕九連環節(きゅうれんかんぶし)。明治20
年代にはやり、町々を男女が月琴、楊琴をかかえて流し歩いた。さのさぶしは、ホーカイと終りにはやしことばがつく、この唄から変化したものといわれる。ほうがく〔方角〕様子。「忠之丞は腹立ちで坐(すわ)らう方角もなく抜身(ぬきみ)をさげたなりで立って居りました。」(三遊亭円朝「月謡荻江一節(つきにうたうおぎえのひとふし)」)ぼうぐみ〔棒組〕駕籠かきの相手の方(相棒)への呼びかけ。「オイ棒組、大そうお酒手(さかて)をいただいたぜ」→「あいぼう」ほうこういってん〔奉公一点〕奉公一とすじ。一てんばりの一てんである。ほうこうずみ〔奉公ずみ〕仕官して、その藩に住み込むこと。商家の場合にもいう。ぼうしばり〔棒縛り〕身動きのできぬよう6
尺棒などへ縛り付ける。この状態を芸能にとり入れた能狂言も著名だが、岡村柿紅が同名で歌舞伎舞踊劇に改作したものの方が、六世尾上菊五郎の名演でなじみ深い。ほうじょうさま〔方丈様〕御住持さま。はじめは寺附内(じつきない)の長老の居所を方丈といった。ほうそう〔疱瘡〕昔の子供は、疱瘡にかかったあと菊石(あばた)にもならず全快すると、先ず人生第一の難関を経たとして、親たちが大いに祝ったのである。植疱瘡(種痘(うえぼうそう))が日本で創始されたのは文政期というが、幕末の頃に至っても一般人はこれをいやがっていた。岡本綺堂「半七捕物帳ーー海豚(ふぐ)太鼓」は、この種痘恐怖から生まれる江戸町家の悲劇をあつかっている。ぼうた古どてら。ぼうにふる〔棒にふる〕無駄にする。だまって持って行かれる。ぼうばな〔棒鼻〕宿(しゅく)はずれの里程を記した杭(くい)などの立っているところ。駕籠の棒の先のところをも、いう。「棒鼻へ立ちゃがって邪魔にならあ」ほうべんな〔方便な〕都合のいい。ほえるギャーギャーさわぐ。「弥左衛門歯がみをなし、『泣くな女房、何吠(なにほ)える。不便(ふびん)なの可愛のというて、こんな奴を生け置くは世界の人の大きな難儀ぢゃわい』」(竹田出雲他「義経千本桜」釣瓶鮓屋の場)ほかとサーッと。「彼奴(あいつ)が抜いたらホカと逃げておしまひなせえ。」(三遊亭円朝「業平文治漂流奇談」)ぽかぽかどしどし。さかんな様の形容。ほぐ〔反故〕ほご。取消。実行しないこと。ぼく〔隠悪〕隠していた悪事。「これは隠悪がわれたわい、もうこれまでと思って、」(三遊亭円朝「敵討札所霊験(かたきうちふだしょのれいけん)」)ぼく〔僕〕→「きみ・ぼく」ぼく〔僕〕下男。武家では仲間(ちゅうげん)である。下僕。ぼく唐変木(とうへんぼく、分からずや)の略。「旦那はぼくだが連(つれ)の女は東京者だけ、」(河竹黙阿弥「木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)」)ぼくぼくボロポロ。「名人清兵衛のこしらえたんで、きたない火鉢でございますが、不思議なことにはどんなぼくぼくの畳の所を引摺り引ん廻してもへりに引っ掛ることがない。」(三遊亭円朝「名人くらべ錦の舞衣(まいぎぬ)」)また、老いぼれた意味にもつかう。「いつまで年をとってボクボクしているのもいやだ」ぽくり〔木履〕昔はあしだのことをいった。今日では祇園の舞妓のはく下駄で、裏を深くくって鈴を付けたものなどがある。また、仙台の殿さまの伊達綱宗は、男用の下駄を特に伽羅(きゃら)で作らせて、これをはいて吉原の遊女高尾へかよったという伝説がある。伽羅は沈香(じんこう)という香の別名で、昔は第一流の香であったゆえ、それで製された下駄となれば最高の贅沢品。ホコトンもののまちがっていること。衆議院議員が矛盾という字をホコトンとよんで以来、つかわれた。ほそもの〔細物〕細紐(ほそひも)の類。「かけもの」の書画の小品。ほだし〔絆〕束縛。牽制。「縄目の絆(きずな)」「義理のしがらみ、人情の絆」。手かせ足かせ。ほだす〔絆す〕つなぎとめる。束縛する。制御する。情にからむ。心をひく。ほたるがり〔蛍狩〕夏の夕、団扇(うちわ)を片手に浴衣姿、蛍を取りに行く遊楽。「東都歳事記」には「立夏の後四十日頃より」として、王子、谷中蛍沢、高田落合姿見橋の辺り、目白下通り、目黒、吾妻森(あずまのもり)、隅田川をあげている。明治14
