よいしょ

幇間(たいこもち)のこと。幇間が「よいしょ」と額(ひたい)を叩くことからいう。
よいぜっく
〔宵節句〕節句の前夜。宮祭の前夜を「宵宮(よみや)」というのと同類。
よいたんぼう
酔払い。よたんぼう。
よいよい
中風。式亭三馬「浮世風呂」の巻頭にも登場する。「虫の這(は)ふ様(よう)に歩み来るは、俗にいふよいよいといふ病の人」
ようがく
〔洋学〕外国の字間。→「ふくざわぼん」
ようきゅうば
〔楊弓場〕名高い神社の境内や娯楽街で、遊戯用の小さな弓をひいて遊ばせる店のこと。矢取り女といって客の放った矢をひろう美人が数名いて、淫もひさいだ。明治19年以後、次第に取締りがやかましくなり、明治末になくなった。
 それでも明治245年頃までは日本橋の郡代(ぐんだい、馬喰町4丁目)、芝神明前、浅草奥山(観音裏)にあった。
「明けっ放しの店を覗くと赤毛氈(あかもうせん)の上に黒塗扇形の矢函(やばこ)へ玩具(おもちゃ)のやうな弓と矢が七八本づつ、三組ほど、その奥三間ばかりの突当りに長方形の大きな太鼓、その表面へ大小三四個の的が吊してある、客は毛氈の上へ猫背に坐って的を狙ふ。大抵は外れて太鼓へドン、一隅に長火鉢を据えて例の白首が二三人、長煙管を手にして表を眺め『ちょいと眼鏡の旦那』『シャッポの兄さん』など、大びらに呼び込む。」(山本笑月「明治世相百話」)
yokyu楊弓場
ようきん
〔瑶琴・楊琴〕桐の胴で、真鍮(しんちゅう)の絃(いと)を13本または16本はった、持ち歩ける小型の琴で爪は鼈甲(べっこう)製である。川柳に「法界屋(ほうかいや)琴をコラショとしょって来る」。
ようご
〔洋語〕外国語。
ようずいさんこつ
〔腰髄三骨〕脊髄(せきずい)カリエス。
ようそう
〔洋装〕明治時代には男子の洋服姿を洋装といい、女子の洋装は女唐服(めとうふく)とさげすんだようにさえ、いった。
「窓に頬杖(ほほづえ)つきたる洋装の男と顔見合はしたり。」(徳冨蘆花「不如帰(ほととぎす)」)
kaika開化頭で洋装(明治8年頃)
ようだんす
〔用箪笥〕身のまわりの一寸したものをいれておく小だんす。
ようば
〔用場〕便所。
ようばいそう
〔楊梅瘡〕梅毒のこと。
ようふく
〔洋服〕袖がないからそでない、真実のない人のことをいう。
ようぶつ
〔洋物〕唐物。西洋小間物(こまもの)ともいった。
よくせき
よくよく。「身投げまでしようというのはよくせきのこったろう」
よくどうしい
〔欲どうしい〕欲深いこと。
よごしに
〔夜越に〕夜の道中を。
よごしのりょうせん
〔汚の料銭〕損料。
よこにわ
〔横庭〕その家の横がわに家とならんである庭。一流の料亭とか遊女屋とかでは、広い家のなかの、いろいろなところへ庭をこしらえ、風流な景色を見せた、その一つ。
よこぼね
〔横骨〕頬骨(ほおぼね)。横骨の出ていない顔を美とした。
よこみち
〔横道〕間道(かんどう)。
よしど
〔葭戸〕夏の襖(ふすま)や障子に代用する葦簀(よしず)を張った戸。
よしばい
〔夜芝居〕夜間興行の演劇。昔は、早朝より夕方までの興行が多かったゆえ、特にこういった。
よしびょうぶ
〔葭屏風〕夏になるとつかう葭でこしらえた屏風。

