昭和20年2月11日、日本車輛株式会社で誕生。戦争末期、物資がなくなりつつあったころに作られ、ボイラーの上にある蒸気溜、砂溜が角張っているのが特徴(いわゆる戦時型)。
誕生後すぐに山陽本線の姫路機関区に配属となり、中国地方のローカル線(播担線や姫新線)などを走った。走行距離は108万3975kmで、最初から最後まで一つの機関区にいた珍しい機関車。
東京を走行したことはないが、鉄道100年を記念し、1972年10月、新橋駅前に設置された。
昭和20年2月11日、日本車輛株式会社で誕生。戦争末期、物資がなくなりつつあったころに作られ、ボイラーの上にある蒸気溜、砂溜が角張っているのが特徴(いわゆる戦時型)。
誕生後すぐに山陽本線の姫路機関区に配属となり、中国地方のローカル線(播担線や姫新線)などを走った。走行距離は108万3975kmで、最初から最後まで一つの機関区にいた珍しい機関車。
東京を走行したことはないが、鉄道100年を記念し、1972年10月、新橋駅前に設置された。
7100形式テンダ機関車
明治13年北海道の最初の鉄道である幌内鉄道(小樽、札幌間)の開業のため米国ポーター会社から輸入された小形テンダ機関車である。台枠等の構造がすぐれ、その後の近代蒸気機関車の基礎となった。機関車ごとに義経、静、弁慶等の愛称がつけられたためもあって、機関車ファンの愛好の的となり、現在3両が創業時の姿に復元されて保存されている。同形式8両。
軸配置 1C ボイラー圧力 7.7kg/cm2
全 長 11.9m 運転整備重量 28.1t
火格子面積 0.9m2 動輪周出力 300ps
動輪径 914mm 最高速度 45km/h
8620形式テンダ機関車
国鉄の機関車は明治期には輸入機が大部分であったが、明治中期に国産機が誕生し大正前期には完全に国産化された。大正3年製の旅客用の8620は9600とともに国産標準機の第1号であった。万能型の性能であらゆる支線区に使用され、鉄路のあるところ8620を見ざるところなしのほど全国的に普及した。新製両数687両、現役両数文は93両。
軸配置 1C ボイラー圧力 13kg/cm2
全 長 16.8m 運転整備重量 83t
火格子面積 1.63m2 動輪周出力 630ps
動輪径 1600mm 最高速度 90km/h
C57形式テンダ機関車
昭和12年にC51形式の改良近代化機として誕生し、北陸線、鹿児島線、東北線等の幹線の旅客列車けん引に使用された。形態は優美の象徴ともいうべきで国鉄の機関車のうち最もスマートである。新製両数は201両、現役両数は109両。
軸配置 2C1 ボイラー圧力 16kg/cm2
全 長 20.3m 運転整備重量 116t
火格子面積 2.53m2 動輪周出力 1040ps
動輪径 1750mm 最高速度 100km/h
C58形式テンダ機関車
昭和13年に標準中形客貨用機関車として誕生し、輸送量の多い全国のあらゆるローカル線に使用された。8620に劣らない高速性能と9600に匹敵するけん引力を兼ね備えた万能機関車で、蒸気最終を飾る候補機である。新製両数402両、現役両数は234両。
軸配置 1C1 ボイラー圧力 16kg/cm2
全 長 18.3m 運転整備重量 103t
火格子面積 2.15m2 動輪周出力 880ps
動輪径 1520mm 最高速度 85km/h
E10形式タンク1幾関車
戦後昭和23年に急勾配線区専用の大形タンク機として誕生した。国鉄最終設計の蒸気機関車であった。タンク機関車として最大で、5軸の動輪を採用し最強力のD52に匹敵するけん引力を有していた。投入された奥羽線福島一米沢間は間もなく電化されたため、九州、北陸に転用され最後は米原一田村間の小運転に昭和37年まで使用された。新製両数5両、現役なし。
軸配置 1E2 ボイラー圧力 16kg/cm2
全 長 14.5m 運転整備重量 102t
火格子面積 3.30m2 動輪周出力 1300ps