年版「改正東京案内」では王子、蛍沢、高田落合、目白下通り、目黒の他に赤坂今井谷をあげ、鉄道の発達した明治30
年代の斎藤緑雨の随筆には大宮氷川神社をあげている。麻布広尾も数えられようし、伊藤晴雨の旧東京名所絵にはお茶の水に蛍の飛ぶ絵があった。
王子ぽっとりものしなやかな女。色っぽい美人。ぽっぽ〔懐中〕ふところのこと。子供の言葉であるが、他へ渡す金をつかってしまったときなど、「あいつはポッポへいれてしまやアがった」ぽてれん妊娠。はらんだことをいう。ほど〔○○程〕時刻のだいたいの見当をいう場合の接尾語。○○じぶん。「昼ほど」「晩ほど」「今ほど」などと使う。ほとけのわん〔仏の椀〕叶わぬこと。金椀(かなわん)のシャレ。ほどこしび〔施し日〕無料で診察をしてくれる日。ボトル壜(びん)のことを、明治時代、上流や文化人の間ではハイカラがってこういった。ほねをぬすむ〔骨を盗む〕骨を惜しむ。ほまち定収入以外に入る臨時収入。手内職。「ほまち仕事」ぼやぼやボヤ(小火事)。ばろんじ〔梵論字〕虚無僧(こむそう)をいう。また、ぼろぼろの姿で諸国を歩くという意味もある。岡本綺堂の戯曲「虚無僧」にくわしい。
虚無僧ぼんがぼんせき〔盆画盆石〕美しい砂や石をもちいて盆の上に花鳥山水をかくのを盆画、自然石を盆に並べてその風趣(ふうしゅ)を味わうものを盆石、後者は足利期に茶の湯生花と共に行われ、多くの流派法式がある。ほんけがえり〔本卦帰り〕還暦。ほんけんじょう〔本献上〕ほんものの献上博多。→「けんじょうはかた」ぽんこつ拳骨で撲ること。「ぽんこつをくわす」などという。また、ばくちにもぽんこつがある。「拳(こぶし)を振ること。インチキの意。札を切る者がひそかに札を見て置き、頭をなでたら何、鼻をこすったら何といった具合に符調を定めてインチキの共犯者に合図をすること。この場合賭博具(とばくぐ)の札に仕掛はないが、札を切る親の素早いゴマカシで大事な札を予(あらかじ)め見て置くのである。」(草賀光男「ばくち談義」)ほんじん〔本陣〕諸大名の参勤交替に往復の駅で公認した宿屋。→「わきほんじん」ぽんつくバカな人のこと。ぽんしゅう。ぼんのくど〔盆窪〕項(うなじ)の中央のくぼんでいるところ。ぼんのくぼ。ほんぷく〔本復〕全快。ぼんぼん〔盆々〕昔、盆の夜に子供たちが大ぜい手をつなぎ、盆々ぼんのと歌って町々を歩いた。「七八歳より十五六歳位の一と群が盆になると夕暮より同じ年位の者七八名づつ一列となり年長のものは順々に跡に列して五六列をなし手を連ね竹の先きに紅ちやうちん又は切子(きりこ)灯籠を持つものもありて声張揚(はりあげ)て、『盆々ぼんの十六日にお閻魔様へ詣ろとしたら珠数(じゅず)の緒(お)が切れて鼻緒が切れて南無釈迦如来(なむしゃかにょらい)手でをがむ手でおがむ」(高砂屋浦舟「江戸の夕栄」) このため手をつないで歩くを、「盆々をして」といった。「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、灯籠(とうろ)や灯籠やと売る声に、おどろかれぬる盆前の怔忡(むなさわぎ)も、親の心子しらずとて、お閣魔さまの日をたのしむ、娘子供の一群。(略)お乳母どのを軍師と頼み、前後に備を配りて、隊伍整々とくり出すは、江戸流の盆踊。他国の御見物にまうす。江戸は他国のぼんをどりのごとく、対のゆかた音頭とりなどありておどる事たえてなし。只ぼんうたといふものをうたひて、三四だんにならびてゆくのみ。(略)『アレアレ向ふから男の子が盆々をして来たよ。』『皆(みんな)がきつウ手(て)を引合(ひきや)って往きな。構(かま)ふ事(こた)アねえ。たたきのめしてやらう。』」(式亭三馬「浮世風呂」)ぽんぽん腹または裸のことをいう。児童語。ほんま〔本間〕本部屋。「此糸(このいと)『アアざしきざんすヨ。お長さんかへ。』お長『ハイ』此糸『本間へお這入(はいり)なんしなへ。』」(為永春水「春色梅児誉美(しゅんしょくうめごよみ)」)ほんりやソーラ。道理で。「ええ……
江戸の深川……
ホンリヤ……
どうもただの鼠ぢゃアねえと思った。」(三遊亭円朝「名人くらべ錦の舞衣(まいぎぬ)」)ほんりょうあんど〔本領安堵〕武士の進退問題が起きた場合、元の知行(殿さまから頂いている領地)をそのまま再び下さる。領土へ傷がつかないこと。