よしみ
〔好み〕好意。「友だちのよしみでしてやったんだ。ありがたくおもえ」
よしわらかぶり
〔吉原かぶり〕手拭を2つに折って頭へのせ、その両はしを後で結んで、前は左右へ蝶々のようにはねる。
新内流しその他、町を流して歩く芸人がこのようにしてかぶった。吉原を流す人々から起ったので、この名があるのか。落語家がよく踊る「花は上野か染井のつつじ」のときも吉原かぶりにする。
よそばうり
〔夜蕎麦売〕夜間、荷をかついで町を流し歩くそば屋。二八そば屋。風鈴蕎麦屋。二八そばとは、二八十六文で売ったゆえとも、そば粉とつなぎが28の割であるゆえともいう。かついでいる荷に風鈴が吊してあるため風鈴蕎麦屋。明治初年以後は鍋焼うどんと共に東京の夜の風物詩の一つとして、世話狂言にしばしば登場する。
「夜鷹が喰ふからではない、お鷹匠(たかしょう)の拳(こぶし)の冷えるに手焙(てあぶ)りを供する為、享保年間に手当を致し、其廉(そのかど)を以てそば屋甚兵衛と云ふ者が願って出て、お許しになったので、」 (三遊亭円朝「月謡荻江一節(つきにうたうおぎえのひとふし)」)
よたか
〔夜鷹〕街娼。寝所に敷く茣蓙(ござ)を持ち手拭を吹流しに冠って、柳原堤のような寂しいところで客を引いた。本所吉田町はその巣窟で、川柳に「吉田町お花お千代がお職なり」、また「柳原二八ぐらゐの声で呼び」。「三人吉三」の大川端に出るおとせはその一人。
yotaka夜鷹
よたかそば
〔夜鷹蕎麦〕→「よそばうり」
よたんぼう
酔払いのこと。東海道の旅人をよんだ古川柳に「よたんぼうめがと鶴見で待合せ」。品川を出発してから酔っておくれたひとりを、鶴見で他の連中が待っているという意味。
よつ
〔四つ〕四手駕籠の略。
よつで
〔四つ手〕四手駕寵。

「四ツ手駕籠は竹駕籠の四方を茣蓙(ござ)にて前後を包み左右にたれをおろし雨天の時などは其上を桐油(とうゆ)にて包む。夜中はたれの外に大なる提灯をぶら下げる。窮屈にて乗心地よきものに非ず。」(高砂屋浦舟「江戸の夕栄(ゆうばえ)」)
よってもつけない
〔寄っても着けない〕全然近寄れない。
よっぴて
夜どおし。一と晩じゅう。「夜がら夜っぴて」「夜っぴて介抱した」
よづめ
〔夜詰〕夜勤で警固(けいご)すること。またその侍。
よなし
昼は寝て、夜、吉原の廓へ客をおくる車夫。
よねんがない
〔余念がない〕罪がない。
「作さんの酔ったのは可笑(おか)しいよ余念がなくって。お前さん慾のない人だよ。」(三遊亭円朝「真景累ケ淵(しんけいかさねがふち)」)
よのぶとん
〔四布蒲団〕四布(4巾ある布)で作ったふとん。
よぶか
〔夜深〕夜更け。
よぼたん
よぼよぼな老人。
よぼれる
〔老耄れる〕老人をよぼよぼという。つまり老ぼれて、よぼよぼする意味。
よまんどし・かかんどし
〔読まん同士・書かん同士〕「おまんどし・かかんどし」とも、なまっていう。幼いときからの同期生という場合にいう。また別のつかい方では、「年齢のゆかない女中など二人以上で留守番でもさせる時『何しろよまんどしかかかんどしだから、』」(鏑木清方「明治の東京語」)とある。
よみうりぶし
〔読売節〕街上で書生風の男が歌う時事を諷刺(ふうし)したはやり唄。縁日その他でのちにはヴァイオリンをひいて歌い、その唄をかいた本を売った。
よみや
〔宵宮〕祭礼前夜の祭。前夜祭。節句の前夜を「宵節句」というのと同額。
よりき
〔与力〕原胤昭(はらたねあき)「与力同心の由来」によると、与力は50人あり、世襲(親代々)で南町奉行所北町奉行所いずれへか属し、隔月に両所でとり上げた事件をさばいた。奉行とちがい世襲のため奉行よりも勢力があり、奉行の前で訴え書を朗読、また斬罪、獄門、礫刑(たくけい、はりつけ)、火あぶりの検視役をつとめ、平常白洲(しらす)へでるときは継裃(つぎかみしも)で、上下ちがったいろの裃を着用した。知行(ちぎょう)は地方200石の他に大名から付け届けといって「出入り」(今日の法律顧問)をつとめ、2人位ずつ1軒の大名へ出入りになっていた。
与力や同心は八丁堀に住んだが、上野が御料地(宮家の直属地)になる以前は、広小路また日暮里元金杉辺にいたという。また都築幸哉(つづきゆきや)「与力の話」には、家の構えは冠木門(かぶきもん)、小砂利(こじゃり)が敷き詰めてあって数台、突当りが大きな鞘形(さやがた)の唐紙、正月に火消が挨拶に来ると主人は袴で敷台のところでそれを受け、そのとき火消は土下座であった。邸宅は、400500坪が普通とされた。
故田辺南竜(五世)談には、与力は乗馬の資格あるゆえ一騎二騎と数え、同心は一人二人と数えた由。本来は寄騎(よりき)。つまり近衛騎兵というわけである。