動輪径 1250mm 最高速度 65km/h
(原文ママ)
2120形式タンク機関車
明治中期の代表的貨物機関車で、2100、2400、2500形式も殆ど同じで、明治の機関車として同系形式の最大両数の528両が活躍した。英国製が多く米国独国からも輸入され、10両は神戸工場で製作された。又一部は日露戦争に野戦用として大陸に渡った。小形の割合にけん引力が強く、本線使用後も入換用として戦後まで長く愛用された。
軸配置 C1 ボイラー圧力 11.3kg/cm2
全 長 10.2m 運転整備重量 49.9t
火格子面積 1.3m2 動輪周出力 530ps
動輪径 1250mm 最高速度 65km/h
9600形式テンダ4幾関車
国鉄の機関車は明治期は輸入機が主力で、明治中期に国産機が誕生し大正前期には完全に国産化された。大正2年製の9600は貨物用で、8620とともに国産標準機の第1号であった。ずんぐりした力牛のような形態でけん引力が強く、広火室ボイラーの採用により出力も大きい。新製両数784両、現在なお287両の大量が残って主として入換用に活躍している。
軸配置 1D ボイラー圧力 13kg/cm2
全 長 16.6m 運転整備重量 95t
火格子面積 2.32m2 動輪周出力 870ps
動輪径 1250mm 最高速度 65km/h
C56形式テンダ機関車
昭和10年に簡易線用の小形機関車として誕生した。C12形式タンク機のテンダ版で性能は同一である。簡易設備の支線区の後進運転にも便利のようにテンダの両側が切り取られている。戦時中90両が南方作戦のため海を渡った。新製
両数164両、現役両数は35両。
軸配置 1C ボイラー圧力 14kg/cm2
全 長 14.3m 運転整備重量 66t
火格子面積 1.30m2 動輪周出力 505ps
動輪径 1400mm 最高速度 75km/h
D50形式テンダ機関車
大正12年に誕生した国産標準形の第3号の大形貨物機であった。当時としては画期的の大形機で、自動連結器の採用と相まって貨物列車の単位を大きくし幹線の輸送力を飛躍的に増強した。(当時9600けん引の700tをD50は1000tけん引にした)新製両数380両、現役両数は3両。
軸配置 1D1 ボイラー圧力 13kg/cm2
全 長 20.0m 運転整備重量 127t
火格子面積 3.25m2 動輪周出力 1280ps
動輪径 1400mm 最高速度 75km/h
D51形式テンダ機関車
昭和11年に誕生した標準大形貨物用機関車である。大正12年製のD50と性能はほぼ同じであるが、徹底的に改善近代化された。国鉄機関車では最大両数の1115両が量産され、性能とともに国鉄の蒸気機関車を代表する名機である。全国の幹線、亜幹線の貨物機及び勾配線区の客貨機として使用されている。現役両数は756両。
軸配置 1D1 ボイラー圧力 15kg/cm2
全 長 19.7m 運転整備重量 126t
火格子面積 3.27m2 動輪周出力 1280ps
動輪径 1400mm 最高速度 85km/h
(原文ママ)
ビーコロちゃん
この写真のB2010は,B20という種類で10号機関車です。小さくて,かわいい機関車ですので「ビーコロ」と呼ばれています。いま日本で1台しか使われていません。写真は,大きなC55とC12機関車があと押しして走るところです。
(解説)
B20形式タンク機関車
この機種は,太平洋戦争中の極度の機関車不足を補うため,資材を極度に節約し,製造工程もごく簡略化して作った戦時設計型の機関車です。戦争末期から終戦直後までを通じて15両つくられました。
この10号機関車は昭和21年に製造されたもので,現在は構内入換機として専用しています。
重さ・15.3トン 長さ・7m 幅・2m67 高さ・3m30 350馬力 最高時速・45キロ 水タンク容量・25トン 石炭積載量・0.9トン
C57形式テンダ機関車
均整のとれたスマートな容姿をもつ,いわば美人形機関車です。貨物列車用C55形を旅客列車用に改良したもので,201両製造されました。
