形式D60過熱テンダー機関車(昭和26年使用開始)川崎車輌、汽車製造、日本車輌、日立製作所
D50に2軸従台車をつなげることで、軸従を軽減し、使用範囲を拡大させようとしたもの。
形式D62過熱テンダー機関車(昭和25年使用開始)川崎車輌、汽車製造、日本車輌、日立製作所、鉄道省浜松工場、鷹取工場
D52の軸重軽減のため、2軸従台車をつなげる形に改造。軸重は減りましたが、総重量はD52を上回り、日本史上最大の貨物用機関車となった。
この形の機関車には9700、D50、D51の3形式があります。9700形は日本鉄道が常磐線の長大な石炭列車を牽引する目的でアメリカに注文したもの。この車軸配置は初めてだったので、アメリカで「ミカド形」と命名されました。
大正時代、第1次世界大戦で大形の貨物列車用機関車が必要となったので、D50形式が新造されました。D50形式は日本最大の機関車で、貨物列車用として最も重要な機関車の一つ。
本形式の各部構造を改造したものがD51形式機関車で、両者ともほとんど同一目的に使用されています。
形式D50過熱機関車 (大正12年使用開始) 川崎車輌、汽車製造、日立製作所笠戸工場、日本車輌
大正8年、旅客用の18900(後のC51)を建造した国鉄は、これに並ぶ貨物用として9900を建造しました。これが後のD50。総数380両建造。
東京〜下関間の貨物列車牽引として設計されましたが、函館本線では急行列車に使っています。
日本製の機関車で世界的な注目を集めた例は少ないですが、この形式は『レールウェイガゼット』(1924年7月25日)で紹介されています。
この機関車の1軸上の最大重量は14.99トンとなっており、法定(15トン)ギリギリ。そのため、これ以上強大な機関車を作るには、法改正するか、車軸を増やす以外ありませんでした。
当初は9900形と称しましたが、1928年、D50形に形式変更。
形式D51過熱機関車(昭和11年使用開始) 鉄道省(大宮、浜松、長野、小倉、鷹取、郡山、土崎、苗穂工場)、
川崎車輌、汽車製造、日立製作所、日本車輌
動輪の輪心をスポーク型からボックス型(クローバーのような形)に変更。これを箱形輪心といい、以後の機関車の基本形に。太平洋戦争中に大量生産され、その数は総数1115両と、日本の機関車1形式では最大。
形式D52過熱テンダー機関車(昭和18年使用開始)川崎車輌、汽車製造、日本車輌、日立製作所、三菱重工、鉄道省浜松工場、鷹取工場
戦時輸送のために作られた機関車で、D51よりさらに強力。戦時中は物資不足で、代用材で製造したところも。一部C62に改造。
この形式は、アメリカでは貨物列軍用の標準として使用されていました。日本では、明治26年、北海直炭鉱会社の採用を嚆矢とし、九州鉄道、日本鉄道、官線鉄道でも採用されました。
明治末に国産機関車9550形式が製造され、次いで過熱機関車9580が、大正の初めに9600が製造されました。
9600形式は貨物列車用および勾配線用の標準として重用され、両数も多い。支那事変後、改造を重ね、大陸各地でも活躍しています。
形式9150 (明治39年使用開始) 鉄道省神戸工場。導入当初は、F1形(550, 551)と命名
形式9200 (明治38年使用開始) Baldwin製
奥羽線庭坂〜米沢間の33.3‰急勾配線で使われた。大正になると、4100、4110にその役目を譲った。
形式9500 (明治31年使用開始) Schenectady製
形式9580 過熱機関車(大正元年使用開始) 川崎造船
国産初の過熱蒸気機関車。9600の登場ですぐに生産中止
形式9600過熱機関車 (大正2年使用開始) 川崎車輌、汽車製造、鉄道省小倉工場
貨物用として、旅客用の8620とともに、一時代を築きました。中央線、信越線などでは旅客用としても重宝されました。
車両数が多く、1926年5月末で、川崎製710両、汽車製造69、小倉工場12の791両あった。車軸配置2-8-0は、アメリカではコンソリデーションタイプと呼ばれます。
