カテゴリー別アーカイブ: 記念切符

【創立50周年記念 片上鉄道線機関車シリーズ】乗車券/片上

片1形式
片1形式

形式 片1 1C1タンク機関車

1号機関車と称し、大正11年12月に日本車両の製造番号60で誕生した。大正12年1月1日片上〜和気間(8.6キロ・最急勾配 28.6‰)が関通した当時から活躍し、戦前戦後の動乱期の旅客・貨物輸送に大きな役割を果した。昭和22年4月土佐交通(現在の土佐電鉄)に転籍し、昭和24年廃車となり同年解体され、現在はその姿を見ることができない。

全 長 9754mm  ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1118mm  運転整備重量 40.7t

 

片2形式
片2形式

形式 片2 1B1タンク機関車

2号機関車と称し、大正11年12月にドイツ、コッペル社の番号10293で製造され、当鉄道唯一の2動輪であった。 1号機関車と同じく開通以来活躍したが、勾配線には不適な2動輪のため昭和14年に一度休車となり、その後軍需品輸送上から使用再開され昭和20年まで活躍、昭和22年6月長岡鉄道(現在の越後交通)へ転籍し、昭和27年廃車となり同年解体された。

全 長 8831mm  ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1000mm  運転整備重量 32.57t

 

C12
C12

形式 C12 1C1タンク機関車

201号は、昭和19年3月に日立製作所笠戸工場で製造し入線したもので、202号は昭和10年12月に日本車両において製造され大井川鉄道で使用していたが、昭和25年4月当線に転入された。

両機とも入線時、当鉄道用に炭車容量の増設・同形式には珍しい除煙仮の新設など改造をし、主として貨物列車の補機用として活躍したが、昭和41年と昭和43年にそれぞれ廃車解体された。

全 長 11350mm  ボイラー圧力 14.0kg/cm2
動輪径 1400mm   運転整備重量 50.05t

 

C13
C13

形式 C13 1C2タンク機関車

戦争中、海南島の鉱石輸送に使用する目的から昭和19年7月に日本車両で5両製造された機関車のうちの2両で、誕生した当時の姿は、1Cテンダー機関車・形式7720であったが、昭和24年11月大阪汽車会社において、大幅な改造がなされC13形式(50号・51号)と称し、貨物輸送の主力として活躍、その後ディーゼル機関車の導入により、昭和41年5月廃車となり同年解体された。

全 長 12200mm  ボイラー圧力 13.0kg/cm2
動輪径 1250mm  運転整備重量 60.6t

いずれも1970年6月1日、片上駅発行、原文ママ

記念入場券/坂町駅

9600型
9600型

9600形式蒸気機関車は大正2年に誕生し、その後大正年間に784両が製造され、この時代の貨物列車用標準機関車として四国以外の全国各地に配置されました。

以来、50有余年の星霜を経て、現在新潟支社では米坂線にのみ主力機関車として活躍しています。

機関車の特徴は動輪上に火室構造を置いて火床を大きくし、機関車出力の増大がはかられております。このため、機関車は小柄ながらデップリとし、小さな動輪で走る姿はたいへんユーモラスな感じがします。

戦時中は大量270両が大陸や樺太でも活躍しました。

動力車近代化の波とともに数年後には国鉄から消え去る運命のこの機関車に「ご苦労さん」と最後の声援を送ってやりたいものです。

(原文ママ)

 

入場券/大井川鉄道

2100型
2100型

B6形蒸気機関車2109号の経歴

○明治23年(1890年)英国グラスゴーのダブス機関車会社製造、日本鉄道に輸入。
○その後明治、大正、昭和の3代にわたり東北線、中央線などの重量牽引列車用として活躍。
○昭和4年、松本機関庫より西濃鉄道に移る。
○昭和45年8月、大井川鉄道千頭駅に元国電モハ1とともに保存展示される。

以上、原文ママ

【ハブ3号客車万国博参加 2号機関車複元完成】乗車券/加悦駅

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120型

加悦鉄道は丹後山田〜加悦間を結んでいた私鉄で、ニッケルを採掘をしていた日本冶金工業(大江山製造所)専用線の運転もおこなっていました。

1985年、国鉄宮津線が貨物輸送を廃止したことで、ニッケル輸送が不可能となり、廃線となりました。

2号機関車(120形)は、1873年(明治6年)、ロバート・スティーブンソン社で製造された蒸気機関車(旧鉄道院123)。もともとは大阪—神戸の鉄道開通で使用された。ハブ3号客車とともに、加悦SL広場で静態保存中。