使用初年・昭和12年 全長・約20m 高さ・約4m 機関車自重・約69トン 1040馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75
C60形式テンダ機関車
C59形機関車(幹線用)を準幹線用に改装したものです。これは線路の構造上,その走る線に適応するよう,機関車の車輪がレールにかかる重さ(これを軸重といいます)を軽くする必要があったからです。C59は173両製造されましたが,これからC60に改装した両数は47両です。
改装初年・昭和28年 全長・約22m 高さ・約4m 機関車自重・83トン 1290馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75
D51形式テンダ機関車〈愛称デコイチ〉
貨物列車用に作られたもので,耐久力・引張力・姿の3柏子そろったわが国の傑作機関車といわれています。製造両数は1,100両をこえ,戦前・戦中に一部は樺太,台湾,タイにまで渡っております。国鉄の貨物用蒸気機関車の主力を成しており,むかしから重用しています。
最初の1号機関車が誕生したのが,昭和11年の2,26事件のあった数日後だったというのも,何かの因縁だったのでしょう。以後の戦時,戦後の波乱期を,国内輸送の主軸となって文字どおり「大車輪」の活躍を見せました。見るからに男性的で風格をもった姿には,波乱期の歴史を引っ張ってきたという感じがあります。
使用初年・昭和11年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約78トン 1280馬力 最高時速85キロ 動輪直径・1m40
C61形式テンダ機関車
貨物列車用D51形を旅客列車用に改造した機種です。太平洋戦争中は貨物重点の輸送でしたが,戦後は旅客輸送に重点が移ったため,貨物列車用機関車が余って旅客列車用機関車が足りなくなりました。このために33両をこれに改造しました。昭和33年に登場した鹿児島初の特急「はやぶさ」を索引(※牽引の誤植)した当時の花形機関車です。
改造初年・昭和22年 全長・約20m 高さ約4m 機関車自重・約80トン 1890馬力 最高時速・100キロ 動輪直径・1m75
表紙デザイン・中之間国隆〈国鉄・宮崎運輸長付〉=C61のみ
鹿児島鉄道管理局(原文ママ)
さようなら皆さん……D51、C58型蒸気機関車
SLが10月からお別れします。あのダイナミックなD51、C58型が……皆様とお馴染みの蒸気機関車が37年ぶりに沿線から、その勇姿を消すことになりました。
プロフイル
D51型
・製造年月………………昭和11年3月〜20年1月
・製造両数………………1,115両
・配置両数(全国)……741両(45.6.1現在)
SL中最も多く製造され、主要幹線を1,000トンけん引することができた貨物用機関車です。
C58型
・製造年月………………昭和13年8月〜22年12月
・製造同数………………427両
・配置画数(全国)……225同(45.6.1現在)
主としてローカル線・小運転を目的に高性能、軽量化をねらって製造されたもので、中型客貨両用とし
て活躍してきました。(原文ママ)
形式 片1 1C1タンク機関車
1号機関車と称し、大正11年12月に日本車両の製造番号60で誕生した。大正12年1月1日片上〜和気間(8.6キロ・最急勾配 28.6‰)が関通した当時から活躍し、戦前戦後の動乱期の旅客・貨物輸送に大きな役割を果した。昭和22年4月土佐交通(現在の土佐電鉄)に転籍し、昭和24年廃車となり同年解体され、現在はその姿を見ることができない。
全 長 9754mm ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1118mm 運転整備重量 40.7t
形式 片2 1B1タンク機関車