この形式の機関車は、欧米では急行旅客列車用として広く採用された。1886年、アメリカで開発された火床の大きいパワフルな機関車。日本でも、明治44年にこの形式の8900形式機関車が輸入され、2C形と同時に使用された。
速度の向上と列車重量の増大要求に従って、大型機関車が出現、日本の急行旅客列車としても広く使われた。C53形式は3シリンダで、最も高性能。
8900、C52形式以外は国産。
なお、機関車は2B形から2C形、2C1へと進化している。
形式8900 (明治44年使用開始) American Locomotive製
全部で36両のみ。C51形式ができるまで、東京〜下関の急行用として活躍。その後、九州、山陽線へ。老朽化により、汽罐の故障が多かったが、日本製に比べて、はるかに乗り心地がよかったといわれる。
形式C51 (大正8年使用開始) 汽車製造、三菱重工業神戸造船所、鉄道省浜松工場
第1次世界大戦で輸送量の増大が目指され、高速で牽引力の大きい機関車が要求されるようになった。そこで、車軸配置4-6-2のパシフィック型として初めて国産化。
C51形式(当時は18900形と命名)の動輪直径は1750mmで、もちろん日本最大。世界でも、狭軌の鉄道としては最大だった。
昭和5年、東海直本線に特急「燕」号が運転された際、国府津から名古屋までノンストップとされたため、巨大な30トン水槽車が連結された。その後、「燕」号は静岡にも停車することになり、この水槽車は廃止となった。
形式C52 3シリンダ過熱機関車(大正15年使用開始) American Locomotive製
大正の末期、客車は鋼製車に変わり、列車の重量が増した。さらに輸送量はどんどん増大していき、列車の単位も大きいものになっていきます。
当時、欧米でも3シリンダ機関車が多く用いられていたので、日本でも試験的に3シリンダ過熱機関車を輸入しました。
3シリンダ機関車は回転力が均等になるので、揺れが少なくなり、結果として牽引力が増大。さらに排気の回数が多いので、燃料効率もいい。
機関車のみ輸入で、炭水車は日立製作所笠戸工場が製造。大正初年以降、日本は外国の機関車を輸入しないできたため、外国の機関車製造技術を再検討する意味もありました。しかし、この形式は予想より優秀ではありませんでした。
なお、狭軌鉄道で3シリンダ機関車を導入したのは、世界的に見てもきわめて珍しいものです。
形式C52。当初は8200形式と命名しましたが、1928年の車両形式称号規程改正でC52形に形式変更
形式C53 3シリンダ過熱機関車 (昭和3年使用開始) 川崎車輌、汽車製造。国産唯一の三シリンダ過熱機関車。単位の大きい急行列車の運行のため建造し、東海道・山陽線の特急などで活躍。
形式C53流線型
速度向上のため、世界的に流線型の外観が流行した。機関車の周囲の空気の渦流を減らし、空気抵抗を少なくするのが目的。写真は昭和9年、鉄道省の鷹取工場でC53を改造したもの
形式C54過熱機関車 (昭和6年使用開始) 川崎車輌、汽車製造
形式C55過熱機関車 (昭和10年使用開始) 川崎車輌、汽車製造、日立製作所笠戸工場
急行用のC53は軸重が大きいため、整備された線路でないと使えない。そこで、C51程度の重量で、構造を変えたものが本形式。目的も外観もほとんどC51と同じ
形式C55流線型
すでにC53形式1両を流線型に改造していたが、欧米の流行に鑑み、C55も流線型に改造
形式C57過熱機関車 (昭和12年使用開始) 川崎車輌、汽車製造、日立製作所、三菱重工業
C51、C54、C55とほとんど同じ目的のために製造されたが、構造上はかなり変化した。最大の改造は、罐使用圧力が16kg/cm2になったこと。
形式C59過熱テンダー機関車(昭和16年使用開始)川崎車輌、汽車製造、日立製作所