タイトルの「複元」は「復元」の誤植。

【四国鉄道無煙化完成記念】急行券/高松駅

C58
C58

姿を消した蒸気機関車

明治22年5月、讃岐鉄道が多度津を起点に丸亀〜琴平間を開業したのが四国鉄道のはじまり。最初は60形式の蒸気
機関車が明治末年まで走った。大正10年には5400形式、昭和10年には8620形式、そして、C11、C12、C58形式などが登場した。

昭和31年ごろの蒸気機関車黄金時代には、四国で136両が山野を走ったが、昭和45年4月1日のダイヤ改正から完全に姿を消してしまった。
(え・高松市栗林小学校4年 香川朋紀君)

以上、原文ママ

【さよならC62】急行券/岡山駅

D51
D51

三重連蒸気機関車 1969・9

伯備線新見一足立間にみられる全国でもただひとつのD51型三重連

布原信号場を午前9時16分に発車、鉱石専用列車をひいて急勾配を登る。国鉄近代化のかげに次第に姿を消して行く
蒸気機関車の中にあって、ファンの人気を集めている。

D51型蒸気機関車は昭和14年に登場、約30年間全国の主要幹線で活躍していた。

 

C62
C62

さょうならC62 1970/8

つばめ・はと・かもめ・はやぶさ……と、かってほとんどの特急を引いて山陽本線を驀進したC62は、いま中国地方では、呉線を走る急行安芸にその名残りをとどめている。

宮島の赤い鳥居を配したヘッドマ一クをつけ、瀬戸の青い海、緑の島々に映えながら走る真っ黒なC62の巨体は、まさしく美しい日本の情景の一つであろう。

呉線電化で、まもなく去りゆく運命のC62は、きょうも人生の哀歌を乗せ、多くのドラマを生んで走る。その日がくるまで、ひたすらに……

 

C62
C62

栄光の名機C62 1970/8

戦後の旅客用機関車の不足を補うため、昭和23年貨物用のD52を改造して誕生した蒸気機関車がC62である。

C62は、1750mmの大動輪に極大のボイラーを搭載した、日本最大の旅客用蒸気機関車で、当時栄光のマンモス機関車と、もてはやされた。

東海道本線・山陽本線の幹線で大活躍し、特にC62に牽引された特急つばめは、ヘッドマークの飛翔するつばめのスマートさとあいまって、多くの人々に愛され、親しまれた。

電化でまもなく去りゆく運命のC62は全国で現在9両が活躍している。

 

C62
C62

蒸気機関車C62 1970/8

明治5年、鉄道が始めて新橋一横浜間に開通して以来、蒸気機関車はいつも日本人の精神のよりどころであった。

白い蒸気を吐き、黒い煙を噴き出して一生懸命走る蒸気機関車の姿は、あまりにも人間の姿に似ているように感じられた。

今また、C62が去ろうとしており、そのうち蒸気機関車は、日本からまったく姿を消すであろう。

しかし、永遠に、その姿は人々の心に残り、その勇壮な様は人々の口に語りつがれるに違いない。

(以上、原文のまま)

岡山鉄道管理局

【第97回鉄道記念日 蒸気機関車シリーズ】入場券/岐阜駅

8900形式テンダ機関車
8900形式テンダ機関車

8900形式テンダ機関車

明治44年に米国アメリカンロコ会社から輸入された当時最強の旅客用機関車であった。わが国の機関車で最初の2C1(パシフィック形)の軸配置と過熱蒸気を採用し、東海道、山陽線の幹線の主力旅客機として、又、当時誕生した特急列車のけん引機として活躍した。同形式36両。

軸配置 2C1
全長 19.5m
火格子面積 2.5m2
動輪径 1600mm
ボイラー圧力 12.7kg/cm2
運転整備重量 103.7t
動輪周出力 1040ps
最高速度 90km/h

5500形式テンダ幾関車
5500形式テンダ幾関車

5500形式テンダ機関車

明治中期の代表的旅客用機関車で、明治27年英国ピーコック会社から輸入された。軽快な軸配置で高速性能がすぐれ、優雅な形態は機関車愛好者の人気の的で、当時の東海道線等の幹線の花形機関車であった。同形式72両。

軸配置 2B
全長 13.9m
火格子面積 1.3m2
動輪径 1400mm
ボイラー圧力 11.0kg/cm2
運転整備重量 55.8t
動輪周出力 510ps
最高速度 80km/h
(以上、原文ママ)

1969年10月14日、岐阜駅発行

【篠ノ井線さよなら蒸気機関車】急行券/松本

【さよなら蒸気機関車】急行券/松本駅

 