2号機関車と称し、大正11年12月にドイツ、コッペル社の番号10293で製造され、当鉄道唯一の2動輪であった。 1号機関車と同じく開通以来活躍したが、勾配線には不適な2動輪のため昭和14年に一度休車となり、その後軍需品輸送上から使用再開され昭和20年まで活躍、昭和22年6月長岡鉄道(現在の越後交通)へ転籍し、昭和27年廃車となり同年解体された。
全 長 8831mm ボイラー圧力 12.0kg/cm2
動輪径 1000mm 運転整備重量 32.57t
形式 C12 1C1タンク機関車
201号は、昭和19年3月に日立製作所笠戸工場で製造し入線したもので、202号は昭和10年12月に日本車両において製造され大井川鉄道で使用していたが、昭和25年4月当線に転入された。
両機とも入線時、当鉄道用に炭車容量の増設・同形式には珍しい除煙仮の新設など改造をし、主として貨物列車の補機用として活躍したが、昭和41年と昭和43年にそれぞれ廃車解体された。
全 長 11350mm ボイラー圧力 14.0kg/cm2
動輪径 1400mm 運転整備重量 50.05t
形式 C13 1C2タンク機関車
戦争中、海南島の鉱石輸送に使用する目的から昭和19年7月に日本車両で5両製造された機関車のうちの2両で、誕生した当時の姿は、1Cテンダー機関車・形式7720であったが、昭和24年11月大阪汽車会社において、大幅な改造がなされC13形式(50号・51号)と称し、貨物輸送の主力として活躍、その後ディーゼル機関車の導入により、昭和41年5月廃車となり同年解体された。
全 長 12200mm ボイラー圧力 13.0kg/cm2
動輪径 1250mm 運転整備重量 60.6t
いずれも1970年6月1日、片上駅発行、原文ママ
9600形式蒸気機関車は大正2年に誕生し、その後大正年間に784両が製造され、この時代の貨物列車用標準機関車として四国以外の全国各地に配置されました。
以来、50有余年の星霜を経て、現在新潟支社では米坂線にのみ主力機関車として活躍しています。
機関車の特徴は動輪上に火室構造を置いて火床を大きくし、機関車出力の増大がはかられております。このため、機関車は小柄ながらデップリとし、小さな動輪で走る姿はたいへんユーモラスな感じがします。
戦時中は大量270両が大陸や樺太でも活躍しました。
動力車近代化の波とともに数年後には国鉄から消え去る運命のこの機関車に「ご苦労さん」と最後の声援を送ってやりたいものです。
(原文ママ)
B6形蒸気機関車2109号の経歴
○明治23年(1890年)英国グラスゴーのダブス機関車会社製造、日本鉄道に輸入。
○その後明治、大正、昭和の3代にわたり東北線、中央線などの重量牽引列車用として活躍。
○昭和4年、松本機関庫より西濃鉄道に移る。
○昭和45年8月、大井川鉄道千頭駅に元国電モハ1とともに保存展示される。
以上、原文ママ
加悦鉄道は丹後山田〜加悦間を結んでいた私鉄で、ニッケルを採掘をしていた日本冶金工業(大江山製造所)専用線の運転もおこなっていました。
1985年、国鉄宮津線が貨物輸送を廃止したことで、ニッケル輸送が不可能となり、廃線となりました。
2号機関車(120形)は、1873年(明治6年)、ロバート・スティーブンソン社で製造された蒸気機関車(旧鉄道院123)。もともとは大阪—神戸の鉄道開通で使用された。ハブ3号客車とともに、加悦SL広場で静態保存中。
タイトルの「複元」は「復元」の誤植。
姿を消した蒸気機関車
明治22年5月、讃岐鉄道が多度津を起点に丸亀〜琴平間を開業したのが四国鉄道のはじまり。最初は60形式の蒸気
機関車が明治末年まで走った。大正10年には5400形式、昭和10年には8620形式、そして、C11、C12、C58形式などが登場した。
昭和31年ごろの蒸気機関車黄金時代には、四国で136両が山野を走ったが、昭和45年4月1日のダイヤ改正から完全に姿を消してしまった。
(え・高松市栗林小学校4年 香川朋紀君)
以上、原文ママ