東海、山陽線で活躍していたC53の老朽化と、3シリンダによる保守の不便を解決するため、2シリンダの新機関車として建造されました。罐の増大と圧力の上昇によって、C53をしのぐパワーを持っています。戦後の同型番は相違している部分も。
明治末期に輸入されたもの。過熱式で、従来のものに比べて著しく能力が上がった。高速旅客列車用だが、次第に地方で使われるように。
イギリスNorth Britishの飽和蒸気機関車8700形式、ドイツBerlinerおよびBorsigの過熱蒸気機関車8800/8850形式、アメリカAmerican Locomotiveの2C1形8900形式はほとんど同時に輸入された。
形式8700過熱機関車 (明治44年使用開始) North British製、汽車製造。
最初は飽和蒸気機関車だったが、大正10年に過熱蒸気機関車に改造された。乗務員が飽和蒸気機関車に慣れていたのと、万一、過熱器が故障すると困るので、比較的長い間、飽和蒸気機関車のままで御召列車の牽引に使われました。
その後、御召し列車の牽引は、8620、C51へと変わっていきます。
形式8800過熱機関車 (明治44年使用開始) Berliner製
8800、8850、2C1型8900は、日本で最初に導入された過熱蒸気機関車。国産初の過熱蒸気機関車は9580形式。
形式8850 (明治44年使用開始) Borsig、川崎車輌。機関車試験室での試験中の写真
形式8862 (大正2年使用開始)川崎造船。ドイツのBorsig(ボルジッヒ)製の8850を丸パクリした機関車だが、そのおかげで日本の技術は向上し、8620などの製造につながった。その流れで9580、9600などの製造へ。
明治時代は、勾配線用または貨物列車用としてこの形式が多く用いられました。元九州鉄道の8550形もこの形に属し、両数も多く、旅客列車用にも使われています。
大正・昭和時代になって製作された8620とC50形式は過熱機関車で、高速の旅客列車にも使用されました。
C56形式は簡易線用として製作されたもの。8850形式は旅客と貨物列車に併用されています。8620とC50は高速旅客列車で大きく活躍。C56は簡易線用として昭和10年に製作されました。
この形式は明治、大正、昭和を通じて活躍した主要形式で、8620形式は数百両も存在しました。
形式7500 (明治36年使用開始) Baldwin製。大型の機関車につけられる動力逆転機を装備
形式7550 (明治37年使用開始) Schenectady製
形式7600 (明治22年使用開始) Nasmyth Wilson製
形式7700 (明治27年使用開始) Beyer Peacock製
形式7800 (明治37年使用開始) North British製。7500形式と同様、動力逆転機を装備。2両は7850形式に改造
形式8100 (明治30年使用開始) Baldwin製。国有以前の姿
形式8500 (明治38年使用開始) 山陽鉄道兵庫工場
8550形式の3分の1は大正10年に過熱機関車に改造されました。外見上の変化は、シリンダ上部の滑弁がピストン弁になったくらい。
形式8550 (明治32年使用開始) Schenectady製
形式8620 過熱機関車(大正3年使用開始) 川崎造船、汽車製造、日立製作所笠戸工場、日本車輌、三菱造船神戸造船所。
この形式は急行ならびに旅客列車用として設計されたもので、初めは東海道、山陽、九州の主要幹線に配置されて、非常に良好な成績をあげました。
その後、輸送量の増大と速度の向上によって、地方や貨物牽引で活躍。
大正15年5月末現在で、川崎造船85、汽車製造384、日立製作所笠戸工場127、日本車輌55、三菱造船神戸造船所11両で、合計662両ありました。
形式C50過熱機関車 (昭和4年使用開始) 川崎車輌、汽車製造、日立製作所、日本車輌、三菱造船。8620形式の改良型
形式C56過熱機関車 (昭和10年使用開始) 川崎車輌、汽車製造、日立製作所、三菱重工業。簡易線用に、軸重を軽くした小型機関車