篠ノ井線は、明治33年11月1日に篠ノ井・西条間、同35年6月15日に西条・松本間、同年12月15日に松本・塩尻間の開通により全通した。

この間同線に使用された蒸気機関車の形式は、2120、2400、9600、D50、D51で、中でも最強を誇ったD51形式が投入されたのは昭和12年であった。

当時の僚機3台のうち2台は廃車されたが、うち1台のD 5130号は鹿児島局出水機関区に現存、すでに月と地球の4往復分を走りなお活躍中。

長野局管内のD51の現役両数は7両である。

(写真説明) 篠ノ井線明科・潮沢間小日向地籍31キロ500メートル(上り25‰、R=302m)付近、865列車をけん引するD51機関車の勇姿。

D51形式テンダ機関車

軸配置   1D1
全長    19.7m
火格子面積 3.27m2
動輪径   1400mm
ボイラー圧力15kg/m2
運転整備重量126t
動輪周出力 1280PS
最高速度  85km/h
(原文ママ)

【さようなら雄鉄シリーズ】雄別鉄道/釧路・阿寒

 

さようなら雄鉄シリーズ形式8700 番号8722 2C過熱テンダー機関車

8722号機関車は昭和32年前所有者(北海道拓殖鉄道)より譲り受け雄別炭礦の採堀石炭輸送のため約9年間活躍して来ましたが老朽のため昭和41年8月廃車いたしました。なお大正年間には国鉄線の急行列車としての花形機関車でありました。

●雄別鉄道の沿革

当社は大正10年に敷設、翌11年釧路〜雄別炭山間(44キロ)の営業を始めました。
爾来、雄別礦産出の石炭輸送と共に地域住民の足として地方開発に多大なる貢献をして今日に及んでいます。その間昭和26年埠頭線の買収、32年内燃動車を購入して客貨の分離、34年炭鉱部門から分離独立し、その後乗合、貸切自動車業の併営内燃機関車(D D13型)の埠頭線配備等順調な発展を続け、更に増送にこたえるため、43年鶴野線の竣功をみて将来を嘱望されましたが、39年をピーク(雄別炭875千トンを輸送)に出炭は下降線を辿り遂に本年2月末雄別炭鉱の閉山と運命を共にして半世紀に亘る永い歴史に終止符をうつことになります。(原文ママ)

さようなら雄鉄シリーズ形式C56 番号1001号

1001号機関車は第2次世界大戦勃起の昭和16年2月三菱重工(神戸造船所)より購入し石炭増産輸送力増大を目的として活躍した現有機関車では約29年の歴史を持つものである。
 

さようなら雄鉄シリーズ形式10型六輪連結タンク機関車 番号12号

この機関車は大正12年独乙オットライメルス会社より買入開業当時雄別炭山駅で入換機として活躍しましたが、その後一回り大型の100型機関車が入り昭和24年尺別鉄道に譲渡しました。

【さようなら蒸気機関車】入場券/水戸駅

さようなら蒸気機関車D51形式

貨物列車と勾配線区用として昭和11年から昭和18年ころまでに1115両新製された。水戸管内では、常磐綿および水戸線の貨物列車用として活躍した。

<D51424号>

日本車両 昭和15年7月18日製造 8月8日使用開始 
走行キロ 182万8212.4キロ(1969年12月31現在)

配置歴
昭和15年8月8日 函館
函館本線(函館一長万部) 客車・貨物両用に使用
昭和20年9月12日 常磐線(長町—水戸)
昭和42年9月20日 常磐線(長町—水戸)

 

さようなら蒸気機関車C12形式

国鉄と民間工場の協同設計により、簡易線区用として昭和7年にはじめて製造された。水戸管内では、ほとんどが入換用として活躍し、原ノ町駅での入換が最も長かった。

<C12187号>

日本車両 昭和13年7月27日製造 同日使用開始 
走行キロ 111万5612.6キロ(1969年12月31現在)

配置歴
昭和13年8月2日 東唐津
昭和13年9月12日 豊後森
昭和18年10月8日 宮崎
昭和39年6月2日 鹿児島
昭和42年7月9日 水戸

 

さようなら蒸気機関車8620形式

大正3年から昭和4年にかけて672両製造された。SL全盛時代であった昭和30年には、水戸管内に23両が配置され、水郡綿、磐越東線および平、高萩付近の入換に活躍した。
この8630は、昭和43年3月26日の国鉄常務会で動態保存されることが決定。梅小路蒸気機関車館から京都鉄道博物館へ移籍。

<8630号>

大阪汽車 大正3年6月27日製造 同日使用開始 
走行キロ 312万565.0キロ(1969年12月31現在)

配置歴
大正3年      三田尻
大正5年10月    山北
大正8年7月19日  沼津
大正9年1月29日  宇都宮
大正10年4月14日  白河
大正13年2月21日  大宮
大正15年12月18日 千葉
昭和5年5月7日   成田
昭和9年11月23日  安房北条
昭和14年 5 月30日 常陸大子
昭和27年12月18日 平

 

さようなら蒸気機関車記念切符